未発表のオリジナル原稿
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翻訳について
これは、フランス語で書かれた未発表原稿の編集品質による全訳です。フランス語原作は未出版で、現在も出版社を探しています。この読書版は、専門読者が日本語で作品の声、リズム、物語の展開を評価できるように用意されたものです。将来、出版社の制作方針に応じた調整が加わる可能性はありますが、本版は日本語による一つの完結した文学作品として仕上げられています。
第一部
見通す静けさ
第1章
第七の部屋
憲法を変ロ調で奏でた朝
憲法を変ロ調で奏でた朝、ひとつの港と、ひとつの裁判所と、ひとつの産科病棟が、互いに矛盾するのをやめた。
六時十二分、イリア・ダノーは、すでに待ちすぎたという鮮明な感覚を抱いて、第七の部屋に入った。
サン=ナゼール港では、三隻の曳船が二時間前から岸壁につながれたままだった。ナント行政裁判所は夜明けに、夜間に出された県知事の徴用命令を執行停止にしていた。さらに、変電所の火災以来、非常用電源で稼働している広域産科病棟からは、あと六時間、もって七時間、それ以上は無理だと通告が来ていた。
病棟をもたせる軽油は海から届く。タンカーは沖で待機していた。曳船なしでは航路の安全を確保できない。
イリアは鞄をコルク張りの壁際に置き、室内を見渡した。
第七の部屋には、神聖めいたものなど何ひとつなかった。窓のない、天井の低い白い部屋。背筋の伸びた椅子が十三脚、音のしない時計、給水器。それに、行政がついには「中立地帯」と呼ぶようになった、中央の意図的な空白。明晰の部屋を嫌う者たちは、むしろそこを「穴」と呼んだ。
参加者は十三人。一人多くても、一人少なくても規則に反した。
当直の判事。港湾局の次長。海上憲兵隊の司令官。産科病棟の当直責任者。目を赤くした港湾管制官。県庁のエネルギー担当幹部。技術部門の代表者が二人。県知事官房の男。ほかにもいた。全員が、この朝、まさに決定が折れる場所に居合わせたという理由で選ばれていた。
八年前からフランスでは、危機に際する一部の裁定について、明晰の部屋を経ずに下すことが禁じられていた。あらゆる場所、あらゆる事案に適用されるわけではない。通常の反射的対応が空回りし、各部門の利害が硬直し、法と医療と秩序と物流が、互いに噛みつくことでしか言葉を交わせなくなったときに限られた。
公式の目的は単純だった。決める前に、雑音を少し取り除くこと。
本当の目的は、人によって違った。
誠実な者たちは、人の心が最初に輝いて見えた解決策へ飛びつくのを防ごうとした。野心のある者たちは、誰にも盲目とは呼ばせない権威をつくろうとした。
イリアは明晰の部屋監督機構に勤めていた。上級契約職員。内側でも外側でもない。誰より先に入室できる程度には組織に組み込まれ、会合が失敗したときのヒューズに使える程度には動かしやすい。組織図に記された正式な肩書は、乾いた二行を占めていた。「注意的完全性評価官」。
現実に、そんな言い方をする者はいない。
現実には、イリアには部屋が嘘をつく瞬間がわかる、と言われていた。
彼女は、始めてよいと合図した。
取り除くもの
最初の九分間は、ひと言も発せられなかった。敬虔さのためでも、雰囲気をつくるためでもない。ふだんなら早々に場所を埋め尽くすものが、静まるのを待つ必要があった。正しくありたいという欲求。譲歩した部門になることへの恐れ。責任を負いきれない恥。手続きによって、ついに相手の首根っこを押さえたときの、ささやかな悦び。
イリアは着座には加わらなかった。見張る側だった。
呼吸を見る。顎を見る。肩を見る。腿の上に、あまりに行儀よく置かれた手を見る。静けさを装いながら強張っていく背中。人前に出せる真実をつくりはじめた顔。
最初に目についた男はテシエといった。官房次長、四十五歳。この時刻には整いすぎた灰色のスーツ。長く、規則正しく、模範的とさえいえる呼吸なのに、何ひとつ運び去ってはいなかった。彼はすでに、自分自身の肖像のなかに収まっていた。全員の言葉を聞けるだけの度量があり、その後で決断を下せるだけの強さもある男。
イリアは手帳にその名を書いた。コメントは添えなかった。
その右にいた港湾管制官、モード・ドレンヌには、そんな優雅さはなかった。
当直用のセーター姿で、髪は乱雑にまとめ直され、目のまわりは夜のせいで落ち窪んでいた。右脚が、ほとんど見えないほど微かに震えていた。一方、両手はひどく静かだった。イリアにはすぐ、彼女を神経質な人間と取り違えてはいけないとわかった。別のものだった。耐えなければならないから、まだ耐えている女。だが、その全身はもう代償を払いはじめている。
歩行は六時二十三分に始まった。
十三人は立ち上がり、互いを見ず、床に描かれた濃色の楕円の上を同じ方向へ歩いた。コルクが足音を吸い込んだ。判事は早すぎるほどすぐにリズムをつかんだ。何を見せるべきか、もう知っていた。産科病棟の責任者がリズムをつかんだのは遅すぎた。何かを演じられるほど、もう眠れてはいなかった。
イリアは壁際に残った。
彼らの静けさに入るのが仕事ではない。静けさを利用して、すでに傷つかずに済ませている者を見抜くのが仕事だった。
二周目、テシエは顎をほんのわずかに上げた。ごく小さな仕草だった。ほかの誰にも見えなかっただろう。イリアには、その意味がはっきりわかった。彼は動かないまま、部屋を出たのだ。すでに事後へ移っている。記者会見へ。大臣宛ての報告書へ。県庁がいかに冷静さを保ったか、その正しい語り方へ。
イリアは定められた地点で歩行を打ち切った。
それから尋ねた。
「ここにいる方のうち、自分が何を失いたくないのか、正確にわかっている人は?」
手順書にはない質問だった。
判事が訝しげに彼女を見た。テシエも見た。
最初に答えたのはモードだった。
「航路です」
産科病棟の責任者は、顔さえ上げなかった。
「生命維持装置につながれた新生児たちです」
判事は、二秒ばかり待ちすぎた。
「徴用命令の適法性です」
イリアは言った。
「結構。では、もう一度。今度は、自分の言葉から、自分自身を少し差し引いてから、それを信じてみてください」
判事は抗議しかけた。
だが、しなかった。
引き延ばされた音
全員が再び腰を下ろすと、部屋は無理をするのをやめた。すべての場所ででも、すべての人のなかででもない。それでも、充分だった。
最初に口を開いたのは、産科病棟の責任者だった。
「私たちは、もうひびの入った容器みたいに、もちこたえろと言われています」
すぐには誰も答えなかった。
その比喩はテーブルの上に残った。誰の目にも見えたが、まだ使うことはできなかった。
判事が目を伏せた。
モードは唇をきつく結び、それから開いた。
「違う」と彼女は言った。「そうじゃない」
部屋じゅうの顔が彼女に向いた。
「容器じゃない。音です。ひとつの音を、長く引き延ばしすぎている。だから全部が捩れはじめるんです」
テシエの身体に、苛立ちがかすかに走った。
「音楽の語彙が、果たして私たちの役に立つかどうか……」
イリアが遮った。
「最後まで話させてください」
モードは両手を腿の上にぴたりと置いた。まるで、その仕草だけで、まだ世界が滑り落ちるのを止められるかのように。
「裁判所の執行停止を長く保ちすぎて、もう純粋なままではいられない。港を止めたままにしすぎて、もう慎重な措置ではいられない。産科病棟を非常電源でもたせすぎて、もう安全ではいられない。私たちはみんな、正しい音を保とうとしている。それぞれが自分の音を。でも、その音はもう外れているんです」
判事が初めて、まっすぐ彼女を見た。
「何を言おうとしているんです?」
「執行停止をそのまま守れば、あなたは長く正しすぎることになる」
そのあとに来た沈黙は、冒頭の沈黙とはもう何の関係もなかった。穏やかでも、高潔でもない。ただ重さの置かれる場所が変わり、責任がふたたび重くなっていた。
海上憲兵隊の司令官が単刀直入に訊いた。
「具体的には?」
イリアはモードの代わりに答えなかった。
いつ黙るべきかも、彼女は知っていた。
モードは言った。
「つまり、もう三つの問題として扱わない。一連の手順として扱うんです」
判事のほうを向いた。
「執行停止を二時間だけ取り下げる。それ以上はなし」
次にテシエを向いた。
「県庁は、その時間枠だけで曳船を徴用する」
それから、産科病棟の責任者へ。
「最初の輸送便は、港が完全に安定するまで待たない。タンカーが港口を抜け、タンクが開いた時点で出す」
判事は、きっかり五秒黙っていた。
それから言った。
「法的には成立します」
テシエは、自分抜きで解決策が生まれるのを好まなかった。
声に出るより先に、目に表れた。
「法的に美しいとはいえません」
産科病棟の責任者は、命に関わる警報から一メートルも離れていないところで、礼儀正しい指摘をした男を見るように彼を見た。
「私だって美しくはありません」と彼女は言った。
部屋は別の仕方でもちこたえていた。より良くではない。より真実に近く。
六時五十八分、判事は執行停止の暫定的な撤回に署名した。
七時四分、曳船に出港命令が下った。
七時十一分、水先案内人がタンカーに乗り込んだ。
七時十八分、産科病棟は優先補給を保証する文書を受け取った。
七時三十一分、省庁間対策室がこれを「成功」と呼びはじめた。
その言葉は、たちまち広がった。あまりにも早く。
繰り返されようとしていたもの
八時九分、内務省の顧問が部屋に電話をかけてきた。祝福するためではない。会合記録、退出票、転換が起きた正確な時刻、出席者の身元、そして結び目をほどいた表現を求めるためだった。
何が始まりつつあるのか、イリアにはほかの者より先にわかった。評価されようとしているのではない。繰り返されようとしている。
廊下では、産科病棟の責任者が、うなり声の大きすぎるコーヒー販売機にもたれ、立ったまま声もなく泣いていた。モードは意地だけで、まだ両脚の上に立っていた。判事はすでに、自分には名指す権利のないものに触れてしまった人特有の青ざめた声で、書記局に電話をかけていた。テシエは、行政官の顔を取り戻していた。
彼はイリアに近づいた。
「ほら」と言った。「うまくいくなら、制度として常設すべきです」
イリアは彼を見た。その顔立ちは穏やかだった。声も穏やかだった。惨事を避けられたことを喜んでいるのではない。ひとつの道具が生まれるのを目にしたことを喜んでいた。
「いいえ」とイリアは言った。
テシエが首を傾げた。
「何が、いいえなんです?」
彼の背後で、第七の部屋の扉がゆっくりひとりでに閉じていくのを、イリアは見ていた。ドアクローザーに和らげられながら。部屋はもう空だった。十三脚の椅子。剥き出しの中央。まだわずかに変質した空気。
「うまくいったときこそ」と彼女は言った。「警戒を始めなければならないんです」
テシエは、ほとんど微笑んだ。
「反対派の台詞ですね」
「違います」
イリアは手帳を取り、鞄に滑り込ませてから、つけ加えた。
「仕事をする人間の台詞です」
外の港では、曳船が出ていた。ナントでは、暫定的に捩じ曲げられた適法性のなかで、裁判所がまだ立っていた。そして当直の産科病棟では、公法に何ひとつ頼んでいない子どもたちが、ほかのすべての子どもと同じく、政治的判断力を完全に欠いたまま、この世界へ到着しつづけていた。
九時三分、「音を長く引き延ばしすぎた」という表現が、大臣官房まで上がった。
十一時二十分、誰かが初めて「変ロ調の憲法」と口にした。
十二時十三分、イリアのもとにパリへの召喚通知が届いた。
文面にはこうあった。
「出席必須。手順の全国評価」
彼女は二度読み返した。
それから、電話をしまった。
問題は、彼らが耳を傾けられたことではなかった。国が、もう一度やりたいと思えることに気づいたとき、問題は始まった。
第2章
雑音
最初の偽りの要約
十四時二十二分、パリ行きのTGVのなかで、イリアはその朝についての最初の偽りの要約が、携帯電話に表示されるのを見た。
知らない顧問からのメッセージだった。
「港湾・医療事案において、明晰の部屋が顕著な成果。関係機関の合理的合意形成を回復」
彼女は読み返し、画面をロックした。
産科病棟は「医療事案」ではなかった。生命維持装置につながれた新生児たちと、いつ落ちてもおかしくない非常用電源を抱えて六時間を過ごした女が、コーヒー販売機にもたれて泣いたのだ。港は「港湾事案」ではなかった。モード・ドレンヌは、疲労に対する純粋な意地だけで立ちつづけていた。合理的合意にいたっては、三人の人間が、自分自身の正しい姿を守るのをやめたときに、ようやく始まった。
車両がわずかに震えていた。
二列先では、子どもが小さなスプーンで、空になったジュースの瓶を叩いていた。母親がスプーンを取り上げた。今度は爪で叩きはじめた。イリアは二秒、目を閉じた。
ナントを出てから、携帯電話は鳴りやまなかった。監督機構、内務省、非通知番号、すでに二人の記者。テシエからは、ひどく整った短いメッセージが来ていた。
「パリでは、事実だけを述べてください」
返信はしなかった。
列車は灰色の雨の下を走りつづけた。目に見える何かを濡らす雨ではなかったが、窓ガラス全体に、事務机のような疲労をまとわせていた。イリアはサン=ナゼールを出てからずっと、手帳を膝に置いていた。一度も読み返していない。その必要はなかった。第七の部屋は、彼女の身体のなかに丸ごと残っていた。コルクも、わずかにずれた空気も、夜勤の女から出た正しい言葉も。その女には、自分の見たものを出世に役立てる言葉などなかった。
車掌が来ると、尋ねた。
「モンパルナスまでですか?」
イリアは、はいと答えた。
それから思った。十七時以降、行き先はもうパリではない。今朝の出来事が、どんな言葉で語られるか。その言葉こそが行き先になる。
4B会議室
十六時五十分、政府事務総局の職員が、ヴァレンヌ通りにある別館の窓のない部屋へイリアを案内した。
部屋の名は4B。
灰色のカーペット。水差しが三つ。すでに点灯している壁面スクリーン。ワゴンに並べられた赤いファイル。煮詰まったコーヒーと清潔な空調のかすかな匂い。権力に近づいた調整室が、やがて必ず帯びる匂いだった。
四人が待っていた。イリアもほとんど面識のない、明晰の部屋監督機構の報告官。前例が性急に判例となるのを防ぐために雇われた者特有の、几帳面な猜疑心を備えた内務省の法務官。落ち着いた顔でペンを構えた、首相府広報部の女。そして首相府全国調整局次長、エルヴェ・マレスコ。
六十歳くらいだろうか。背が高く、痩せていて、芝居がかったところがない。目立とうとまったく努めていないために、かえって最初に目につく種類の男だった。上着は椅子の背に掛けてある。シャツの袖口はボタンを留めたまま。目の前には白い紙が一枚。コンピューターはなかった。
イリアが入ると、彼は立ち上がった。
「期限内に来てくださって、ありがとうございます」
その期限がいくつもの身体を通過したあと、どんな代価を強いるのか、知っているように見えた。
イリアは席に着いた。
首相府の女が言った。
「何が転換を可能にしたのか、把握する必要があります」
マレスコは同僚を見なかった。
イリアを見た。
「部屋が嘘をつきはじめたと気づいた時点から、話してください」
その言い方には、イリアの目を上げさせるだけのものがあった。
彼は手法の効果とも、集団の足並みとも言わなかった。「部屋が嘘をつきはじめたとき」と言ったのだ。
イリアは、閉じた手帳を目の前に置いた。
「その前に」と彼女は言った。「一人ひとりが何を守ろうとしていたのか、そこから話す必要があります」
法務官はもうペンを取り出していた。
「どうぞ」
イリアは飾らずに語った。航路。新生児たち。徴用命令の適法性。それから歩行、呼吸、動かないまますでに部屋を出ていたテシエ、いくつかの姿勢に宿る過剰な純粋さ、ほかの者たちに表れていた本物の疲労。
モードの名を出すと、マレスコが尋ねた。
「役職は?」
「港湾管制官です」
「疲労の程度は?」
「極度でした」
「それでも、あなたは彼女に発言させた?」
イリアは彼をまっすぐ見た。
「ええ」
法務官が顔を上げた。
もっと自明でない答えがありえたとでもいうように。
マレスコは何も言わなかった。
ただ、こう言った。
「続けてください」
平和ではない
モードの言葉まで話が来ると、数秒間、誰もメモを取らなかった。
「長く引き延ばしすぎている」
イリアは演じずに、そのまま繰り返した。
やがて法務官が訊いた。
「明晰の部屋では、正確には何を取り除くんです?」
わずかに苛立った口調だった。初めから、また新たな典礼を聞かされるのではないかと疑っていたらしい。
イリアは性急に答えた。
「対立ではありません」
それから言い直した。
「恐怖でもない。利害でさえありません」
首相府の女が訊いた。
「では、何を?」
イリアはテーブルの中央にある水差しを見た。
隣のグラスは、まだ一度も使われたことがないように見えるほど清潔だった。
「一人ひとりが、自分の形を守るために費やす時間です」と彼女は言った。
誰も口を開かなかった。
イリアはつづけた。
「危機のなかで、人は解決策だけを守るわけではありません。自分の職務の正しいイメージを守る。判事は、法が捩じ曲げられるのを許した者になりたくない。県知事は、主導権を失った者になりたくない。医療者は、不充分な状態を受け入れた者になりたくない。問題は、ある時点を越えると、彼らがもう状況を見なくなることです。自分がどんな人間でありつづけようとしているか、そればかりを見るようになる」
法務官が言った。
「それを雑音と呼ぶんですか」
「いいえ」とイリアは答えた。
一秒待った。
「雑音というのも、まだ綺麗すぎる言い方です。場所を塞ぐ、とでも言いましょうか」
マレスコが、ようやくペンを手に取った。
「では、静けさが、ただ一段上品になった塞ぎ方ではないと、どうやって見分けるんです?」
首相府の女の手が止まった。
その問いが、部屋を剥き出しにした。
イリアは、ほんのわずかに顎を上げたテシエを思い出した。
その反対に、自分の言葉に抗い、それから折れた判事のことも考えた。
「もう傷つけられることを受け入れない人がいたら」と彼女は言った。「それは静けさではありません。磨き上げられた鎧です」
法務官が、苛立ちにも見える仕草をした。
「実務的とはいえませんね」
「いいえ、実務的です」とイリアは言った。
それからつけ加えた。
「むしろ、実務に使えるのは、それだけです」
マレスコは指のあいだで、ゆっくりペンを回した。
「言い換えてください」
今度は、時間をかけた。
「優れた明晰の部屋は、合意を生み出しません。一人ひとりが自分自身につく嘘を、つきにくくするんです。決めるのは、そのあとです」
首相府の女が一言残らず書き留めた。
その姿を見て、イリアは昔から嫌っている衝動が自分のなかに湧くのを感じた。
まだ恐怖ではない。むしろ短く、どこか恥ずかしい誇りだった。
この部屋で発せられた正しい言葉なら、自分より長く生き、自分より遠くまで行けるかもしれないという思い。
マレスコには、それがよぎるのが見えたのだろう。
目を伏せた。イリアが今言ったことを、これ以上支えつづけなくて済むように。
彼らが残したかったもの
最初にその瞬間を損なったのは、首相府の女だった。
「この件を公に説明するなら、顔が必要です。港湾管制官がいいかもしれません。あるいは産科病棟の責任者」
答えるより先に、イリアの身体が強張った。
だが、先に話したのはマレスコだった。
「いけません」
大声ではなかった。
ただ、その提案の卑しさを、ほかの者が否応なく聞き取るような、ごく単純な言い方だった。
「死者を出さないために、自分の職務そのものを捩じ曲げなければならなかった人々を、見世物にはしない。本人も、その顔も、その言葉も。少なくとも今日は」
法務官が目を伏せた。
広報の女は、何気ない仕草で手帳を閉じた。
イリアは何も言わなかった。
その瞬間、エルヴェ・マレスコは、ありふれた日和見主義者よりも憎みにくい男だとわかった。だからこそ、もっと危険だった。今日この人々を晒すことは拒みながら、それでも彼らが経験したすべてを国家の手法へ変えることのできる男。
彼は話を戻した。
「とはいえ、今朝起きたことが伝達可能かどうかは、把握しなければなりません」
「あなた方が考えているような形では無理です」とイリアは言った。
「どういう意味です?」
「新たな手順書としては」
法務官が言った。
「国家が自らの行為に責任を負わねばならない以上、あらゆるものが新たな手順になるんです」
イリアは法務官を見据えた。
「ええ」と言った。「そこが問題なんです」
短い沈黙は、マレスコの気分を害さなかった。ようやく正面から反論されたことに、むしろ安堵したように見えた。
「この国は疲れています」と彼は言った。「人々は決めるのが早すぎるか、遅すぎる。それぞれの部署が愚かしいほど自分の領分を守り、そのあと全員が奇跡のような司令塔を求める。純粋な反応とは違うものを得る方法が見つかったのなら、それを使わない理由が私にはわかりません」
抒情に逃げずに話した。
だからこそ、その論理は危険だった。
イリアは尋ねた。
「あなたの言う『違うもの』が、大規模な反復に耐えられると思いますか?」
マレスコは率直に答えた。
「試すことになるでしょう」
イリアがヴァレンヌ通りへ出たとき、日は暮れていた。
パリは黄色く、わずかに汚れた光に包まれていた。その光のなかでは、行政庁舎のどの外壁も、すでにあまりに多くを聞かされてきたように見えた。自転車が素早く行き交っていた。背後の建物では、窓の明かりが消えない。誰かが電話に向かって、必要以上に声を張り上げていた。
携帯電話が震えた。
新しいメッセージ。
今度は監督機構からだった。
「今後四十八時間、パリでの招集に応じられるよう待機してください。午前七時三十分より運用方針会議を予定」
イリアは読んだ。
それから、四階の窓を見上げた。
国はまだ、新しい声を見つけてはいなかった。
だが、明晰の部屋をあらゆる場所に求めるときの口調だけは、すでに見つけていた。
第3章
威光
スクリーンの上
翌朝七時二十九分、監督機構の運用方針会議室には、すでに温まった紙と短すぎる夜の匂いが満ちていた。
数年前、その匂いは公式の回路からほとんど追放されていた。すべてを認証済みの情報網、共有された表、整然とした記録に通さなければならなかった。書類を詰め込んだ戸棚や、馬鹿げた決裁回覧簿を惜しむ者はいなかった。だが、あまりに滑らかな決定がいくつか下されたことで、よく整えられた情報の流れは、迷いをすぐに吸収してしまうと思い知らされた。紙は周縁から戻ってきた。草稿、退出記録、すぐにデータへ変えるには、その場に根差しすぎたメモ。
イリアは、飲みたくもないコーヒーを手に入室した。
楕円形のテーブルを十五人ほどが囲んでいた。監督機構の常勤職員が三人、省庁の法務官が二人、評価室付きの社会学者が一人、テシエ。そしてテーブルの端にはスクリーンがあり、すでに題名が映し出されていた。
「サン=ナゼール事案 — 合意形成プロセス」
イリアはスクリーンを見て、それからテーブルを見た。
その言葉を不快に思っている者はいないようだった。
次のスライドには、三つの表現が抜き出されていた。
「もうひびの入った容器」
「音を長く引き延ばしすぎている」
「あなたは長く正しすぎることになる」
それらは白い長方形の中央に浮かんでいた。まるで誰にも、疲労も、恐怖も、責任も強いなかった言葉のように。
明晰の部屋監督機構の副総裁、エレーヌ・ラスクールは、前置きなしに始めた。
「これは典型的な事例です。会合で起きたことのうち、手順そのものに由来する部分と、再現不能な人的偶然に由来する部分を見極める必要があります」
再現可能という言葉が、冷たい隙間風のように部屋を横切った。
イリアは黙っていた。
テシエはすでにファイルを開いていた。
「大臣官房が、九時四十五分までに報告書を求めています」と彼は言った。「ごく単純なものです。何を定型化でき、何を定型化できないか」
法務官の一人が訊いた。
「そもそも、これは成功事例という理解でよろしいんですね?」
イリアは彼に顔を向けた。
「産科病棟は、電源が落ちる前に補給を受けました。三隻の曳船が出港した。命令は壊れないぎりぎりまで捩じ曲げられた。ええ、お望みなら、成功と呼んでください」
あとの沈黙は慎重だった。敵意はなかった。
エレーヌ・ラスクールが言った。
「まさに、それより正確な言葉で話そうとしているのです」
イリアはもう一度スクリーンを見た。
それから尋ねた。
「この三つの言葉を選んだのは誰です?」
テシエが性急に答えた。
「転換を要約しています」
「いいえ」とイリアは言った。「転換について、あなたが語れるようになりたい物語を要約しているだけです」
マレスコはその場にいなかった。
彼の不在は、テシエの輪郭をより鮮明にしていた。
柔らかさが減り。
権利への確信が増している。
「では、あなたはどうしたいんです?」と彼は訊いた。「すべてを翻訳不能な経験のままにしておくと?」
イリアはモードを思った。
ほとんど見えないほど震えていた脚。
それでも、疲労によって正確さを失わなかったこと。
「その言葉が、具体的な身体から出たものだと忘れないでほしいんです」と彼女は言った。「手法という雲から降ってきたわけではない」
賛同する者も、微笑む勇気のある者もいなかった。
国がすでに愛しはじめていたもの
十時十二分、建物のロビーでは、音声を切られたスクリーンに、すでにニュース速報の帯が流れていた。
「サン=ナゼールを受け、明晰の部屋が行政対応の中核に?」
別の局では、「国家による新たな判断手法」と呼んでいた。
もっと慎重な三つ目の局は、「重大な危機の一部で用いられている、いまだ機密性の高い制度」と報じていた。
映像には、港、庁舎の廊下、灰色の外壁、書類に署名する手のクローズアップが流れていた。
第七の部屋は映らない。人々の顔も映らない。その点では、マレスコが約束を守っていた。実際の代価を見せてしまうものを、画面の外に置く術を彼は知っていた。
イリアは、自分が思っていた以上に長く、スクリーンの前に立ち止まっていた。
無音の画面のなかで、女性コメンテーターの唇が動いていた。字幕にはこうあった。
「絶え間ない反応に疲弊した国で、より静かな決定という約束が、すでに人々を惹きつけています」
嫌悪している感覚が、イリアのなかに湧き上がった。賛同でもなければ、希望ですらない。短い歓びだった。しかも正しい歓びであるだけに、なおさら後ろめたく、味わいたいと思ったことへの恥が、ほとんど同時に押し寄せた。
速さを強さと取り違えるのではなく、決定を下す精神の質を真剣に考える人々へ、この国が初めて目を向けたのかもしれない。
イリアは、その感覚が来るに任せた。それから部屋でほかの人間を見るときと同じように、仔細に調べた。その下に、自分のほうが彼らより先に正しかったと思いたい欲望を見つけた。そして、たとえ一秒でも、重要な形の誕生を目撃した少数者の一人であるという歓びを。
彼女は目を逸らした。
ポケットのなかで携帯電話が震えた。
母親からのメッセージだった。
「テレビで、あなたの港の話を見たわ。あの部屋の話、あなたが関わってるの?」
イリアは読んだが、返信しなかった。
三語書いて、消した。母は、肝心なことを守りすぎる返事が嫌いだった。一時間もしないうちに電話をかけてきて、まずちゃんと食べているかと訊き、それから本当に大切な質問をひとつだけするだろう。
母に対して素直になる気力が、イリアにはなかった。
彼女は携帯電話をしまった。
威光はプロパガンダから始まるのではない。ようやく認められたと思った瞬間、自分の一部が背筋を伸ばす、その正確な一分から始まる。
分別ある人々
十一時、彼らはまた集まった。今度はスクリーンのない、もっと小さな部屋だった。マレスコがいた。エレーヌ・ラスクールもいた。内務省の法務官。テシエ。
それに、誰からも紹介されない中央行政局の局長が一人いた。役職さえわかれば、その人間のすべてが読み取れるとでもいうように。
マレスコは、全員の前に一枚ずつ紙を置いた。
題名は一行だけだった。
「限定的な運用拡大の仮説」
「ここにいる誰も、全面的な一般化を口にしてはいません」と彼は言った。「六分野に限った運用拡大の話です。港湾。エネルギー。病院の物資不足。危機時の司法。地域避難。食料物流」
あまりにも分別のある口調を選んだため、そのなかの暴力を聞き取るには、努力が必要だった。
中央行政局長が言った。
「何より欠けているのは共通言語です。どの部署も、自分たちの恐慌だけが唯一深刻なものだと、いまだに言い張っている」
法務官がつけ加えた。
「明晰の部屋によって、相互に矛盾する決定の乱発を少しでも遅らせられるなら、それだけで計り知れない利益です」
誰も間違ってはいなかった。そのせいで、部屋は息苦しくなった。
イリアは尋ねた。
「では、ある部屋が別の部屋より重く扱われるに足るほど明晰かどうか、誰が決めるんです?」
エレーヌ・ラスクールが答えた。
「ほかでもない、監督機構です」
「どんな基準で?」
「私たちの基準で」
酷薄にもなりえた答えだった。
だが、そうではなかった。
エレーヌ・ラスクールは、いまさらな素朴さに割く時間を失った人特有の、礼儀正しい疲れを帯びて話していた。
「あなたはすでに認証を行っています」と彼女はつづけた。「すでに評価もしている。性質を変えるのではありません。規模を引き受けるだけです」
テシエがイリアのほうへ紙を滑らせた。
一段落が黄色で強調されていた。
「目的:時間的制約のもと、より防衛的でなく、より横断的で、公益との整合性が高い発言を引き出すこと」
イリアは読み返した。
それから顔を上げた。
「私たちがしているのは、こんなことではありません」
法務官が溜息をついた。
「失礼ながら、私たちはまさに、こう書けるようにならなければならないんです」
「ええ」とイリアは言った。「わかっています」
マレスコは口を挟まず、彼女を見ていた。
どこまで行くのか、見極めようとしているのだとわかった。
「明晰の部屋は、整合性のある発言を製造する機械ではありません」と彼女は言った。「こんなふうに書けば、人々はその整合性を生み出すために部屋へ来るようになる」
中央行政局長が訊いた。
「それで何がいけないんです? 国に必要なら」
皮肉から出た答えではなかった。責任感に根差し、ほとんど配慮と呼べるものだった。心から損害を減らそうとしている人々とは、いつだって闘いにくい。
マレスコがようやく口を開いた。
「わかりました。この表現は使いません」
テシエが驚いて彼を向いた。
マレスコはつけ加えた。
「ですが、計画は進めます」
今度はイリアも何も答えなかった。
言葉遣いをめぐるこの小さな勝利が、本質的なものを何ひとつ救わないことは、もうわかっていた。
彼らが欲しがったもうひとつのもの
十二時四十分、会議がようやく散会しかけたとき、マレスコはイリアに残るよう頼んだ。
テシエは必要以上にゆっくりとファイルをまとめるふりをした。
マレスコが一度だけ彼を見た。
テシエは出ていった。
扉が閉まった。
マレスコはすぐには話さなかった。
傍らに置いた灰色のファイルを開き、コピーされた六枚の紙を取り出した。
過去の報告書だった。
マルセイユ、リモージュ、ダンケルク、ブリアンソンで開かれた部屋。
どのページにも、余白にある言葉や比喩が、手書きの線で囲まれていた。
境
結び目
死重
狭い扉
張りつめすぎた線
早く引きすぎた手
意識するより先に、イリアの背筋が伸びた。
「これは何です?」と彼女は尋ねた。
「単なる偶然として処理するには、どうしても引っかかるものです」とマレスコは言った。
紙の上に指を置いた。
「この三年間、いくつかの部屋で、ある種のイメージが繰り返し現れている。まったく同じ言葉ではない。同じ人々でもない。だが、似た形です。転換点を捉える、共通したやり方がある」
イリアは紙に触れなかった。
法務官なら、意味論的な反復と呼んだだろう。
テシエなら、戦略的素材と呼んだだろう。
マレスコはこう言った。
「これが言語なのか。それとも、別の何かなのか。それを知りたい」
二人のまわりで、部屋が静まり返った。
壁の向こうからは、国を消化しつづける政府庁舎の、いつもどおりの厚みが、かすかに聞こえていた。
イリアは尋ねた。
「私に何を求めているんです?」
「読んでほしい」とマレスコは言った。「そして、これが行政にありがちな、またひとつの迷信なのか。それとも展開する前に理解するに値する現象なのか、教えてほしい」
その依頼は、圧力より手強かった。もっと単純に敵視したかったもののなかに知性があると、認めさせる依頼だったからだ。
イリアは紙を見た。
それから、マレスコを見た。
もう一度、紙を見た。
昨日まで、危険にははっきりした顔があった。すでに乾いた静けさを帯び、道具の誕生を見て喜んでいたテシエ。だが今や危険は、自分が拡大しようとしているものが、まず理解されているのかを問うだけの真剣さを持つ男の姿までしていた。
イリアは灰色のファイルを手に取った。
表紙の折り返しに、誰かが黒いフェルトペンで書いていた。
「共通イメージ — 内部使用」
廊下に出たとき、威光だけでは、もう足りなくなったのだとイリアは悟った。
威光は今、自らの音楽がどこから来たのかを知りたがっていた。
第4章
共有される像
灰色の紙葉
十三時十七分、イリアは灰色の書類挟みを胸に抱え、地下鉄八号線でラ・トゥール=モブールへ向かった。まだ手にすることを許されていない資料でも抱えているようだった。
パリの空は、雨とも晴れ間ともつかない、煮えきらない白さに覆われていた。車内では中学生が二人、ほかの誰も知りたくない動画の話を声高にしていた。スーツ姿の女は三駅ぶん眠り、顎を胸に落としたまま、手のなかでは携帯電話の画面がまだ光っていた。イリアは扉のそばに立ちつづけた。不自由を好んだわけではない。自分のまわりに動くものが必要だった。
機構は、面白みのない石造りの正面玄関の奥にある、かつて保険会社だった建物に入っていた。何もかもが清潔すぎるほど塗り直され、公共施設らしさを失っている。廊下には段ボールと冷めたコーヒー、疲れたプリンターの匂いがした。そこで行き交う人々の職務は、いつもその疲労よりわずかに抽象的だった。
彼女の執務室には机と椅子が二脚、金属製の戸棚、小さすぎる流し台、それに高すぎる窓があった。窓から見えるのは通りというより、行政の空を切り取ったような一片だった。イリアは扉を閉め、書類挟みを机に置いた。それでもすぐには開かず、しばらく立ったままでいた。
サン=ナゼールを出てから、この一日はもう彼女のものではなかった。召集。4B室。運用原則。スクリーン。規模拡大。そして、この紙葉。
余白を読まなくなった者にだけ、それらは古めかしく見えた。
マレスコの言い方を思い出した。「言葉の問題なら。あるいは、別の何かなら」
それは信じやすい人間の答えではない。国家は再現したいものを性急に名づけた瞬間から軌道を外れはじめる――そう知る男の答えだった。
書類挟みを開いた。未整理の報告書が六件。
原本に近い退室時記録。余白の書き込み、不完全な署名、時刻、部屋の状態、参加者の構成、会議中の異常。マルセイユ。リモージュ。ダンケルク。ブリアンソン。クレテイユ。フォス=シュル=メール。
フランスが頭よりも身体で、切迫した決定を下す場所ばかりだった。
最初の資料はマルセイユ。応急補強された集合住宅の地下でガス管破裂の危険が生じ、地区を避難させた事案だった。余白に、参加者の一人がこう記している。「狭い扉」
二件目はリモージュ。細気管支炎の流行下で、重症者用病床を徴用した事案。施設長が書いていた。「手を離すのが早すぎた」
三件目はダンケルク。穀物倉庫の汚染を受け、鉄道と港湾が封鎖された事案。丸で囲まれた語は、結び目。
四件目はブリアンソン。峠が閉鎖され、両側に人々が取り残された事案。丸で囲まれた語は、境。
五件目のクレテイユは、乾ききった十四ページと、そこに存在することすら恥じているような一行から成っていた。「死荷重」
最後のフォス=シュル=メールは七か月前の日付だった。イリアはほかを読むより先に、その表現を見つけた。
「張りつめすぎた線」
彼女は腰を下ろした。部屋は何ひとつ変わっていない。なのに一瞬、そこへ何者かが加わったような感覚が身体を走った。存在ではない。執拗さが加わったのだ。
謎を探そうとはせず、ペンを手に紙葉を順番に読み直した。明晰の部屋にはすでに、奇跡を欲しがる人間が十分すぎるほど集まっていた。これ以上、こちらで奇跡をこしらえる必要はない。
マルセイユ。 住宅担当の助役が、「通そうとしているものすべてに対して、扉が狭くなりすぎた」と話していた。
リモージュ。 診療科長が、「人の背から手を離すのが早すぎた」と言った。制度は十分長く支えたと自賛していたが、実際には、寄り添うことをやめたばかりだった。
ダンケルク。 臨時の荷役作業員が言った。「あんたたちは犯人を探してる。でも本当の問題は結び目だ。みんな自分の縄を引っぱって、それを分析と呼んでる」
ブリアンソン。 郡庁の女性副長官が、「すでに帯になっている境を、まだ一本の線として扱いつづけている」と述べた。
クレテイユ。 二十時間の当直を終えた麻酔科医が、都合のいい呼び名に変えて勇気を出そうとしながら、「死荷重」を動かそうとしているだけではないのか、と問いかけていた。
職業も、地域も、言葉遣いの階層も違った。正しさの示し方さえ異なっていた。それでも像は触れ合っていた。詩情のせいではない。
疲れ果てた人々が、ごく当たり前の努力によって、決定が正しさを失う正確な地点を言葉にしようとしていたからだ。長く支えすぎ、早く手を離し、切り分け、守りすぎることで、決定が正しくなくなる地点を。
十四時九分、誰かが扉を一度叩き、返事を待たずに入ってきた。
サラ・ロルムだった。
機構の報告官。おそらく三十五歳。きっちりまとめた髪、細い眼鏡、記憶に残る色のない服。人の領分へ踏み込むようにはできていないが、それでも手順を踏んで踏み込む女だった。
机の紙葉を見て、立ち止まった。
「なるほど」
その「なるほど」には、無垢ではすまないほど多くのものが含まれていた。
イリアは書類挟みを少し閉じた。
「今は形だけノックするの?」
サラは笑わなかった。
「ラスクールが、十五時までにサン=ナゼールの統合記録を欲しがってる」
一秒置いてつづけた。
「それで、マレスコがこれを見せたのね」
イリアは目を上げた。
「知ってるんだ」
「厄介な表現ばかりを埋めた小さな墓地が、ここの記録庫にあることは知ってる。どこかの省庁がその存在に気づくたび、『集合的な明晰さの語彙はいかに生まれるか』みたいな作業部会を誰かが提案することも。すると別の誰かが題名を猥褻だと言い出して、名称を変えて、また同じ恥をかく」
イリアは思わず笑いかけた。
「ただの言葉だと思う?」
サラはもう一脚の椅子を引き、断りもせず座った。
「疲れた人は、手元にあるもので話す。身体。道具。扉。結び目。荷重。線。謎なんかじゃない」
「それでも?」
サラは線という語を見つめた。
「それでも、まるで違う部屋で、決定の前に、嘘が支えを失うまさにその瞬間に浮かび上がってくるなら、何でもないと早々に決めつけないようにしてる」
イリアは尋ねた。
「どうして本腰を入れて調べなかったの?」
サラは廊下へ向けて、手を小さく振った。
「単なる言葉なら、たいして利用できない。別の何かなら、政治的に爆発するから」
誰にも媚びないという点では、申し分のない答えだった。
イリアは紙葉を書類挟みに戻した。
「未整理の退室記録には誰がアクセスできる?」
「地下記録庫。地下二階。デュパンに頼んで」
サラは立ち上がった。
「それから、イリア」
「何?」
「手がかりを見つけても、最初に頭の切れる人たちへ話さないこと」
そう言い残し、来たときと同じ乾いた静けさで出ていった。
十四時十八分、イリアは理論から始めることを諦めた。
資料に向かうことにした。本物の資料に。
地下記録庫
地下二階は、どの内部案内にも載っていなかった。必要なのは職員証と業務用の鍵、それに、一日じゅう物証を保管している男の、疲れた許可だった。行政が後から、よりきれいな物語に仕立て直したがるものの物証を。
デュパンは大工のような手をし、正直な腹が出ていた。行政用語が記述しているのは、ホチキス留めされた力関係にすぎない――そう信じなくなって久しい人間の声をしていた。
彼はイリアの申請書を受け取り、上部にあるマレスコの名を読むと、目を上げた。
「これに自分で署名したなら、あの人は学びたいか、怖い目を見たいか、どっちかだ」
「両方かもしれません」
デュパンは唸った。職業的な賛意を示す顔だった。
地下記録庫に、高尚なところは何ひとつなかった。学術的な薄闇も、宗教じみた静寂もない。ただ可動式の書架、灰色の箱、管理番号、辛うじて抑え込まれた埃、そして、現在の物語へ組み込めなかったものを保管する場所に特有の、変わらない冷気だけがあった。
デュパンは低い台車に八つの箱を載せてきた。
「君の書類挟みにない事例を二つ足しておいた。リヨンとサン=ブリユー。同類の妙なやつだ」
箱の縁を軽く叩いた。
「通常の議事録は上。下に完全性確認票、身振りの記録、呼吸の異常、自由記述が入ってる。要するに、汚れ仕事だ」
イリアは、彼が無言の皮肉とともに差し出した紙手袋をはめた。
二時間、彼女はすでに誰かを傷つけたとわかっている機構を解体するように、記録を読みつづけた。
リヨン。 民間病院、公営透析センター、劣化した送電網で辛うじて維持される公営住宅地区のあいだで、電力配分が衝突した事案。四人の参加者が繰り返した言葉。
「負荷を切ることは、選ぶことではない」
サン=ブリユー。 漁業、衛生管理、魚市場の行政閉鎖の利害が衝突した事案。女性検査官が書いていた。
「自分たちで開き直している傷を、洗いつづけている」
マルセイユ。 狭い扉が現れたのは冒頭でも最後でもなかった。住居を得る権利について議論するのをやめ、その晩、実際に誰が屋外で眠るのかをようやく見据えた、その直後だった。
クレテイユ。 死荷重は誰を指す言葉でもなかった。部署でも、患者でも、過失でもない。相容れない三つの優先事項を一本の待機列として扱わせていた、都合のいい分類を人為的に維持することを指していた。
読み進めるほど、イリアの目に象徴は見えなくなった。見えてきたのは、行政的な抽象語が麻酔の力を失う地点で生まれる、言葉の掴み方だった。
幻ではない。取っかかりだ。
部屋のなかで、決定を目前にした誰かが、公式の文言が嘘をつきはじめる場所を露わにする最小限の形を、ふいに見つけていた。
十六時三十六分、デュパンが、焦げたコーヒーを二つ持って戻ってきた。カップはひどく薄く、礼を欠く仕草を見せるより先に指を火傷した。
開かれた箱を見回す。
「それで?」
イリアは手袋を外した。
「同じ像じゃありません」
「それはありがたい。完全な重なりという奇跡が起きたのかと心配してた」
「同じ操作なんです」
コーヒーを差し出した。
「どういう意味だ?」
イリアは言葉を磨かずに探した。
「ほとんどの場合、誰かが立場を名づけるのをやめて、本物の制約を名づけたときに起きています。肩書から張力へ移るんです。権利、安全、能力、期限とは言わなくなる。境、結び目、重さ、音、手と言う。どこを間違って支えているのか、すぐにわかる」
デュパンは早まって一口飲み、舌を焼いた。
「それはもう」と、息を吹きながら言った。「大臣向けの文書には、あまり気持ちよく書けないな」
「だからこそです」
彼は閉じた箱の上にカップを置いた。
「これを差し出したら、連中が何を欲しがるかわかるか?」
イリアは答えなかった。
彼はつづけた。
「こういう話し方を教えようとする。『境の進行役』だの、『結び目の発見者』だの、『死荷重の専門家』だのを作り出す。半年もすれば、千ユーロの靴を履いた上級管理職が『狭い扉』と言いはじめるぞ」
イリアはマルセイユの箱を見た。
「わかっています」
デュパンは太い指で、サン=ナゼールの紙葉を示した。
「港の女の言葉。あれが持ちこたえてるのはなぜだ?」
「うまい比喩を生み出そうとして、あそこに来たわけじゃないから」
「そのとおり」
彼はカップを取り上げた。
「問題は、人が言葉を見つけることじゃない。ほかの誰かが、その言葉を先回りして欲しがるようになったとき、問題が始まる」
その指摘は、イリアがこんなにも早く触れられたくなかった場所に届いた。
まだ結論ではない。その影にすぎなかった。
十七時八分、イリアはデュパンに尋ねた。
「最初の資料に、参加者名簿はありますか?」
「もちろん」
「ダンケルクに連絡したい」
なぜそれを選んだのか、デュパンは問わなかった。
副資料の書類挟みを開き、一枚の紙を彼女のほうへ滑らせただけだった。
氏名。 マロ・ヴァセ。
事案当時の職務。 埠頭主任代理。
会議観察記録。 寡黙。正確な点に気づくのが遅い。用語を性急にきれいにされることに耐えられない。
業務用携帯電話の番号には線が引かれ、手書きで訂正されていた。
イリアは番号を手帳に写した。
そして電話をかけた。
マロ・ヴァセ
六回鳴ってから応答があった。背後でディーゼルエンジンが響き、風が吹き、きちんと閉まらない金属板が音を立てていた。
「ヴァセです」
「ヴァセさん、明晰の部屋機構のイリア・ダノーです」
短い沈黙。
それから、
「もう代理じゃありません。書類のことなら、港に聞いてください」
「書類ではありません」
背後の音の位置が変わった。肩と頬のあいだに電話を挟み、片手では別の仕事をつづけている姿が浮かんだ。
「十一月十四日にダンケルクで行われた会議について調べています。穀物、汚染、鉄道に関する案件です」
今度の沈黙は長かった。
「ずいぶん前だ」
「ええ」
「なぜ今?」
イリアは周囲の箱を見た。
「ほかの人たちがあまりにうまく説明しはじめる前に、理解したい箇所があるからです」
ヴァセは鼻から息を吐いた。予想以上にましな話を聞いた男の音だった。
「どの言葉です?」
「『結び目』です」
電話の向こうで、金属の扉が大きく閉まった。
戻ってきた声は、さっきより剥き出しだった。
「あれは言い回しじゃない。もううんざりだっただけです」
「それでも、ご本人から聞きたいんです」
ヴァセは尋ねた。
「パリですか?」
「はい」
「なら、本当の意味で聞くのは難しいでしょうね」
イリアは促さなかった。
やがて彼は言った。
「六人でテーブルを囲んで、それぞれが自分に都合のいい停止の仕方を通そうとしてた。衛生部門は倉庫全体を封鎖したい。港は汚染されていない物流を守りたい。鉄道は手順を変えるなら運行を切ると脅す。保険会社は範囲を決めたがる。全員、自分の担当だけなら残りを引き裂かずに切り離せるみたいに話してた」
「あなたは?」
「俺には、埠頭の連中が見えてた」
飾りのない答えが、それ以上大きくなる必要のない事実の重さで落ちた。
「彼らは何を待っていたんです?」
「問題はどの部署がいちばんきれいに署名するかだ、みたいに話すのをやめてほしかった。貨車はもう動いてた。防水布はきちんと留まってない。班は交替する。布の下じゃ、穀物が熱も匂いも汚れも抱えて、まだ動いてた。それなのに部屋じゃ、区切りごとに考えてた」
イリアは二秒置いた。
「それで、結び目は?」
ヴァセはすぐ答えた。まるでその言葉が、今も彼を待っていたかのように。
「結び目ってのは、別々の決定がいくつもあるふりをしていた、その瞬間のことです。本当は、決定は一つしかなかった。もっと広く、もっと早く止めて、その代償を別の形で払うと認めるか。さもなきゃ、それぞれが自分の手続きを守るために自分の縄を引っぱりつづけて、それを緻密さと呼ぶか」
イリアは目を閉じた。
ヴァセの声がモードの声を呼び戻した。職業も、性別も、疲れ方も違う。丁重な分断との闘いだけは同じだった。
「その言葉を口にしたのはいつです?」
「歩いたあとです」
「なぜ、その言葉だったんです?」
電話の向こうで風が強くなった。
やがてヴァセは言った。
「一時間前から身体で感じてたからです。何もかもが同時に引っぱってた。肩も、声も、期限も。連中は正確な話を欲しがった。でも正確さが嘘をついてた。だから『結び目』と言った。利口ぶるためじゃない。それが、そこにあったからです」
イリアはすべて書き留めた。
正確さが嘘をついていた。
「その後、連絡はありましたか?」
「二度。議事録の確認が一度。研修で証言してもらえないかってのが、もう一度」
「それで?」
今度こそ彼は本当に笑った。
「三日間、肺に粉塵を吸い込んだ港湾労働者も連れてくるつもりか、と聞きました。そういう趣旨ではないと言われましたよ」
イリアは黙っていた。
「だから断った。こっちの明晰さだけ欲しがって、それに何がかかったかは要らないって人間には、少し面倒をかけてやらなきゃいけない」
地下記録庫では、三メートル先にいるデュパンが、聞き耳を立てていると思われまいとして、これ見よがしに別の資料を整理しはじめていた。
イリアは尋ねた。
「またお電話しても?」
「どうぞ」
一秒後、付け加えた。
「でも、あの日よりきれいなことを言わせるためなら、やめてください」
通話が切れた。
イリアはしばらく電話を耳に当てたままでいた。
結び目は徴ではなかった。再び全体を取り戻した制約に、ひとまず与えられた名だった。
それがあまりにも鮮明にわかったため、安堵が彼女を怯えさせた。
現実が明晰になりはじめるとき、危険はいつも、そのすぐ後ろにいる。
書けない最初の文書
十八時二十分、帰る前に執務室へ寄るようラスクールに言われた。
副長官の執務室はほかのどの部屋より広かったが、贅沢ではなかった。明るい色の木材。隙のない書類整理。低い照明。建物の乾いた空気のなか、どういうわけか生き延びている観葉植物。エレーヌ・ラスクールはいつも背筋をまっすぐ伸ばして座った。その姿は、疲労を完全には温存できない一方で、それを人前の芝居にすることだけは拒んでいるように見えた。
マレスコはすでにいた。椅子には座らず、窓辺に立ち、目につく資料は持っていなかった。
二人がありふれた進捗報告以上のものを待っていると、イリアにはすぐわかった。
ラスクールが椅子を示した。
「読みましたか?」
「はい」
「それで?」
イリアは灰色の書類挟みを机に置いた。
「あなた方が考えているような意味で、共通する像があるわけではありません」
マレスコが言った。
「聞かせてください」
部屋に仕掛けられた罠が、ほとんど物理的な感触をもって迫った。最悪なのは、それが知的で、開かれ、ほとんど誠実な罠であることだった。こちらに十分な余地を与え、そこで口にした言葉を、後から別の場所で使えるようにする。
「一定の語彙として繰り返されているわけではありません。繰り返されるのは、操作の型です。境、結び目、重さ、線、手。そのたびに誰かが、制度の言葉が嘘をつきはじめる場所で、本物の制約を名づけています」
ラスクールは手を組んだ。
「それだけでも重大です」
「ええ」とイリアは言った。「だからこそ、朗報ではありません」
マレスコは動かなかった。
ただ目だけが、いくらか注意を深めた。
「なぜです?」とラスクールが尋ねた。
「言葉が生まれた本当の場所へ行き着かないまま、その語彙だけを真似ることは、いくらでもできるからです」
短い沈黙。
それからマレスコが言った。
「つまり、こうした形は信頼できる兆候ではあるが、方法として伝達することはできないと?」
「仕事として伝わるよりはるかに早く、戯画として伝わると思います」
ラスクールが尋ねた。
「警報となる指標としてだけ使うなら?」
イリアはかすかに笑いそうになった。
「だけというのは、行政では大きな言葉です」
初めてマレスコが、本物の疲れを見せた。それは彼女よりも、これから起きることをすでに知っている自分自身へ向けられていた。
「それでも文書は必要です。神話でも運用原則でもなく、文書が」
イリアは尋ねた。
「誰のために?」
「明日の朝には、これを専門職化したがる人々のために」
演説よりも、その率直さのほうが彼女の構えを崩した。
ラスクールが言った。
「せめて境界を示してください。してはならないことを」
イリアは書類挟みを見た。それから正面の二人を見た。誠実な厳格さを持ちながら、すでに規模の大きさに巻き込まれているラスクール。危険から身を守るのではなく、危険を洗練してしまう知性を持つマレスコ。
彼女はゆっくり話した。
「部屋に、像を生み出すよう求めてはいけません。参加者に、明晰さの語彙を見分ける訓練をしてはいけない。表現の的確さと、再現可能性を混同してはいけません。何より、制約を美しく語るほど部屋が明晰になると考えてはいけない」
ラスクールはもう書き留めていた。
マレスコは、イリアから目を離さなかった。
「つづけてください」
渡したいかどうかを判断するより先に、言葉がせり上がってきた。
「繰り返されているのは、高次の言語ではありません。人々がついに、自分の職務を美しく見せる幾何学を守るのをやめたとき、言葉に残される痕跡です」
沈黙が、ぎりぎりの長さまで保たれた。
ラスクールはペンを置いた。
「とても強い表現です」
また、あの短い誇りがイリアのなかをよぎった。他人のなかに見ても、自分のなかに見ても、彼女が嫌悪するものだった。
危険はここからも始まる。ある言い回しがたちまち役に立つものになるのを見たときの、安堵から。
マレスコが尋ねた。
「その表現を使っても?」
問い方はほとんど優雅だった。奪う前に許可を求める。それこそが、彼のもっとも恐るべきところなのかもしれなかった。
イリアは答えた。
「その後につづく部分なしには、使わないでください」
彼は待った。
「それを生み出したものから切り離せば、その表現は、まさに自分が告発したものに変わります」
今度はマレスコが目を伏せた。訂正を受けた男としてではない。自分が抱える問題の、正確な形を受け取った男として。
執務室を出ると、中庭にはすっかり夜が落ちていた。あちこちで蛍光灯が灯っている。上の階では誰かが大声で笑っていた。無人の執務室では、プリンターがまだ紙を吐き出しつづけていた。
イリアは廊下を歩いた。調査が今、ようやく本当の意味で始まったのだと感じていた。
これまでは、像が繰り返し現れるかどうかを探していた。
これから探さねばならないのは、あらかじめ望まれないことによってのみ正しく現れる言葉を、権力がどう使おうとしているのかだった。
第II部
権力の優しさ
第5章
公の平静
確かな人材
二十三日後の八時四分、イリアは受信箱に、参加要請十二件、メディアからの依頼三件、そして次の表題がついた共有表を見つけた。
「明晰の部屋向け人材――露出可能性」
よりゆっくり決める方法をついに見つけたと思ったとき、この国の動きは速かった。
機構の廊下では、壁の地図に新しい画鋲が増えていた。ル・アーヴル。メス。クレルモン=フェラン。タルブ。リヨンの電力制御センター。イル=ド=フランスの病院対策室が二か所。それまで誰の意見も求めたことがなかったのに、静かな部屋が好意的な記事をもたらすと知った沿岸部の県庁。
公式には、まだ全国展開ではない。どこでも使われる言葉は変わらなかった。規模拡大。慎重で、蛍光色めいた言葉。拡張を、安全上の指示に見せる言葉だった。
サラ・ロルムがノックもせず扉を押し開けた。
「表、見た?」
「見た」
「G列を見て。あそこで取り繕うのをやめてる」
イリアはファイルを開き直した。通常の採用活動でもあるかのように、項目が平たく並んでいた。氏名、職務、部屋での経験、過去の露出、話し方の質、外見上の印象、知覚される対立性、スタジオ適性。イリアが読み返したのは理解を確かめるためではない。本当にこんなことを書く度胸があったのか、確かめるためだった。
三十二行目に、モード・ドレンヌの名があった。
「きわめて的確、カメラの前では硬すぎる」
次の行は、クレテイユの救急医。
「経験は申し分ないが、疲労が目立つ。全国放送では避ける」
さらに下には、ブリアンソンの元副知事。
「立ち姿がよく、ひと目で安心感を与える」
イリアは尋ねた。
「誰が始めたの?」
サラは肩をすくめた。
「コンサル会社だったと思う。その次に広報。二つの省庁がつづいて、それからは誰が始めたのでもなくなった。上出来な猥褻さは、最後にはひとりでに出回るものよ」
イリアはさらに表を送った。名前の横には、もっと自由で剥き出しの評語が積み上がっていた。
「場を落ち着かせる声」
「無理なく信頼感を与える」
「労組色が強すぎる」
「目つきがやや厳しい」
「非常に有能だが、論旨より先に怒りが伝わる」
イリアはパソコンを閉じた。
「顔を選んでる」
サラは勧められもしないのに座った。
「違う。口を開く前から信じてもらえる身体を選んでるのよ」
暗くなった画面の向こうに、モードの名が残った。
彼女を雑に縛りつけた言葉を通して、イリアはモードの姿を思い返した。カメラの前では硬すぎる。疲労も、正確さも、朝の四時から軽油を待ちながら港を立って守ったことも消えていた。残ったのは、画像としての欠点だった。
侮辱を自分が作り上げたのではないと確かめるためだけに、ファイルを開き直した。
そこにあった。
三十二行目。
表に入ったことで、すでに受け入れられた物事の、平板な静けさをまとって。
九時八分前、イリアの電話が鳴った。公共サービス担当相の官房が、テレビの討論番組に向けて「確かで、わかりやすく、対立を招かない名前を二、三人」欲しがっていた。九時十四分、ある行政学校から、「現代的な識見を体現できる、模範的な女性実務家」を求める依頼が来た。九時二十九分、日曜版の週刊誌が、次の特集を提案してきた。
「国が限界に達したとき、呼ばれる人々」
イリアは電話を拒否し、次の電話も拒否した。
隣のオープンスペースでは、誰かが記事を小声で読みながら笑っていた。自分たちの仕事が威信の衣装を着せられていくのを見る者の、短く、喜びのない笑いだった。
正午を待たず、事態は明らかになった。求められているのは、部屋を持ちこたえさせられる実務家ではない。画面に耐えられる人間だった。
見せられるもの
十時四十七分、テシエは総局四階の映像準備室に八人を集めた。
ガラス張りの窓。整然と並ぶ水のボトル。新しすぎるカーペットタイル。すでに点いた壁面スクリーン。最初のスライドにはこう記されていた。
「明晰の部屋制度――公開実演」
本物の部屋ではない。人に見せられる予行演習だった。
最近起きた複数の危機をもとにした架空の事例で、夜八時のニュースと、教育目的の再放送二回に使われる予定だった。
テシエは、光を扱う展覧会でも紹介するかのように、穏やかな低い声で話した。
「これは見世物ではありません。国民に理解する権利のある仕事の進め方を、目に見える形にするのです」
イメージコンサルタントが、参加候補者の一覧を表示した。各人の名の横には、灰色の背景から切り抜かれた顔写真。その下に、服装上の指示がいくつか並んでいた。暗い色の上着。柄物は不可。光を反射する眼鏡は避ける。
六人の名があった。行政裁判官、元救助作戦司令官、病院診療科長、ネットワーク技術者、女性副市長、地域調停官。
イリアは数秒待ってから尋ねた。
「もっとも厳しい部屋を実際にくぐり抜けた、現場の人たちはどこです?」
テシエより先に、イメージコンサルタントが答えた。
「手法を曇らせずに担える人材を優先しました」
「誰にとって、曇らせずに?」
彼は、選別を配慮に見せる術を心得た男たちの、職業的な笑みを崩さなかった。
「視聴者にとってです」
テシエがすぐ引き取った。
「不要な負担なく見てもらえる人物が必要です。形式に不安を抱かれれば、中身が入っていきません」
イリアは一覧を見た。
ざらつきすぎる名前も、疲れが目立ちすぎる顔もない。成功した決定が現実に払わせた代価を、ひと目で思い起こさせる人間も。
「つまり、モード・ドレンヌは見せられない」
コンサルタントは印刷したメモを確認した。
「ドレンヌさんには明らかな長所があります。ただ、答える前に顎を強く固める癖がありまして」
イリアは彼を見据えた。
「顎を固めるのは、先に産科病棟を抱えた港を、夜通し守ったからです」
部屋の沈黙が、わずかに向きを変えた。テシエだけはまばたきもしなかった。
「だからこそです。視聴者に、それらすべてを一度に受け止めるよう求めることはできません。息のできる入口を残さなければ」
テーブルの端で、女性プロデューサーが付け加えた。
「視聴者が、『自分には重すぎる決定を、この人たちなら託せる』と思える必要があります」
おそらく、それがもっとも剥き出しの瞬間だった。
イリアは尋ねた。
「正しく見抜ける人が、そういう外見でなかったら?」
テシエは資料を閉じた。
「その人たちを見る方法を、いずれ国に学ばせるしかありません」
会議は、画角、テンポ、逆光、上着の襟、テーブルに映る反射といった細部を詰めて終わった。廊下では二人の助手が、ブリアンソンの元副知事の写真をタブレットで三枚並べ、正面とわずかな斜め向きのどちらが映えるか、すでに比べていた。
このとき、手法は配役室を手に入れた。
見本の部屋
実演は六日後、国立危機支援センターのガラス張りの部屋で行われた。
仕切りの向こうには、三脚に据えられたカメラ、記者二人、演出家、ヘッドセットをつけた助手たち、入館証を配る研修生、そして、あまりにきれいにアイロンをかけられた上着の襟にマイクを留める音声担当者がいた。部屋には乾いた空調、冷めたコーヒー、照明に温められた布の匂いが漂っていた。
架空の事例は、熱波のさなかの水不足だった。地域病院、野菜生産地区、観光地の三自治体、高齢者介護施設、瓶詰め工場。全員に行き渡るだけの量はないと、誰もがすぐ理解できるたぐいの状況だった。
イリアはテーブルにつかなかった。単なる観察役という名目で、サラとともにガラスの向こうに残る許可を得ていた。
「何を見る?」とサラが尋ねた。
「うまくまとまりはじめる瞬間」
会議が始まった。
何もかもが完璧だった。姿勢、沈黙、言い直し、発言と発言のあいだに置かれる呼吸。まるで時間そのものが指示を受けているようだった。
行政裁判官は話し方がうまかった。技術者はさらにうまかった。病院の診療科長は、一語ごとに、もう一枚ガラスを抜けなければ国民に届かないかのように慎重に量った。
十四分目、地域調停官が言った。
「この境を単なる平均値として扱いつづければ、水量より先に、人を失います」
ガラスの向こうで、記者の一人があからさまな喜びを浮かべて目を上げた。
十八分目、女性副市長が、早々に外してはならない支えの線について語った。演出家は進行表の余白に走り書きした。
イリアの腹が縮んだ。
言葉の出方が、よすぎた。嘘でも空疎でもない。だが、すでに用意されていた。
灰色の紙葉にあった語彙は、本当に理解されるより先に、記録庫から出はじめていた。
会議が進むにつれ、問題は鮮明になった。不器用に割り込む者はいない。自分の立場を守ろうとしていることを露骨に見せる者も、声を荒らげる者もいない。そのかわり、誰ひとり、言葉のなかで自分の一部を賭けているようには見えなかった。
最終決定は整然としていた。分野を横断し、根拠があり、ほとんど模範的だった。観光用途の一時的な削減、重篤医療の優先的維持、孤立した高齢者への物流支援、損失が一定水準を超える野菜生産者への部分補償。
ガラスの向こうで、演出家がつぶやいた。
「とても明快だ。全部わかる」
サラは答えなかった。
少し離れた壁際の折り畳み椅子では、資料準備のために来ていたネットワーク技術者が、撮影されることなくテーブルを見つめていた。地区ごとの断水、上層階の室温上昇、停止するエレベーター、建物によっては人力で運ばなければならない水の容器について、現場報告を書いたのは彼だった。サービス継続の話が出たとき、彼は少し身を乗り出し、それからまた椅子の背に戻った。
誰も発言を求めなかった。
役どころが違った。
その隣の椅子にはビニール袋があり、サンドイッチ二つ、潰れたバナナ、輪ゴムを巻いた携帯電話の充電器が入っていた。イリアは遅すぎる恥とともに、その細部に気づいた。彼の報告も、数値も、非常用の系統も、すべて知っていた。何時から待っているのかは知らない。誰が呼んだのかも、食べる前に帰されるのかも。
部屋はもう、彼を使い終えていた。
実演が終わると、六人の参加者は控えめな謝意と、大量の写真と、この国がすでにほかのどんな賛辞より好みはじめていた言葉を受け取った。
「とても安心感がありました」
イリアはガラスを見た。テーブルを見た。顔を見た。
それは間違いではなかった。ただ、真実がもう、見せられる形で現れるようになっていた。
夜の女
その晩、イリアは遅く帰宅した。長居しすぎた空調の効いた場所と、止められなかった言葉の、乾いた味が口に残っていた。
台所の流し台の上にある小さな明かりだけを点け、立ったまま食事をした。それでも結局、テレビの音を出した。
ニュース専門局では、かつて公開予備選挙や市民会議、戦略委員会について語ったのと同じように、明晰の部屋について語っていた。民主主義への疲弊と、代わりになるものへの期待。その二つが混ざり合い、対象を理解するより先に持ち上げていく。
スタジオの中央で、一人の女が誰を急かすこともなく話していた。
まとめた髪、暗い上着。ほとんど平凡な顔立ちだったが、その身振りはどれひとつとして、彼女自身からあふれ出してはいないと、やがてわかる。
名前の下に字幕が出ていた。
「ヤエル・セール――元実務家、公共審議コンサルタント」
司会者は今、明晰の部屋が新しい行政宗教になる恐れはないかと尋ねたところだった。
ヤエル・セールは笑わずに答えた。
「宗教は、その代償を見ることを免除します。名に値する明晰の部屋は、むしろ代償をさらによく見るよう求めます」
悪い意味で輝くことのない、よい答えだった。的確である以上の何かを狙ってはいなかった。
議員が、いつもの非難をぶつけた。
「どれも市民にはひどく抽象的な話でしょう」
ヤエルはわずかに顔を彼へ向けた。
「いいえ。抽象的なのは、水資源の調整について語りながら、エレベーターが止まったら誰が水のパックを四階まで運ぶのか問わないことです」
スタジオが黙った。
イリアも黙った。
実演のあいだ壁際に残された技術者を、同じ瞬間に思い出した。ヤエルはわずかな言葉で、彼を部屋へ戻していた。
不安を覚えさせたのは、彼女の話し方がうまいことではない。スタジオのためだけでなく、事実において正しいことだった。
そう考えるより先に、イリアのなかには、もっと低く、もっと素早い、どこにも書き留めはしない考えが生じていた。ヤエルが四階と言ったときの唇。首筋の端に一瞬浮かんだ腱。肘掛けの上に、誰にも何も求めていないかのように開かれていた左手。単なる感嘆ではなかった。身体が思考より先に信じはじめる、判断の厄介な領域がそこにあった。一瞬、言葉の正しさと、それを担う女の近くに身を置きたいという欲望を取り違えた。
イリアはすぐさま、そんな自分を嫌悪した。衝動が卑しいからではない。明晰の部屋だけが賛同を生み出すのではないと、証明してしまったからだ。顔、声、スタジオの光のなかに保たれたうなじ。それらは、手法が何か月もかけて整えることを、二秒で成し遂げる。他人よりうまく混乱を支えてくれる人なのだと、信じたくさせる。
司会者は、ほとんど無意識に声を落とした。議員は主導権を取り返そうとしたが、番組の中心はもう移っていた。
画面下には、視聴者のメッセージが流れていた。
「ようやく真面目な人が出てきた」
「こういう人たちに政治を任せるべきだ」
「ほっとする」
イリアは音を消した。
メッセージだけが、沈黙のなかを流れつづけた。
電話が震えた。
マレスコからのメッセージだった。
「明日、十二時三十分。ヴァレンヌ通りで昼食。ヤエル・セールも同席する」
イリアは二度読み返した。
それから電話を伏せて、テーブルに置いた。
暗い画面のなかで、スタジオはどこかに灯る一室のように、まだ消えずにいた。
明日、あの顔が彼女と同じテーブルにつく。
第6章
透明な人々
ヴァレンヌ通り
十二時二十三分、イリアは軽すぎる鞄を持って最初の保安検査を通過した。いちばん重いものを忘れてきたような、馬鹿げた感覚があった。
ヴァレンヌ通りには、沈黙した正面玄関、慎ましすぎる門、昇降式の車止めのそばで声を潜めるスーツ姿の男たちのなかに、歴史を収めてしまう、いかにもフランスらしいところがあった。権力を声高に告げるものは何もない。まさにそれが問題だった。ここの権力は、従わせるために姿を見せる必要などないと、とうに学んでいる。
係員がタブレットで彼女の名を確認した。
「ダノーさん。昼食会議、待合室Bです」
昼食と会議が、昔から同じ行政上の家系に属していたかのような言い方だった。
中庭では黒い車が二台、エンジンを切って待っていた。女が三つの書類挟みを腕に抱え、肩と耳のあいだに電話を挟んで、脇の階段を下りてきた。さらに奥では、庭師が濡れた落ち葉を載せた手押し車を押し、誰にも目を向けなかった。イリアは一秒長く彼を見つめた。砂利を踏む金属の音は、廊下のひどく淡い金箔よりも彼女を安心させた。
マレスコが内窓の前に立って待っていた。
「来てくれてありがとう」
「招待という言い方ではありませんでしたけど」
口元の端がわずかに動いた。
「ええ」
前日より疲れて見えた。あるいは、会議用テーブルがないぶん、守りが薄くなっているだけかもしれない。暗いネクタイ、ありふれたスーツ、手にした薄い資料。目を引くものはない。彼の優しさには、いつも鍵がついていた。
「ヤエル・セールはもう?」
「待合室にいます」
「会わせるために呼んだんですか。それとも、私に承認させるため?」
マレスコは間を置いた。廊下で案内係が扉を開け、二人の顧問を通し、音もなく閉めた。
「私たちに見えていないものを、彼女が見ているか確かめるためです」
「見えすぎていたら?」
彼は手元の資料に目を落とした。
「なぜそれがあなたを不安にさせるのか、突き止めなければならない」
きれいな言い方だった。きれいすぎるかもしれないが、不誠実ではない。そこがマレスコを難しい男にしていた。国家は、盲目でなくなる正しい方法さえ見つければ、まだこの国を支えられると、本気で信じている。
二人は二つの控えの間を抜けた。最初の部屋には、温かい紙と古いコーヒーの匂いがした。次の部屋はもっと小さく、業務用階段に面していた。飾り台の上に、グラスの盆、水差しが三つ、無用なほど正確に畳まれたナプキンが置かれている。青いスーツを着た若い女が、歩きながら文書を読み返していた。読むのをやめないまま、二人を通すために脇へよけた。
イリアは尋ねた。
「あの人は?」
マレスコは彼女の視線を追った。
「カミーユ・アルトー。官房職員です。実証事業の進捗を管理している」
「一緒に昼食を?」
「いいえ」
そっけなさはなかったが、答えが出るのが速すぎた。あまりにも当然だったのだ。
待合室では、ヤエル・セールが窓辺に座っていた。携帯電話は見当たらず、飲んでいないカップの両脇に手を置いていた。マレスコが名を口にするより先に立ち上がった。
間近で見ると、画面のなかほど滑らかではなかった。脆いのではない。映像に差し出される度合いが低かった。口元にはごく細い緊張が残り、規律によって抑えられた古い疲れのようにも見えた。イリアはすぐに、そこから欠点を探した。偽りの平静を。恐れが湧き出すはずの、感覚の欠けた一点を。
ヤエルは手を差し出した。
「イリア・ダノー」
ようやく、とは言わなかった。
会いたかった、とも言わなかった。
ただ彼女の名を口にした。人々が利用しはじめる前に、名前を本来の場所へとどめておこうとするように。
手は温かかった。握り方は強く、短く、何も誇示しなかった。
「ヤエル・セール」とイリアも答えた。
「存じています」
マレスコは隣室に用意されたテーブルを示した。
「三人です」
ヤエルは廊下のほうを見た。
「いいえ。四人です」
マレスコはわずかに顔を向けた。
「何です?」
「実証事業の進捗を管理しているのは、カミーユ・アルトーですね?」
「必要なら、後から同席させられます」
「先に必要になります」
沈黙の密度が変わった。階層の小さな機構が、次に噛み合う歯を探すのを、イリアは感じた。
マレスコが尋ねた。
「なぜです?」
ヤエルはカップを持ち上げ、元の場所へ戻した。
「この国に何を見せられるか、これから話すのでしょう。部屋を見えるものにするため、現場が何を払っているか、彼女はすでに知っています」
イリアはマレスコを見た。不快そうではなかった。むしろ先を越された顔だった。彼の場合、それはさらなる静止となって現れた。
「わかりました」
扉を開け、案内係に合図した。
イリアは不本意ながら、苛立ちが湧くのを感じた。ヤエルは、まさに正しいことをした。そしてイリアより先にした。
白い皿
テーブルは、儀礼的であるには小さすぎ、簡素であるには整いすぎていた。
白いクロス、艶を消した銀の籠に入った薄切りのパン、あらかじめ置かれた三枚の皿。それから四枚目が急いで加えられた。不意の出来事さえ朝から予定されていたように見せねばならない館に特有の、完璧な速さで。
カミーユ・アルトーは、背筋を伸ばした居心地の悪さとともに、テーブルの端へ座った。三十歳前かもしれない。あるいは、あまり眠らず、ろくに食べず、恐れることを終える前に要約文書のような話し方を身につける官房職員たちの、年齢のわからない顔をしていた。
「このレベルのお話に、私がお役に立てるかどうか」
ヤエルが答えた。
「そう思うときは、たいてい逆です」
マレスコは聞き流した。もう平静を取り戻していた。
「この制度が、それ自体の階級を生み出すことは避けたい。昨夜の放送はご覧になったでしょう。この国が何を受け取ったかも」
イリアが言った。
「国が受け取るのはいつも、見るための労力をいちばん求めない顔です」
ヤエルが彼女を見た。
「それだけではありません。昨夜、国は初めて、自分を子供扱いしない言葉も受け取った」
彼女が正しいことを、イリアは憎んだ。
最初の料理が運ばれてきた。冷たく白い皿に、燻製魚が少し、ハーブが数枚、一本のクリーム、そして国家的な統制力の証拠のように配置されたラディッシュが三切れ。給仕は音もなく皿を置いた。カミーユはマレスコがフォークに触れるのを待ってから、自分のフォークに触れた。
ヤエルはそれを見た。イリアも半秒遅れて見た。
「アルトーさん、実演後の報告には目を通しましたか?」とヤエルが尋ねた。
カミーユはフォークを置いた。
「はい」
「提出された文書に、記されていないことは?」
マレスコは口を挟まなかった。彼にはこういう知性もあった。起こりうる過ちの輪郭が見えはじめると、ときには最後まで姿を現させることを選ぶ。
カミーユはためらった。
「事例のもとになった県庁から、連絡がありました」
「どこから?」
「主に現場の部署です。高齢者介護施設の責任者。水道事業組合が二つ。訪問介護の団体が一つ。架空の事例に、自分たちの案件の要素を見つけました。公式には、もちろん認めていません。ただ、どこから断片を取ったのか、わかったんです」
イリアが尋ねた。
「材料にされたと苦情を?」
「正確には違います」
カミーユはマレスコ、それからヤエルを見た。イリアは見なかった。まるでイリアもまだ、答えの代償を負うことなく質問できる側の人間であるかのように。
「画面で示された決定は、現実の決定の多くより優れているそうです。でも実際には、あの期限、あの人員で、あのとおり実施できる人はいない、と。エレベーターはすでに故障している。職員は欠勤。車両は共同利用。高齢者のなかには、知らない相手には扉を開けない人もいます」
ヤエルは頷いた。
「それです」
「何がです?」とマレスコが尋ねた。
「決定の明晰さを見せた。重さは見せなかった」
あまりに的確な指摘で、イリアには単なる言い回しとして退けることができなかった。前日、ガラスの向こうで、彼女はネットワーク技術者のことを考えた。そこにいるのを見て、部屋に欠けていることまで理解した。それでも、その明晰さを口に残したまま家へ帰り、それ以上は何もしなかった。
ヤエルは、反応を取り寄せていた。
イリアが尋ねた。
「未編集映像を見たんですか?」
「はい」
「番組の前に?」
「議員へ答える前に」
カミーユは皿に目を落とした。
マレスコが言った。
「あれは実際の部屋ではありません」
「だからこそです」とヤエルは答えた。「行政の作るフィクションが危険なのは、自分の死者を引き受けずに、自分たちの好みを露わにするからです」
死者という語が、予想以上の硬さでテーブルにぶつかった。マレスコはその語を気に入らなかった。間違っているからではない。出てくるのが早かったからだ。
「死者の話はしていません」
「まだ、していないだけです」
給仕が水を持って戻った。グラスが満たされるあいだ、誰も口を開かなかった。イリアはヤエルを観察した。震えも、目に見える硬直もない。だが左手の親指がテーブルの縁の下に滑り込み、ほとんど痛みを伴う強さで、人差し指の爪を押していた。
空っぽの女の仕草ではなかった。
それに気づいたときには、もうイリアの役には立たなかった。
透明な人々
マレスコはようやく資料を開いた。
「私たちが求めているのは、公開に関する運用原則です。明晰の部屋を秘密裏に全国展開しておいて、国民のために仕事をしていると後から信じろと言うわけにはいかない」
イリアが言った。
「運用原則だけを探しているんじゃない。象徴となる人物を探している」
「そうです」
彼はその言葉から身を守ろうとさえしなかった。
「制度を単なる舞台装置や流行や、新しい統治儀礼に矮小化せず、公に担える人々を探しています。この国は疲弊している。何もかもを疑っているし、ときにはその疑いが正しい。だから顔が必要です」
カミーユがメモを取った。ペンが紙を掻く、ごく小さな音。彼女より地位の高い人間で満ちた部屋で、その微かな音は、まだ誰にも言葉にされていない異議のようにイリアには聞こえた。
ヤエルが尋ねた。
「欲しいのは顔ですか。それとも証人ですか?」
マレスコは目を上げた。
「違いは?」
「顔は、話すより先に安心させる。証人は、起きたことを考慮するよう強いる」
イリアは共有表のモードを思った。「きわめて的確、カメラの前では硬すぎる」。モードは顔ではない。立っている一つの帰結だった。
「証人は恐怖を与える」とマレスコが言った。
「ええ」
「この国はもう、怯えています」
ヤエルはパンを一切れ取り、二つに割った。その二切れを、食べることなく皿のそばに置いた。
「恐怖には二種類あります。見ることを妨げる恐怖と、性急に嘘をつくことを妨げる恐怖です」
カミーユのペンが止まった。
ヤエルの力が、少しずつ形を見せはじめていた。ほかの誰より声を張るわけではない。温かさで魅了するわけでもない。ただ議論を、居心地のいい説明に戻れば少しだけ品位を失ったように見える、その地点まで移す。
恐るべき力だった。
マレスコが話を戻した。
「では、当事者をもっと表に出せと?」
「いいえ」
「しかし、たった今……」
「可視性と存在を混同するのをやめよう、と言っているんです」
あまりに鮮やかな答えに、イリアは危うく天井を仰ぎそうになった。だがヤエルはカミーユへ顔を向けた。
「反応のなかで、四階について話したのは誰です?」
カミーユは資料をめくった。
「ネットワーク技術者です。実演の際、現場にいた人です」
「名前は?」
「ジェローム・ケリアン」
ヤエルはイリアを見た。
「あなたは彼を見ていた」
質問ではなかった。
イリアは思ったより険しい声で答えた。
「ええ」
「なぜ発言しなかったんです?」
「参加者ではなかったから」
「それは理由ではありません。手続きです」
怒りが込み上げた。正確にはヤエルに対してではない。その指摘が、イリアのまさにその場所へ触れたことに対してだった。実演を設計したのは自分ではない、と言えた。自分はガラスの向こうにいた。参加者の構成にはすでに異議を唱えた。テシエも、イメージコンサルタントも、表象を作るあの小さな機構全体も、彼女より先にテーブルにつく人間を選んでいた。
だが何も言わなかった。
ヤエルも追い打ちはかけなかった。
「彼のような人は、たちまち透明になります。その人が担う状況を、私たちは身体越しに見る。そして、本人がまだそこにいることを忘れる」
透明、という言葉が空気に残った。
資料のなかで与えられていた清潔さは、もうなかった。明るい、わかりやすい、曖昧さを取り除かれた、という意味ではない。貫かれている、という意味だった。
マレスコは資料を閉じた。
「何を提案しますか?」
「次の公開実演について?」
「全体についてです」
ヤエルは二切れのパンを見た。
「公的決定を生み出す明晰の部屋には必ず、現場で実行責任を負う者を一人参加させ、中断権を与えることです」
カミーユが顔を上げた。
「中断権ですか?」
「ええ。飾りの証言でも、事後の報告でもない。言葉がきれいになりすぎた瞬間に、その文言を止める権利です」
イリアは危うく笑みを浮かべるところだった。しかしマレスコが、困難、抵抗、統御不能だと叫ぶ省庁、責任の混乱だと言い出す知事たち、撮影中の裁定を現場職員に遮らせたくない官房を、頭のなかで計算するのが見えた。
「進行不能になる部屋も出るでしょう」と彼は言った。
「いいえ。売り込めなくなる演出が出るだけです」
今度はカミーユが、間を置かず書き留めた。
イリアはヤエルを見た。彼女への不信を、傷ひとつない、清潔なまま、この先のために保っておきたかった。だが、その清潔さは崩れてしまった。制度に貫かれながら見られなくなりつつある人々を、ヤエルはイリア以上にうまく擁護したのだ。
それでも不安は薄れなかった。
場所を変えただけだった。
空いた席
デザートは浅い器で運ばれてきた。煮た洋梨、軽いクリーム、砕いたヘーゼルナッツ。誰にも、本当の食欲はなかった。
マレスコはカミーユに残るよう言った。今度は譲歩した修正ではなく、完全な決定として告げた。
「公開に関する文書を作り直します。実行責任者について、独立した項目を設ける」
カミーユは頷いた。
「現場からの反応を十八時までに組み込めます」
「いいえ」とヤエルが言った。
カミーユはまばたきした。
ヤエルはつづけた。
「明日の朝に。十八時までに書けば、今夜中に読むのは、眠る前に決めたがる人たちです。あなたの慎重さは残しても、疲労は削るでしょう」
若い女は、ごく小さく、恥じるように笑い、すぐ表情を戻した。
「私の疲労は、資料とは関係ありません」
「資料の質に関係します」とヤエルは言った。
今度こそ、イリアはマレスコが言葉を受けるのを見た。彼は反論しなかった。カミーユを少し初めて見るような目で見た。これまで無関心だったからではない。この館全体が、何より先に職務を見るよう彼を仕込んでいたからだ。
「明日の朝」と彼は言った。「九時に」
カミーユは答えた。
「ありがとうございます」
ただの礼だった。芝居も、あからさまな安堵もない。だが肩からは、無理に保っていたものが少し抜けた。
これが疑いようのない、人に対する奉仕なのだとイリアは思った。大掛かりな救済でも、称賛に値する行動でもない。疲れる権利もないまま正しさについての文書を書く人に、一時間を返しただけ。
これほど説得力がなければよかったのに、と思った。
マレスコは立ち上がり、隣の待合室へ電話を受けに行った。カミーユは書類をまとめ、見本の部屋の記録を送ってもらえるかとイリアに尋ねた。イリアは午後の終わりまでに送ると約束した。彼女の後ろで扉が閉じると、ヤエルとイリアは数秒、二人きりになった。
窓の外では、庭師が空の手押し車を押して、また通り過ぎていた。
イリアが言った。
「番組の前に、未編集映像を取り寄せた」
「ええ」
「なぜ?」
「テレビのスタジオは、いつも縁で嘘をつくから」
「明晰の部屋は?」
ヤエルはナプキンを皿のそばに置いた。きっちり二つに畳んで。
「そこもです」
その「そこも」が、この昼食で初めて贈られた本物のものだった。まだ完全な告白ではない。だが、国が彼女のまわりに作りはじめた像に入った亀裂だった。
イリアは尋ねた。
「自分がどう利用されるか、わかっていますか?」
ヤエルは笑わなかった。
「もちろん」
「それでも来る」
「ええ」
「なぜ?」
ヤエルはカミーユが座っていた場所を見た。
「私がいてもいなくても、彼らはやります。それに、ときには利用されることで、物事が完全な偽物になるのを防げる場所へ、まだ近づけるから」
その言葉はイリアを安心させるはずだった。
逆の作用をした。
「危険な正当化です」
「ええ」
ヤエルは弁明せず認めた。それから付け加えた。
「あなたの正当化も」
イリアの首筋が硬くなった。
「私の?」
「あなたは、明晰さが、それによって救うと称する人々へ牙を剥くのを防げると信じて、この制度に残っている。そうかもしれない。でもそれは、あなたが捕らわれたことに与えた、名誉ある形にすぎないのかもしれない」
一瞬、イリアは第7室のテシエを思い出した。顎をほんのわずかに上げ、すでに部屋の外へ出ていた男。それから、窓辺のマレスコ、灰色の書類挟みを前にしたラスクール、自分の執務室にいたサラ、共有表のなかのモード、ガラスの向こうの折り畳み椅子に座ったジェローム・ケリアン。一つのものに、それぞれの仕方で捕らえられた全員。そのものは、人の命を救うことから始まったのだ。
イリアは答えた。
「では、あなたが捕らわれたことに与えた、名誉ある形は?」
初めてヤエルは、本物の沈黙を通した。そのなかで答えは、支配力を誇示するのではなく、自分の縁を探していた。
「手遅れになってから見ることへの恐れです」
何を手遅れになってから見たのか、イリアが尋ねるより先に、マレスコが戻ってきた。
最初のものより厚い、新しい資料をテーブルへ置いた。白い表紙。目につくロゴはない。上部に表題だけが印刷されていた。
「地域裁定――病院機能の継続と施設の部分閉鎖」
開かれるまでもなく、次の部屋がそこへ入ってきた。
マレスコは席に戻った。
「明日、十時。限定明晰の部屋です。二人とも出席してください」
ヤエルは資料に触れなかった。
イリアは開いた。
一ページ目には、三つの医療施設、二つの谷、交通網の地図、所要時間、そして、これから世界へ要求しようとすることを、すでにきれいに見せようとしている文言があった。
「全体的安全性の制約下における合理化」
イリアは透明な人々のことを思った。
明晰に見るため、間もなく視線に貫かれる者たちを。
第7章
汚れなき決定
三つの拠点
九時三十七分、イリアのもとに参加者の最終名簿が届いた。
廊下に立ったまま、コーヒーを手に、一口も飲まずに目を通した。
エレーヌ・ラスクール。エルヴェ・マレスコ。地域保健庁長官。中央拠点の救急医。谷間の自治体から首長が二人。職員代表。ヤエル・セール。そして最後の行に、仰々しい肩書もなく、ひとり付け加えられていた。
「ラシッド・メジアーヌ、夜間搬送・現場統括責任者」
イリアの目は、その名にとどまった。
前日、ヤエルは、公的な決定を生み出す明晰の部屋には、実際の運用を担う者を必ずひとり加え、発言を中断させる権利を与えるよう求めていた。マレスコは反対しなかった。ただ官房に、自陣営を守りに来るのではなく、実際に何が起きるかを語れる者を探せと命じただけだった。
見つかったのが、ラシッド・メジアーヌだった。
あるいは、短く話す術を知っているから選ばれたのかもしれない。
少人数の明晰の部屋は、誰も正式名称では呼ばない建物の三階に設けられていた。地域継続支援省庁間センター。入館証にはただ、CIACとある。略語には、ものが匂い立つ前に干からびさせられるという利点があった。
可能なときはいつものように、イリアが最初に入った。
第7室より広く、新しくもあった。コルク材はない。床は艶消しの灰色、分解式の楕円卓、椅子が十二脚、消えたままの画面が二つ。移動式パネルにはすでに地図が留められていた。サン=ブレヴァン=デ=オー、ラ・ロック=サリーヌ、ヴァルドゥール。三つの病院拠点が青い点で示されている。褐色の山塊を挟んで、両側へ二つの谷が下っていた。道路は夜間の所要時間に応じて、橙、赤、紫に塗り分けられている。ところどころ、線の太さが傷口のように見えた。
イリアは座らずに数字を読んだ。
ヴァルドゥール――高度医療設備一式、集中治療、夜間画像診断、手術室は人員確保を条件に稼働維持。
サン=ブレヴァン=デ=オー――二十四時間救急、緊急手術は危機的な逼迫状態、麻酔科医は非常勤。
ラ・ロック=サリーヌ――名目上は夜間受け入れ、医師の常駐は不連続、二次搬送は三十八パーセント増。
資料のどこにも、閉鎖とは書かれていなかった。
調整型継続体制、受け入れ能力の集約、診療経路の安全確保、地域救急医療の段階化。
イリアはファイルを置いた。
扉が開き、エレーヌ・ラスクールが入ってきた。濃色のスーツに、装飾品のない白いシャツ。背筋を崩さないその疲労が、彼女を冷たいというより、情にほだされにくい女に見せていた。地図を見てから、イリアを見る。
「眠れました?」
「少し」
「悪い兆候ね」
「私にとって? それとも案件にとって?」
エレーヌは椅子に鞄を置いた。
「文章にとって」
それ以上は言わなかった。疲労はときに文章を美しくしすぎ、硬くしすぎる。夜を越えたというだけで、自らを真実だと信じる文章にしてしまう。それを彼女も知っていた。
次にマレスコがヤエルとともに入ってきた。
二人は口をきいていなかった。その沈黙に親密さはなかった。どちらも勝てなかった会話が、たった今終わったような沈黙だった。
ヤエルは軽くうなずいてイリアに挨拶した。
「ダノーさん」
「セールさん」
前日、二人は互いに一撃ずつ、名誉を保ったまま奪い合って別れた。今日は、赤い道路が、人の身体が死ぬまでに何に耐えられるかを説明しようとする地図の前で再会していた。
ほかの者たちは、二、三人ずつまとまって入ってきた。
地域保健庁長官はドニ・オーヴレといった。青白い顔、禿げ上がった頭、細い眼鏡。「恥ずべき」とは決して言わずに「不足している」と言う術を、長年かけて身につけてきた男なのだろう。
中央拠点の救急医、エリーズ・ノルマン医師は短い髪に褐色の隈を浮かべ、携帯電話を画面を下にして卓上へ置いた。会議などに出ていることを責めようと、世界がいつ呼び出してくるかわからないという置き方だった。
サン=ブレヴァン=デ=オーの市長、リュシアン・マールは、手紙で膨れたファイルを抱えて入ってきた。毛織りの上着、分厚い手。頭の中では同じ戦いに何度も敗れ、それでも敗北を認めようとしない男の顔をしていた。
ラ・ロック=サリーヌの市長、オディール・ガルサンは、ほとんど侮辱に近い柔らかさで全員と握手した。滅多に笑わないが、その顔は開かれたままだった。用意された筋書きの中へ入ることを、まだ拒んでいるかのように。
職員代表のティエリ・カペルは、自分からは誰とも握手しなかった。差し出された手だけを握った。白衣を脱ぎ、暗い色のセーターを着ている。広い肩、赤い目。病院の石鹼と冷えた煙草の匂いが、かすかにした。
最後にラシッド・メジアーヌが、定刻ぴったりに到着した。ただし、正しい部屋へ入る許可を得る前に、別の仕事を片づけてこなければならなかった人の顔をしていた。五十歳くらいだろうか。黒いブルゾン、くたびれた靴、短い髭。資料ではなく、ごく小さな手帳を持っていた。後ろから来た補佐官が、奥の椅子へ案内しようとした。
ヤエルがそれに気づいた。
「メジアーヌさんの席は、テーブルです」
補佐官の動きが止まった。
マレスコが声を荒らげずに付け加えた。
「私の右へ」
異を唱える者はいなかった。
ごく微かな変化が室内を走った。勝利ではない。ただ、居心地の悪さが別の場所へ移っただけだった。ラシッド・メジアーヌはマレスコの右に座り、小さな手帳を前に置くと、地図を見た。背中や脚や疲労で、すでに何度も味わった道を見る目だった。
エレーヌ・ラスクールが扉を閉めた。
「始めましょう」
夜の道
最初の三十分は、明晰の部屋とは似ても似つかなかった。
むしろ、明晰の部屋が防ぐために考案されたもの、そのものだった。
地域保健庁長官は、一分の隙もない慎重さで数字を示した。医師の欠員率。埋まらない当直。二次搬送。三拠点すべてが公式には開いていたものの、実際に完全なチームが揃っていたのは一拠点だけだった夜の数。
嘘はついていなかった。
そのことが、かえって始末に悪かった。
二人の市長は、これから死ぬかもしれない人々を差し出した。
リュシアン・マールは、トラクターから落ちた子供のことを話した。呼吸困難に陥った元坑夫のことを。峠道が、パリの技師の悪い冗談に変わる冬のことを。オディール・ガルサンは、もっと低い声で話した。地域とは言わなかった。村の名を一つずつ挙げた。フォン=ラーズ。レ・ボリー。オートフイユ。急流を見下ろす古い老人ホーム。レ・パン地区では、年老いた女たちが、本当に息ができなくなるまで救急を呼ばない。迷惑をかけたくないからだ、と。
ティエリ・カペルはしばらく黙ってから、言った。
「うちの者たちは、倒れています」
疲れているとは言わなかった。倒れている、と言った。前線を語るように。
「継ぎはぎの勤務表で夜を持たせている。ひとりにしてはいけない研修医をひとりにして、別の病院で当直を終えた医師に百二十キロ走らせる。三つの拠点が存在するふりをしているんです。存在するのは看板の上だけだ。廊下にはない」
看板という言葉が、声にならない震えを室内に走らせた。誰もが心の内で、一歩退いた。
イリアは手を見ていた。
地域保健庁長官は両手を前で組んだまま、指を絡ませ、親指も動かさなかった。リュシアン・マールは気づかぬまま、手紙の角を揉み潰している。オディール・ガルサンは両手を平らに置いていたが、小指だけがかすかに震えていた。エリーズ・ノルマンはほとんど地図を見なかった。見ているのは出口だった。扉、ガラスの向こうの廊下、伏せた電話。
ラシッド・メジアーヌはまだ何も言っていなかった。
ヤエルも。
十時四十二分、イリアは歩行を提案した。
少人数会議の手順にはなかった。エレーヌが彼女を見た。マレスコも。
「三分だけ」
地域保健庁長官は意外そうな顔をした。
「かなり厳しい日程で動いておりますので」
「だからです」
好意的な返しではなかった。イリアはすぐに悔いた。彼のためではない。自分のために。その一言へ、満足を込めすぎた。
真っ先に立ったのはヤエルだった。
次にラシッド・メジアーヌ。
そうなると、ほかの者たちに実質的な選択の余地はなかった。
イリアが示した向きに、ゆっくりと卓の周りを歩いた。心を鎮めるためでも、深遠な人間になるためでもない。身体が、資料の陰へ隠れるのを数分だけやめるためだった。
はじめ、部屋は抵抗した。
リュシアン・マールは、信用していない儀式への参加を拒むように歩いた。ドニ・オーヴレは市長たちと目を合わせまいと、床を見つめたままだった。ティエリ・カペルはわずかに足を引きずっていた。古傷なのかもしれない。廊下で立ったまま待ちすぎたせいかもしれない。エリーズ・ノルマンはすぐに自分の歩調を見つけたが、呼吸は浅いままだった。
イリアはヤエルを観察した。
とりたてて優雅な歩き方ではなかった。それが拍子抜けするほどだった。超自然的な気配も、人を包む静けさもない。ただ、低く身を縮めるような注意だけがあった。そこにない言葉よりも、各々の身体が、いまだ譲ることを拒んでいる箇所へ耳を澄ましているようだった。
二周目、ラシッド・メジアーヌは地図の前で歩みを緩めた。
半歩。
それだけだった。
イリアは見た。ヤエルも。
三周目で、イリアは歩行を止めた。
すぐに座った者はいなかった。
イリアは尋ねた。
「どこが、嘘をついていますか?」
今度は、その問いに驚く者はいなかった。悪い兆候だった。明晰の部屋の言い回しはすでに充分広まり、どのような形の誠実さを期待されているか、皆が知るようになっていた。
最初に答えたのは地域保健庁長官だった。
「地図が、所要時間について嘘をついています」
「どういうふうに?」
「平均所要時間を示しているだけで、実際に保証できる時間ではありません。雪、霧、夏場の渋滞、工事、車両不足。現実のばらつきはもっと大きい」
真実ではあった。だが、付録のように口にされた。
オディール・ガルサンが続けた。
「恐怖についても、嘘をついています」
全員が彼女を見た。
「オートフイユにひとりで暮らす女は、段階化の図など読みません。道の先にあった救急の青い明かりが消える、そのことだけを知るんです。実際には別の場所で受ける治療のほうがよくても、あの人がまだ頼りにしていた証拠を、私たちは奪うことになる」
その言葉は、予想よりも静かに部屋へ届いた。
リュシアン・マールが言った。
「ありがとう」
感謝ではなかった。傷へ触れることを引き受け、すぐに包帯で覆わなかった者へ礼を言う声だった。
マレスコはラシッドのほうを向いた。
「メジアーヌさんは?」
ラシッドは手帳を見、それから地図を見た。手帳は開かなかった。
「帰りについて、嘘をついています」
「何の帰りです?」とエレーヌが尋ねた。
「隊員たちのです」
低い声だった。この部屋にふさわしい口調を作ろうとはしなかった。
「人を運ぶ時間は計算します。でも、戻って次の出動ができるまでの時間は、あまり計算しない。救急車が一台ヴァルドゥールへ上がる。それは患者に四十八分かかるというだけじゃない。ほかの人のために使えない時間が、二時間になることもある。夜間、地域全体に二台しか残っていなければ、話はまるで違います」
地域保健庁長官がうなずいた。
「稼働率モデルに織り込み済みです」
ラシッドは彼を見た。
「いいえ」
厳しい言い方ではなかった。
ただ、拒まれかけた自分の場所へ、その言葉を置いた。
「欄の中には入っている。夜の中には入っていません」
資料の艶が剝がれ始めていた。
だが、まだ足りなかった。
中断する権利
十一時二十分、決定の最初の文案が現れた。
画面に映し出されはしなかった。エレーヌがメモを見ながら、声に出して読んだ。少なくとも卑怯さが完全に身を隠すことだけは許さない、乾いた誠実さで。
「サン=ブレヴァン=デ=オーおよびラ・ロック=サリーヌ両拠点における夜間の予約外受け入れを休止。生命に関わる救急をヴァルドゥールへ集約。看護師による前進拠点二か所を維持し、日中の医師配置を増強。移動待機体制、冬季道路優先措置を整備。六か月後に再評価」
沈黙が続いた。
空虚な沈黙ではなかった。今しがた一つ一つの言葉が消し去る術を覚えたものが、ぎっしり詰まっていた。
閉鎖は休止になった。
夜は夜間になった。
病院は拠点になった。
恐怖は六か月後の再評価になった。
リュシアン・マールは目を閉じた。
オディール・ガルサンは目を開けたままだった。
ティエリ・カペルが息を漏らした。笑いに近かった。
「ほら。やり遂げましたね」
「何を?」とエレーヌが尋ねた。
「閉じると言わずに、閉じることを」
ドニ・オーヴレが口を開いた。
「用語に問題があるのなら、変更を――」
「問題は用語ではありません」とヤエルが言った。
全員が彼女を向いた。会議が始まって以来、初めての発言だった。
「閉鎖と言えば、非情だと責められる。休止と言えば、嘘つきだと責められる。問うべきは、どちらの非難なら受けるに値するかです」
マレスコは笑わなかった。イリアも。
危険な指摘だった。暴力に、一種の高潔さを与えかねないからだ。
エレーヌは紙の一行を横線で消した。
「では、夜間閉鎖」
リュシアン・マールが目を開いた。
「それを前進と呼ぶんですか?」
「いいえ。侮辱を一つ減らしただけです」
一撃は届いた。エレーヌは優しい人間ではない。だが、今ここで最初の無償の嘘を拒んだ。
議論は再開され、さらに厳しいものになった。
車両。除雪の優先順位。研修医の住居。後方病床。消防との協定。ラ・ロック=サリーヌにひとり残された医師が、呼吸困難の患者のそばにいるか、二十キロ先の交通外傷を診に行くか、選ばなければならない現実。二年前に亡くなった十七歳の少年のこと。病院が遠すぎたからではない。実際には受け入れる能力のない診療科が、近すぎたために死んだ少年のこと。
最後の話をしたのはエリーズ・ノルマンだった。
用意してきた言葉でないことは、聞けばわかった。
「誰も、ここでは何もできないと書きたがらなかった。それで、うちに十五分置きました。十五分です。それからヴァルドゥールへ移した。手術室に着いたときには、もう遅かった」
リュシアン・マールが平手で卓を叩いた。
「それまで我々に背負わせる気ですか」
エリーズ・ノルマンが答えた。
「あなたに頼んではいません。もう私が背負っています」
沈黙の質が変わった。
化粧を施される前の明晰の部屋とは、あるいはこういうものなのだ、とイリアは思った。緊張がほどける場所ではない。緊張が、向ける相手を間違えなくなる場所。
マレスコが五分間の休憩を求めた。
誰も外へ出なかった。
立ったまま、あるいは座ったまま、誰ひとり休めない休憩特有の奇妙な居心地の悪さの中にとどまった。
ラシッド・メジアーヌが小さな手帳を手に取った。初めて開いた。そこには文章がほとんどなかった。時刻、頭文字、道路番号、短い記載だけだった。路面凍結を伴う雨、応援不可能、家族現地待機、担架動かず。
会議が再開されると、エレーヌが案を練り直した。
「サン=ブレヴァン=デ=オーおよびラ・ロック=サリーヌの救急受け入れを夜間閉鎖。同時に、看護師による前進救護拠点二か所、増強型の移動当番体制、ヴァルドゥールへの優先出動手順を整備。四十八時間以内に公表。県当局の責任下で地域支援を実施」
前よりはよかった。
同時に、刃は鋭くなった。
イリアはラシッドを見た。
彼は目を伏せていた。
「メジアーヌさん」
顔を上げた。
「あなたには中断する権利があります」
室内にごく小さな動きがあった。ほとんど何もないほどの動き。前日に決められた原則が突然、現実となったことへの驚きだった。
ラシッドはマレスコを見た。
マレスコが言った。
「そのとおりです」
ラシッドは両手を卓上に置いた。
「それなら、中断します」
誰も動かなかった。
「閉鎖を止めるのではありません。あなた方の妥協案を止めます」
リュシアン・マールが身を起こした。
「何ですって?」
ラシッドは市長を見ず、地図を見ていた。
「前進拠点を二つ置いても、実際の人員、距離、確保できていない住居、もう誰も引き受けたがらない夜勤を考えれば、持ちません。二つ置くと発表する。三か月は何とかやりくりする。四か月目には誰かが足りなくなる。五か月目には、別の現場で一週間働き終えた職員を回す。六か月目には、二つの大きな嘘を、二つの小さな嘘に作り替えただけだとわかります」
地域保健庁長官の顔から血の気が引いた。
「予測では、そうなっていません」
「予測は、車を運転しません」
それまでのどの言葉よりも、鮮やかに断ち切った。
ラシッドは続けた。
「夜間の前進拠点は一つでいい。移動式にする。二つじゃない。天候、季節、催事、稼働状況に合わせて位置を変える。直接出動させる権限を持たせる。そして二つの拠点の夜間受け入れは、本当に閉鎖する。人を安心させるためだけに、明かりと、その後ろに誰かを残してはいけない」
オディール・ガルサンが口元に手を当てた。
リュシアン・マールは立ち上がった。
「最後の明かりを、わざわざ消せと言うのですか」
ようやく、ラシッドは彼を見た。
「はい」
残酷さより、その潔さゆえに恐ろしい一語だった。
「嘘をつく明かりは、人を間違った場所へ呼び寄せます。怖いから、そこへ行く。二十分を失う。それから、また道へ戻される。だったら家で怖がってもらい、こちらが最初から正しい場所へ向かうほうがいい」
誰も答えなかった。
すでにこの言葉は、国中へ出ていける形をしていた。どのように使われるか、イリアには見えた。勇気と呼ぶ者がいる。見捨てたと呼ぶ者がいる。テレビ番組は、嘘をつく明かりを好むだろう。見出しは簡単に作れる。図解も申し分ない。
ヤエルは、優しさを見せずにラシッドを見ていた。
厳しさもなかった。
自分では差し出したくなかった形の真実を、認めているようだった。
ティエリ・カペルが、かすれた声で言った。
「彼が正しい」
リュシアン・マールは傷ついた顔で振り返った。
「君まで?」
「俺こそです。仲間は二つの拠点を支えきれない。それでも、自分たちが見捨てた側になりたくなくて、できると言うでしょう。そして壊れる。壊れたら、道も家族も知らない派遣職員に替えられる。もっとひどくなります」
オディール・ガルサンが尋ねた。
「では、住民に何と言えばいいんです?」
皆の目が地図へ向いた。
それから、ヤエルが言った。
「現実の安全を損ない始めたから、象徴としての安全を取り上げる、と」
イリアは一瞬、目を閉じた。
正しい言葉だった。
我慢ならなかった。
汚れなき決定
最終決定は十二時十八分に下された。採決でも、力ずくでもない。ただ、下された。
それがいちばん恐ろしいことなのかもしれなかった。
強行には見えなかった。誰も叫ばず、誰も勝ち誇らなかった。退席すると脅したリュシアン・マールでさえ、席へ戻っていた。オディール・ガルサンはもうほとんど口をきかなかった。ただ、公表のための最初の訪問先を県庁にはせず、同じ日に、同じ言葉を携えて二つの谷を訪れるよう求めた。
マレスコは承諾した。
エレーヌは、補佐官が清書する前に、統合案を手書きした。
「サン=ブレヴァン=デ=オーおよびラ・ロック=サリーヌの救急受け入れを夜間、実質的に閉鎖。生命に関わる救急をヴァルドゥールへ集約。現場の直接統括下に、配置場所を随時変更する夜間移動拠点を新設。道路・気象上の優先措置を強化。慢性疾患患者および孤立者の支援窓口を設置。三か月後に公開評価」
骨の周りには、もうほとんど贅肉が残っていなかった。
イリアは嘘を探した。
あってほしいと思ったほどには、見つからなかった。
苛烈な決定だった。すでにあまりに多くを失ってきた人々には、さらなる敗北として受け止められるだろう。二つの町から、自分たちがまだ生者の側にいると証明していた青い明かりを奪う。地元の反対派には、すばらしい映像を与えるだろう。閉ざされた扉。雨に濡れる議員たち。二十時に灯りの消えた「救急」の看板の前に立つ老女。
それでも、文言の下には一つの必要が踏みとどまっていた。
美しさでも平穏でもない。持ちこたえること。
そのとき初めて、部屋は、まだ名づけることのできなかった確信をイリアから奪った。
具体が戻れば、汚れなき決定には傷がつく。そう期待していた。
ところが、具体は決定を精製した。
道徳的な意味で清らかにしたのではない。こちらも嘘をつかずには反論しにくいものへと、研ぎ澄ましてしまった。
ラシッド・メジアーヌは中断し、最後に残ったクッションを取り除いた。ティエリ・カペルが裏づけた。エリーズ・ノルマンは二年前に死んだ少年を議論へ連れ戻した。オディール・ガルサンは恐怖に名を与えた。リュシアン・マールは屈辱を担った。そして部屋は、より穏やかな解決へ開かれる代わりに、いっそう裸の文言を生み出した。
皆が文案を読み直すあいだ、ヤエルがイリアへ近づいた。
「人がそこにいれば、こんな決定はできなくなる。そう望んでいたんですね」
イリアは答えなかった。
「私もです。ときには」
その譲歩は意外だった。
ヤエルは地図を見た。
「現実は、いつも人を善くするわけではありません。それでも選ぶものについて、言い逃れをできなくするだけのこともある」
「それなら、何だって正当化できる」
「ええ」
また、防御のない肯定。イリアはそれを、ほかの者たちの確信と同じほど恐れ始めていた。
「なら、どうして口にするの?」
「反対の考えでも、何だって正当化できるからです」
イリアはヤエルの視線を追い、リュシアン・マールを見た。彼はいま、閉じたファイルを胸に抱えていた。武器としてではない。持ち帰らなければならない重荷として。
「この決定は正しいと思いますか?」とイリアは尋ねた。
ヤエルは長いあいだ答えなかった。
「ほかの案より、嘘が少ないとは思います」
充分ではなかった。
だが、部屋が与えられるのは、それだけなのかもしれなかった。
マレスコが、最終案を全員でもう一度読むよう求めた。
紙がラシッドの前まで来ると、彼はポケットからペンを取り出し、一語を横線で消した。
エレーヌが身を寄せた。
「どの言葉?」
「支援です」
「なぜ?」
「そう書けば、誰かがずっと一緒に歩いてくれると、みんな思います。でも、違う。こちらがするのは、知らせる、電話をかける、行き先を示す、せいぜい申請書を書くのを手伝うことです。一緒には歩かない」
エレーヌは紙を受け取った。
「代案は?」
ラシッドは考えた。
「フォロー。美しくない。そのぶん正直です」
マレスコがうなずいた。
「慢性疾患患者および孤立者へのフォロー」
支援という言葉が消えた。
疑うことを覚えたはずのその言葉に、イリアは馬鹿げた悲しみを感じた。美しすぎたから、取り除かれた。文章は温かさを失ったぶん、正確になった。
最終文書は、一枚に収まった。
たった一枚。
十二時三十六分、エレーヌ・ラスクールが回付のために署名した。ドニ・オーヴレも署名した。マレスコは用紙の下に、手書きで一文を添えた。
「最適化として発表しないこと。何が閉じるかを言う。何が持ちこたえるかを言う。誰が夜を担うのかを言う」
イリアはその行を見つめた。
憎むことができなかった。
それが問題だった。
会議後の廊下で、リュシアン・マールがエレベーター付近にいたラシッド・メジアーヌへ追いついた。
イリアは聞くまいとした。
それでも聞こえた。
「私の町でも、あなたが説明してくれますか?」と市長が尋ねた。
ラシッドは小さな手帳をブルゾンの内ポケットへしまった。
「はい」
「彼らとではなく。私と」
ラシッドはマレスコを見て、ヤエルを見て、イリアを見た。許可を求めるためではない。いま新たに肩へ落ちてきた重みを測るためだった。
「はい」と、もう一度言った。
リュシアン・マールはうつむいた。
「では、待っています」
誰とも握手せずに去った。
オディール・ガルサンは、ほかの者たちより長く、空になった部屋に残った。地図を見ていた。手帳を取りに戻ったイリアは、三つの青い点の前に立つ彼女を見つけた。
「地図を外しましょうか?」とイリアは尋ねた。
「いいえ」
市長は紙に触れないまま、ラ・ロック=サリーヌへ手を伸ばした。
「ただ、私たちが分別をわきまえると決められた、その正確な場所を見ておきたいんです」
イリアは何も返せなかった。
オディール・ガルサンは、ほんのわずかに笑った。
「心配しないで。彼らが正しいかもしれないことは、わかっています」
コートを着直した。
「だからこそ、腹が立つんです」
彼女が出ていくと、イリアは地図の前にひとり残った。
赤い道路は変わっていなかった。
数字も。
部屋は役目を果たした。雑音を、嘘を、安易な慰めを取り除いた。偽善的な決定を阻んだ。夜を担う者に席を与えた。そして、おそらく、いま手に入る唯一の真剣な言葉を生み出した。
それなのに、部屋は入ってきたときより冷たく感じられた。
イリアはモードを思った。長く保ちすぎた、あの一音を。
それからヤエルを。遅すぎてから気づくことへの、彼女の恐れを。
卓上では、最終文書が白いファイルに収められ、待っていた。
汚れなき決定。
これからは、そういう決定をも恐れることを覚えなければならない。
第8章
高みの部屋
何が閉じるかを言う
声明は翌日の十七時に発表された。
官房が、国民の疲労に弁護しきれなかったものを吞み込ませようとする十八時でもなく、別の危機の陰へ隠せる金曜日でもない。木曜日、真昼の光の中で、硬いブラシをかけた言葉とともに。
「サン=ブレヴァン=デ=オーおよびラ・ロック=サリーヌの救急受け入れを夜間、実質的に閉鎖。配置場所を随時変更する夜間移動拠点を新設。慢性疾患患者および孤立者へのフォローを強化」
イリアは自分の執務室で、ひとり画面の文面を読んだ。
閉鎖は残っていた。
フォローも残っていた。
夜も残っていた。
もちろんマレスコの手書きの一文は載っていない。だが、声明を下から支えていた。何が閉じるかを言う。何が持ちこたえるかを言う。誰が夜を担うのかを言う。
数分のあいだ、イリアは感じたくないものを感じていた。
敬意。決定そのものに対してではない。行政が喪失を沈めることに長けた、あの温かな泡で包むのを拒んだことへの敬意だった。文面はすべてを語ってはいない。公文書がすべてを語ることなどない。それでも、予想したより嘘は少なかった。
十七時十二分、最初の映像が届いた。
県庁は、演壇も青い背景もマイクの列もない小規模な班を、二つの谷へ送っていた。まずサン=ブレヴァン=デ=オーの市民体育館、それからラ・ロック=サリーヌの公民館。プラスチックの椅子、蛍光灯、上着を着たままの住民。地元の議員たちは、壇もない床に立っていた。最初に姿を見せたのはリュシアン・マールだった。硬い顔で、ファイルを両手に持っていた。その右にラシッド・メジアーヌ。
スーツは着ていなかった。
イリアはそれに気づき、馬鹿げているほどほっとした。
前日と同じ黒いブルゾンを着ていた。靴には、道を走り続けた疲労が残っていた。カメラにはうまく映せない疲労。それでも完全に消し去ることはできない。リュシアン・マールから発言を譲られると、記者たちではなく、最前列に座る人々を見た。
「皆さんを安心させていた明かりを消します」と彼は言った。「いい知らせだとは言いません。あの明かりが、ときに皆さんを間違った場所へ向かわせていた。私たちがそう考える理由を話します」
イリアの執務室で、映像がわずかに揺れた。通信が悪いのか、撮影者の手が震えたのか。
叫び声が上がった。多くはない。だが、充分だった。
夫が息をできなくなったら誰が来るのか、と女が尋ねた。老人は声を立てずに死ぬから、いつも夜から切り捨てるのだ、と男が叫んだ。誰かがラシッドを売国奴と罵った。リュシアン・マールが答えようとした。ラシッドは小さく手を動かして止めた。
「私です」と言った。
一瞬、会場は静まった。同意したからではない。その答えが、すぐに退けるには具合の悪い場所へ置かれたからだ。
「いつも私自身が行くという意味ではありません。でも、私の部署です。私の番号です。私の隊員たちです。この仕組みが持たなければ、省の誰かの名前より先に、私の名前を知ることになります」
イリアは目を閉じた。
これだ。
権力は、顔よりも優れたものを見つけた。
自分が望んだわけではない決定を、ほかの案より嘘が少ないと信じるがゆえに、背負うことを引き受ける人間。
十七時四十分、内部のメッセージが届き始めた。
この対応は勇気がある。
驚くほど成熟した言葉遣いだ。
非防御的コミュニケーションの模範。
現場の反応は要観察。ただし全国的な受け止めは好意的。
十八時、ある論説委員が「静かな勇気」と評した。十八時十七分、野党議員が、政府は「見通したうえで見捨てること」を発明したと非難した。十八時二十五分、公共放送が討論を始めた。「よりよく閉じる術を、私たちは学ぶべきか?」
答えを聞く前に、イリアは画面を切った。
黒い画面の前に座り続けた。
国はもはや、明晰な人間だけを称賛してはいなかった。巧みに語られた喪失をも、称賛し始めていた。
携帯電話が震えた。
マレスコからのメッセージだった。
「明日、8時15分。首相府。高みの部屋」
イリアは読み返した。
今度は、言葉と言葉のあいだに疑問符を探し出す余地はなかった。
ただ、高さだけがあった。
高みの部屋
高みの部屋は、イリアが想像していた意味では高くなかった。荘厳な天井も、金箔飾りも、庭園を望む大きな窓もない。別棟の最上階、屋根裏にあった。狭い階段を二つ上り、新しく見せかけることをとうに諦めた絨毯の廊下を抜けた先だった。何かを見下ろしているから高いのではない。特別な入館証なしには辿り着きにくいから、高みの部屋と呼ばれていた。
そのほうが、イリアには不穏だった。
フランスで本当に力のある場所は、ときに仮設のような顔を好む。
入室すると、マレスコはすでにエレーヌ・ラスクール、首相顧問二人、ドニ・オーヴレ、イリアの知らない女とともに席に着いていた。ヤエル・セールは壁際に座り、資料を開いていなかった。
卓上には濃紺のファイルが並んでいた。
表題は一行だった。
「高みの部屋――試行準備」
イリアは自分のファイルに触れなかった。
エレーヌがその視線に気づいた。
「名称はまだ決定ではないわ」
「残念ですね」とイリアは言った。「もうほとんどすべてを語っているのに」
顧問のひとりが用心深く笑った。
マレスコは笑わなかった。
「だからこそ、名称が我々に代わって語り始める前に、話しておく必要があります」
見知らぬ女が自己紹介した。クレール・ヴォードラン。政府事務総局、制度構想室。低く正確で、ほとんど引っかかりのない声だった。話し終える前から、一枚一枚の紙を次の紙と平行に揃えていく手をしていた。
「数か月前から」と彼女は言った。「明晰の部屋には、本来の枠を超えた要請が寄せられています。最も難しい裁定は、もはや地域や分野に限られません。複数の省庁、地域全体、相反する時間軸に関わることもある。政治的に取り返しのつかない危機へ発展する前に、それらを扱える国家レベルの機関が必要です」
イリアは尋ねた。
「国の明晰の部屋を作るということですか?」
「厳密には違います」
もちろん。
クレール・ヴォードランは一枚めくった。
「最後の手段となる部屋です。常任参加者と、案件ごとに招集される者で構成します。役割は決定を下すことではありません。引き受けるに足る明晰な決定が可能となる条件を生み出すことです」
「つまり、決定する人たちより先に決定する」
笑っていた顧問の顔から笑みが消えた。
マレスコが口を開いた。
「危険は承知しています」
「いいえ」とイリアは言った。
言葉が早く出すぎた。
ヤエルが自分へ目を上げるのを感じた。
イリアは、もっとゆっくり続けた。
「危険について知ってはいる。危険をわかっているのとは違います」
言ったそばから、自分の言葉に潜む安易さが聞こえた。それでもエレーヌは両手を組み、クレール・ヴォードランはペンを置いた。笑って片づけようとする者はいなかった。
マレスコは、忍耐とも武器とも言い切れない、あの彼特有の辛抱強さでイリアを見た。
「では、わかるために力を貸してください」
濃紺のファイルを開いた。
中にあったのは、単なる覚書ではなかった。計画だった。
付議手順。基準一覧。構成図。人材認証表。秘密保持規則。後日公表の手順。実証日程。
権力の論理は、この単純さに尽きる。一度でも難しい何かが機能すれば、誰かがそのための組織図を描く。
イリアは冒頭を読んだ。
高みの部屋が扱うのは、「多重不可逆性」を伴う裁定とされていた。医療、エネルギー、国内治安、重要資源、地域の崩壊、機微に関わる欧州交渉、緩慢な災害。
常任は九人。
九人。
それより少ないことはない。
その周囲に、案件ごとの参加者を置く。現場、実行担当者、間接的被害者、専門家、公職者。中断権は維持される。安全上の例外を除き、要旨は公表する。政治的決定は、形式上は部屋の外に残される。
形式上。
書かれていない言葉を、イリアは見つけた。
エレーヌが言った。
「弁護不能にも、不可欠にもなりうる形の瀬戸際に、私たちはいる」
「両方です」とヤエルが答えた。
全員が彼女を見た。
会議が始まってから、一度も口を開いていなかった。
「不可欠になるからこそ、弁護できなくなる」
クレール・ヴォードランがわずかに首を傾けた。
「詳しく説明していただけますか?」
「この部屋が何の役にも立たなければ、消えるでしょう。本当に役立つなら、悲劇を引き受ける前に誰もが通りたがる場所になる。危険なのは失敗ではありません。成功です」
それを言うのが別の誰かならよかった、とイリアは思った。
ヤエルでなければ。
これほど正確に言わなければ。
マレスコはファイルを閉じたが、片づけはしなかった。
「そのために、お二人を呼びました」
先を聞く前に、イリアにはわかった。
拒絶があまりに鮮明に身体を走り抜け、すでに答えを口にしてしまったようだった。
「嫌です」
マレスコは、何への返事かと問い返さなかった。
「まだ提案を聞いていないでしょう」
「もう充分わかっています」
「イリア」
初めて、彼は名で呼んだ。距離を縮めるというより、計算した危険を冒すように。
「常任として高みの部屋へ入ってほしいのではありません。その健全性を保つ条件を定めてほしいのです」
「ヤエルは?」
沈黙が一秒長すぎた。
ヤエル自身が答えた。
「私は、入るよう求められています」
九つの名前
九人の常任候補者は、別の付録に載っていた。
イリアは見せるよう求めた。
クレール・ヴォードランはためらった。マレスコが文書を渡すよう合図した。
一枚。
九行。
見出しには、まだ指名案ではなく、人材像の仮説にすぎないと明記されていた。
一行目にはヤエル・セールの名があった。
元実務家。公共的熟議。全国的な好感度。高い言語化能力。低い防御反応。党派横断的な受容性。
女ひとりを政治的輸送の道具へ変えるその言葉を見て、短く、子供じみた怒りが湧いた。
だがすぐに、その怒りは安易すぎると思った。
ヤエルは同じ紙を読んでいたが、傷ついた様子はなかった。
ほかの名は、もっと目立たなかった。社会部の元裁判長。集中治療部門の責任者。農村調停人。公共リスクを専門とする数学者。山岳救助責任者。元欧州交渉官。答えるのが遅すぎるためテレビには滅多に呼ばれない法哲学者。無任所の女性知事。イリアが知っているのは評判だけだった。厳格で、芝居がかっておらず、信じてもいない立場へ押しやることは不可能な女。
「話すのが下手な人は、どこにいるんです?」とイリアは尋ねた。
クレール・ヴォードランが答えた。
「常任者には、国家規模の状況を支えられる能力が必要です」
「そういう質問ではありません」
エレーヌも一覧を見た。
「国家規模の状況が、それを支えられる人々だけの会話になるのを妨げる者は、どこにいるのかと聞いているの」
クレール・ヴォードランは気を悪くした。
だが、自己弁護はしなかった。
マレスコが言った。
「実行担当者や当事者は、案件に応じて招集されます」
イリアはラシッドを思った。
あの小さな手帳を。
彼が中断したことで、決定はさらに厳しくなった。
「つまり、いつも招待客。部屋を構成する者にはならない」
顧問が答えた。
「ありうるすべての痛みを、常設機関の構成員にすることはできません」
「誰もそんなことを求めていません」
イリアは一覧を卓上へ置いた。
「でも、あなた方はすでに、必要なときだけ現実を中へ招き入れ、用が済めば外まで送り返せる部屋を作ろうとしている」
部屋の温度が下がった。
ヤエルが言った。
「そのとおりです」
イリアは彼女を向いた。
「それでも引き受けるの?」
「今のところは」
「なぜ?」
ヤエルは一覧を見た。
「私が断れば、問題に気づきもしない人を、彼らは代わりに選ぶからです」
「その理屈、ずいぶん気に入っているのね」
「ええ」
「いつまで、それで持つと思う?」
知り合って以来初めて、ヤエルは傷ついたように見えた。部屋全体が現実味を増す程度には、はっきりと。
「わかりません」
その答えは、これまでのどの答えよりもイリアを不安にさせた。
エレーヌは文書を取り、構成案の下へ鉛筆で一本の線を引いた。
「条件が一つ足りない」
クレール・ヴォードランが尋ねた。
「何でしょう?」
「空席」
顧問が声を立てずにため息をついた。
エレーヌは聞き逃さなかった。
「象徴ではなく、規則として。部屋が、外へ置き去りにしていたことに遅すぎてから気づく人のために、椅子を一脚空けておく」
マレスコは新たな注意を向けてエレーヌを見た。
「どうやって、その人物を特定する?」
「そこが肝心なの。この問いを声に出すまで、会議を閉じられないことにする」
イリアの中に亀裂が開いた。同意ではない。疑い続けてもよいという許しだった。
ヤエルが言った。
「それだけでは足りません」
「当然よ」とエレーヌは答えた。
「でも、邪魔にはなる」
「制度の手順においては、それだけでも大きいわ」
乾いた、ほとんど冷笑的な言葉だった。それでも議論を閉ざしはしなかった。制度は善意で正しくなるのではない。だが、妨げとなる小さな仕組みによって正しさへ近づくことはある。それを知る女の言葉だった。
マレスコは書き留めた。
「欠けた椅子――閉会前に必ず問う」
イリアは書く手を見た。
壁際に置かれたジェローム・ケリアンの椅子を思った。
補佐官に奥へ座らされかけたラシッドを思った。
カメラの前で硬すぎたモードを思った。
高みの部屋は、まだ存在していない。
それでも、すでに不在者がいた。
部屋自身の雑音
会議がすでに出口を探し始めたころ、クレール・ヴォードランは最後の、最も薄いファイルを開いた。
「方法について、まだ検討事項があります」
ヤエルはわずかに閉じた。顔ではなく、姿勢が。
「どの方法?」とエレーヌが尋ねた。
「受容状態へ入るための手順です。この水準の部屋では、準備段階をさらに厳格にする必要があります。地域の部屋ほど長くはしませんが、要求水準は上げる。三つの過程を検討しています。沈黙、歩行、物語からの離脱」
「物語からの離脱」とイリアは繰り返した。
声から軽蔑を追い出せなかった。
クレール・ヴォードランは落ち着いたままだった。
「各参加者に、自分の立場を正当化するための物語を一時的に保留させる、という意味です」
「なら、そう書いてください」
「用語はまだ確定していません」
「すでに確定しすぎています」
マレスコが口を挟んだ。
「言葉は暫定的なものです」
「悪い言葉が暫定で終わることはありません。差し替える暇がなくなるのを待っているだけです」
今度はヤエルが、かすかに笑いかけた。短く乾いた、喜びのない共感だった。
クレール・ヴォードランは一枚の紙をイリアへ滑らせた。
「この点について、あなたの見解が必要です。手順が、超然とした態度の演技を生まないようにするには、どうすべきでしょう?」
いい問いだった。
よすぎた。
イリアは紙を受け取った。
翌週に予定された試行会議の概要だった。まだ本物の高みの部屋ではなく、技術検証のための試行。常任候補者九人、観察者二人、架空の案件三件。直接の決定は一切伴わない。目的――状況に内在する矛盾へ接近する力を失わずに、集団が自らの雑音を低減できるかを評価する。
部屋自身の雑音。
その言葉に下線が引かれていた。
イリアは二度読んだ。
「誰が書いたんです?」
クレール・ヴォードランはためらった。
「作業部会です」
「誰が?」
マレスコが答えた。
「うまくいきすぎているように見えた一部の部屋について、サラ・ロルムが過去の覚書を提出しました」
イリアは目を上げた。
サラ。
当然だった。
地下の記録はいつも、監視の届かない経路から浮上してくる。
「彼女は、これを目標にしてもらうために書いたのではありません」
「ええ」とマレスコは言った。「何を恐れるべきか知るために書いた」
「それを、あなた方は評価表へ入れた」
彼は否定しなかった。
怒りより深い疲労が、イリアを襲った。
国家とは、最良の日には、おそらくこういう機械なのだ。警告を慎重さの道具へ変え、道具を手順へ変え、最後にはその手順を、警告を聞き入れた証拠へ変える機械。
ヤエルが手を伸ばした。
「見せてもらえますか?」
イリアは紙を渡した。
ヤエルは身じろぎもせずに読んだ。それから、下線の引かれた言葉へ指を置いた。
「これは目標ではありません」
マレスコが尋ねた。
「では、何です?」
「症状です」
誰も口をきかなかった。
ヤエルは続けた。
「雑音が澄んで聞こえるようになったなら、参加者が、期待されている静けさの形を作る術を身につけたということです。もう露骨な嘘をつく必要はない。正しい呼吸で嘘をつく」
これほど的確でなければよかった、とイリアは思った。
クレール・ヴォードランがメモを取った。
イリアはその手を見た。
「検出すべき能力として書かないでください」
クレールはペンを持ち上げた。
「リスクとして書いています」
「今日はね」
思った以上に硬い言葉になった。
マレスコが時刻を見た。
「試行会議は火曜日に行います」
イリアが尋ねた。
「誰が観察を?」
「あなたです」
イリアは笑いそうになった。
「断ったら?」
「異論が一つ少ない状態で実施します」
うまく答えたことが腹立たしかった。
エレーヌが濃紺のファイルを閉じた。
「この仕組みを守ることに、何の利害もない人間も必要ね」
「候補が?」とマレスコが尋ねた。
エレーヌはイリアを見た。
今度は、答えがはっきりと落ちてきた。
「嫌です」
「まだ何も言っていないわ」
「モード・ドゥレンヌを考えているでしょう」
エレーヌは答えなかった。
ヤエルがイリアへ顔を向けた。
「カメラの前で、硬すぎる」
怒りが込み上げ、それから別の場所へ移った。
ヤエルは嘲っていなかった。
資料を思い出させていたのだ。
選別を。
白い紙に黒々と記された屈辱を。
マレスコが尋ねた。
「引き受けるでしょうか?」
「いいえ」とイリアは答えた。
一秒置いてから続けた。
「だから、頼むべきです」
それに続く沈黙には、明晰さのかけらもなかった。
もので溢れ、ためらい、行儀さえ悪かった。
イリアは、朝から聞いたどの言葉よりも、その沈黙を好ましく思った。
高みの部屋を出たところで、階段を上ってくるカミーユ・アルトーとすれ違った。若い女は、三つのファイルを胸に抱え、片手に薬局の袋を提げていた。
「大丈夫ですか?」とイリアは尋ねた。
カミーユは袋を見て、それからファイルを見た。
「どちらが質問に答えているのか、わかりません」
イリアは思わず笑った。
「薬のほう」
「なら、大丈夫です。少しは」
踊り場で息を整えた。
「国の部屋を作るという話ですか?」
公式の答えは簡単だった。何も決まっていない。秘密保持を考えれば、それを貫くべきだった。
イリアは言った。
「誰よりも先に見通せると称する部屋の話です」
カミーユは驚きもせず、うなずいた。
「なら最初に、誰かひとりを見落としますね」
イリアは彼女を見た。
大仰さも、深いことを言おうという欲もなく出てきた言葉だった。暑すぎる階段で、三つのファイルを抱え、薬を手にした、疲れた職員の言葉。
「ええ」とイリアは言った。
カミーユはまた上り始めた。
イリアは下りていった。
外では、建物の壁面に光が硬く照りつけていた。公用車は洗われ、列をなして待っていた。決定を運ぶ準備を整えて。タイヤにかかる重みを、誰にも見られることなく。
門へ着く前に、携帯電話が震えた。
サラからのメッセージだった。
「部屋自身の雑音を持ち出したと聞いた。何か返事をする前に、地下資料室へ来て」
イリアは歩道の端で、一瞬立ち止まった。
高みの部屋は上昇していた。
記録は、その下から彼女を呼んでいた。
第三部
方法に抗うもの
第9章
部屋自身の雑音
しまい違えられた覚書
サラは執務室にいなかった。
地下二階、地下資料室の長卓に座っていた。前には茶色いファイルと、すでに冷めたコーヒーが二つ。隣の棚ではデュパンが箱を整理していた。聞き耳など立てていないと周囲に知らせたい人間特有の、音を立てた几帳面さで。それでいて、何一つ聞き逃さない距離にいた。
「早かったわね」とサラが言った。
「『何か返事をする前に』って書いたでしょう」
「首相府からの呼び出しより、あなたの自尊心をくすぐらない言い方を選んだつもり」
イリアはコートを脱いだ。
卓には、何度も読み返された古い痕跡が残っていた。白く擦れた角、磨り減ったラベル、長く押し潰されたホチキス針が残した小さな傷。茶色いファイルの上に、サラは白い紙を置いていた。手書きの言葉が三つ。
「浄化するな」
イリアは紙を見た。
「私への忠告?」
「私たち二人に。それから、国がいつか簡単な指示を読めるようになったときのために」
棚の向こうでデュパンが咳をした。
サラはファイルを開いた。
「マレスコが持ち出した覚書は、原則を定める文書じゃなかった。内部からの警告よ。三ページ。承認もされず、方法論資料にも収められず、この卓の外へ出すつもりもなかった」
「それでも、卓から出た」
「『部屋自身の雑音』という表現を含む資料を、すべて出せと誰かが頼んだから」
イリアは座った。
「誰か?」
「政府事務総局の特命担当者。とても礼儀正しく、とても素早い人。何も盗まない種類の人間よ。盗む必要をなくす印章を、初めから持っているから」
サラは一枚目を滑らせた。
五年前の紙だった。上部に権威あるロゴはない。乾いた記載だけだった。
「同質化事案――結果が異常に安定した部屋」
表題は横線で消され、その横に手書きされていた。
「整いすぎ。再検討」
サラの筆跡だとわかった。
「あなたが?」
「ええ」
「なぜ『部屋自身の雑音』と?」
サラは答えるまでに数秒かけた。美しい表現を探していたのではない。言葉がもう回収できなくなる正確な地点を探していた。
「私たちは、参加者から取り除く雑音ばかり見ていたから。恐怖、威信、自分が正しいと思いたい欲求。でも、仕組みそのものが生む雑音を忘れていた。部屋の期待。部屋の美しさ。どんな静けさなら深いと認められるかを、人々に教えるやり方」
紙を指で軽く叩いた。
「部屋自身の雑音とは、それよ。部屋そのものから出ているのに、成功と取り違えて、もう聞き取れなくなったもの」
イリアは冒頭を読んだ。
三つの会議。三つの異なる状況。同じ異常。合意形成が早い。呼吸が安定している。言葉による対立が弱い。会議後の評価は非常に高い。そして数週間後、決定の明らかな劣化が生じる。
ロシュブリュヌ――地滑り後の予防的移転。
ポン=レオン――汚染土壌の上に建つ学校の暫定閉鎖。
アルジュリュヌ――地域病院、野菜農家、消防用貯水池のあいだでの水利用裁定。
「議事録はすばらしいわ」とサラは言った。「決定も、急いで読めばね。擁護するのが簡単すぎるくらい」
イリアはページをめくった。
最初の付録には、要旨の抜粋が並んでいた。痛みをくぐり抜けながら、自らは汚れていないことを示したがる文章特有の、湿った手触りがあった。
「参加者は、損失を分かち合う必要性をともに認めた」
「断念は、防御的な硬直を伴わずに言語化された」
「決定は、共有された明察の空気の中から生じた」
イリアの肩がこわばった。
「誰がこんなふうに書くの?」
「本当に正しいものを見た人たちよ」とサラは答えた。「だから厄介なの。無能でも、冷笑的でもなかった。ただ、よい部屋が残す痕跡を好きになってしまった」
デュパンが戻り、小さめの箱をイリアのそばに置いた。
「自由記述です。統合処理を通さなかったもの」
「ありがとう」
「礼は結構。聞かれたら、私の分類ミスです」
また離れていった。
サラが箱を開けた。
中の紙には、同じ整い方がなかった。ボールペン書きもあれば、口述を起こした後に手書きで直したものもある。途中で切れた文、誰にも消されなかった悪態、要旨へ収めるには具体的すぎる記述があった。
イリアはポン=レオンの資料を取った。
決定は、工事中の子供たちを近隣の中学校へ移すというものだった。部屋はすぐに結論を出した。早すぎるほどに。誰もが負担を受け入れた。保護者、市役所、保健当局、教育局、運送業者。
自由記述の余白に、給食職員が書いていた。
「朝は、無理です」
四語。
イリアは議事録の中で、その言葉がどう扱われたかを探した。
二十ページ後に見つけた。
「家庭の時間的制約に対する留意」
通学には二十七分余計にかかる。車のない家庭では、市営学童保育が開く前に出発しなければならない。三週間、子供たちは早朝、雨の中、中学校の前へひとりで到着していた。その情報は知られていた。存在していた。角を丸められた。決定と両立する形にされた。
「これよ」とサラが言った。
イリアは答えなかった。
四語を見つめていた。
朝は、無理です。
目を引く言葉ではなかった。輝きも象徴性もない。ただ、翻訳されることに抵抗した。
行儀のよすぎる部屋
二人は二時間、ほとんど口をきかずに作業した。
ロシュブリュヌは、知事たちが研修で好んで引用する決定を生んでいた。地滑りの前に百八十人を迅速に避難させ、死者はなく、地元の反対も抑えられた。文書の上では模範だった。
未処理の自由記述には、形を変えながら三度、同じ言葉が出てきた。
「動物の話をしなかった」
動物とは、山羊二十九頭、農場の犬、鶏、それから予定時間内には移せない年老いた馬二頭だった。斜面が崩れかけているときの民間防衛文書では、重く扱われるものではない。だが何人もの住民にとって、動物を置いて家を出ることは、必要な避難を、屈辱的な引き裂きへ変えた。三家族が夜中に戻った。そのうち一組は封鎖線を強行突破した。憲兵がひとり負傷した。最終報告書には「立入禁止区域への非合理的な帰還」と記されていた。
サラは、その行に指を置いた。
「決定は受け入れた。でも、決定が自分たちに要求したことは受け入れていなかった」
「部屋には、合意が聞こえた」
「立っているために嘘をついた、合意の一部分が聞こえなかった」
イリアはファイルを閉じた。
アルジュリュヌはもっとひどかった。客観的には、決定が病院を救っていたからだ。干ばつの最中、部屋は、医療用水と消防用水を維持するため、農業用水の大幅削減を裁定した。野菜農家たちは最終的に、温室より病院を後回しにはできないと認めた。その会議の尊厳は称賛された。
三か月後、二つの農園が廃業した。最も落ち着いて発言していた農家のひとりは、当局からの連絡に応じなくなった。
それでも彼は、自由記述にこう書いていた。
「不幸の中で、立派な席をもらったから、賛成した」
イリアは何度も読み返した。
「彼はわかっていた」
「ええ」
「それなのに、誰も見抜かなかった」
「もう自分を守ろうとしなくなったことは、見ていた」
サラは眼鏡を外し、目をこすった。
「普通の部屋では、叫びや構え、鮮やかすぎる抵抗を警戒する。成熟した部屋では、見事に同意する術を知っている人にも警戒しなければならない」
イリアは住民の前に立つラシッドを思った。
省の陰へ隠れずに夜を背負った。それは高潔だった。同時に、権力へほとんど完璧な姿を与えてもいた。
違いは、身ぶりの美しさではなかった。
言葉が終わったあとも、その身ぶりに結びついて残るものにあった。
ラシッドは、自分の名、部署、番号を渡した。名づけた喪失から、自分だけ出てはいかなかった。アルジュリュヌの農家は、その立派さを称賛されたあと、空になった温室とともに置き去りにされた。
イリアは書き留めた。
「同意と、負担への結びつきを混同しないこと」
サラが肩越しに読んだ。
「それなら首相府にも理解できる」
「そう思う?」
「理解はする。好きにはならない」
デュパンが、古くて分厚いノートパソコンを運んできた。保守点検ラベルが半分剝がれていた。
「映像はこれに入っています。ネットワークからは切断済み。この機械が死ぬなら、一部の長官よりまっとうな一生を送ったことになります」
サラが充電器を差した。
「どれから始める?」
「ポン=レオン」とイリアは答えた。
映像には、地方の明るい会議室が映った。ほぼ新品の家具、防音壁、床には楕円形の絨毯。十一人が座っている。進行役は、イリアも名を知る評判の高い女だった。
冒頭の数分は非の打ち所がなかった。
非の打ち所がなさすぎる、とイリアは思った。だが、そんな安易な考えに立ち止まることを自分へ禁じた。
進行役は沈黙に呼吸させた。言い換えは控えめだった。参加者たちはほとんど言葉を遮らない。保護者の母親が泣き始めても、誰も性急に慰めようとしなかった。保健当局の代表者は、自分にも擁護可能な決定を作りたい欲求があると認めた。市長は、危険を隠したと非難されることへの恐れを語った。
どれも正しかった。
それから、給食職員が話した。
卓の端に座っていた。青いセーター、分厚い手、胸にはまだ名札がついていた。子供たちと学童保育の時間を知っているという理由で招かれていた。送迎バスの議論を遮る勇気が出るまで、長く待った。
「朝は、無理です」
進行役が彼女へ向いた。
「もう少し詳しくお話しいただけますか?」
「学童が開くより先にバスが出たら、学童の子はバスに乗れません」
「では、時間の接続を見直す必要があるということですね」
職員は両手を強く握った。
「違います。無理なんです」
運送業者が穏やかに答えた。
「ルート上で八分くらいは短縮できると思います」
母親が涙を拭った。
「八分では足りません」
進行役はメモを取った。
「この点を、重大な制約として保留します」
「重大」という言葉は役目を果たした。全員が警告を尊重しているように見えた。それから会議は先へ進んだ。
イリアは映像を一時停止した。
画面の中で、給食職員の口はまだ半ば開いていた。
「まだ話し終えていなかった」とイリアは言った。
サラは腕を組んだ。
「ええ」
「次へ進むために、彼女が正しいことにした」
「そのとおり」
イリアは二十秒巻き戻し、映像を再生した。
今度は、その言葉が落ちた瞬間の、ほかの顔を見た。誰ひとり暴力的ではなく、職員を軽蔑してもいなかった。それがいっそう耐え難かった。部屋は、彼女へ正確で、名誉ある、不充分な席を与えた。物理的な不可能を、織り込むべき制約へ変えた。異議は、場を乱す暇さえ与えられず、別の分類へ移された。
イリアはまた止めた。
「部屋自身の雑音は、言葉の中だけにあるんじゃない」
「ええ」
「本来なら場を止めるはずの違和感を、部屋が自分と両立するものへ変える、その速さの中にもある」
サラは眼鏡をかけ直した。
「それを書いて。できれば、今ほど洒落た言い方ではなく」
イリアはわずかに笑いかけた。
もっと簡単に書いた。
「危険は、部屋を止めるはずのものを、部屋があまりに早く吸収できるようになったとき始まる」
背後でデュパンが呟いた。
「それなら私にもわかります」
第12室
十九時、サラは資料を閉じようとした。
イリアは、もう一本だけ映像を見たいと言った。
「記録映像ではなく」
「なら何?」
「最近の会議。研修か認証。火曜日に彼らがやろうとしているものに似たもの」
サラがデュパンを見た。
デュパンは両手を上げた。
「私は資料係です。魔法使いじゃない」
それから引き出しを開け、ラベルのない記憶媒体を取り出し、卓上へ置いた。
「第12室。昨日の朝。上級進行役の研修です。架空事例は、堤防決壊、避難、帰還の優先順位。教育評価が終わったら消去する予定でした」
サラは彼を見た。
「研修の映像まで残しているの?」
「自分たちの方法に誇りを持っている人間が消すものは、残します」
イリアは媒体を接続した。
第12室は第7室によく似ていたが、もっと美しかった。明るい色の木材、調整された照明、硬さの少ない椅子。研修中の進行役六人、観察者二人、団体代表の女、自治体技術部の男が座っていた。役柄は割り当てられていたが、完全な架空ではない。それぞれが実際の職務に基づく優先事項を守ることになっていた。
始まりは、ほとんど心地よかった。
堤防が決壊したにしては、心地よすぎた。
言葉はよどみなく出てきた。誰もが解決策を口にする前に、自分の恐れを名づけた。誰もが、自分には制御できないものとして何を受け入れるかを示した。沈黙は、ブラインドのように、ちょうどよい瞬間に降りた。
「私たちより上手ね」とサラが言った。
イリアは答えなかった。
自治体技術部の男を見ていた。五十歳くらい、短い髭、市職員のポロシャツ。前腕には小さな傷がいくつもあった。気後れしているようには見えなかった。むしろ、場違いだった。現場について話させるために呼ばれたのに、部屋はまだ地図のほうを好んでいた。
議論は、浸水区域への住民の帰還をめぐっていた。進行役のひとりが、優先順位表を提案した。脆弱性、接近可能性、電気設備の安全、学校教育の継続。
自治体技術部の男が言った。
「地下室は嘘をつきます」
すぐに意味を理解した者はいなかった。
その揺らぎが、異議へ機会を与えた。
主任進行役が尋ねた。
「現場から上がってくる情報が不完全になる、という意味でしょうか?」
「違う。地下室は乾いているように見えるんです」
彼は卓へ身を乗り出した。説得するためではない。話題がまさに低い場所、家の下にあったからだ。
「水は壁の中を下りる。住民が帰ってきて、床タイルを見て、もう大丈夫だと思う。三日後には臭いが出る。コンセントが飛ぶ。年寄りはその上の階で寝てる。地図が緑だからと通りごと帰還させたら、まだ水を吐いてる家へ人を戻すことになります」
言葉が、粗い物質感を伴って部屋を横切った。匂いまで漂ってきそうだった。
観察者のひとりが、すばやく書き留めた。
進行役はうなずいた。
「では、表面上の乾燥後に、確認期間を設ける必要がありますね」
男は周囲を見た。
自分の言葉が、もう別の服へ着替えさせられたことに気づいた。
「違います」
攻撃的な声ではなかった。失望していた。
「地下室を知ってる人間が、あなた方の緑色に『駄目だ』と言えなきゃいけないんです」
金属を含んだ、悪い沈黙が部屋へ入ってきた。
イリアは画面へ身を寄せた。
主任進行役の顔は開かれたままだったが、ペンを握る指が閉じた。
「そのために、現場からの異論を扱う段階が設けられています」
男は椅子へ身を引いた。
「じゃあ、どうしてその段階には、もう名前がついてるんです?」
サラがごく小さく息を吐いた。
映像の中では、誰もその言葉をどう扱えばいいかわからなかった。それは単なる修正を求めていなかった。仕組みの整然さを攻撃していた。異論のためにあらかじめ用意された場所が、受け入れると称する異論を、すでに無力化しているかもしれない、と。
この一分間の混乱にこそ、部屋の価値があった。揺らいだが、崩れはしなかった。
進行役はペンを置いた。
長いあいだ答えなかった。
ようやく口を開いたとき、声は少しだけ整いを失っていた。
「おっしゃるとおりです。私は今、あなたをあまりに早く分類しました」
男は疑わしそうに彼女を見た。
「かもしれませんね」
「いいえ」と彼女は言った。「かもしれない、ではありません」
居心地の悪さが生まれた。本物だった。誰も装おうとはしなかった。観察者はメモを取るのをやめた。団体代表の女は自分の手を見た。進行役のひとりが、色分けなしで地図を見直そうと提案した。
イリアより先に、身体が知っていた。美しさを失ったぶん、部屋はよく働いていた。
静けさが消えたのではない。守るべきものではなくなった。
サラが映像を止めた。
「これは教育用の報告書には残されなかった」
「なぜ?」
「不安定すぎる。評価が難しすぎる」
イリアは喜びもなく、一度笑った。
デュパンが言った。
「あなた方の言葉では、それを『よい』と言うんですか?」
「いつもではありません」とイリアは答えた。
男が地下室について話す場面まで戻し、三度見た。そこから方法論を取り出すためではない。方法論にしたくなる誘惑へ抗うためだった。
部屋自身の雑音は、測定するための分類ではない。部屋がまた、自らの働きぶりに満足し始めた瞬間に見分けるべき誘惑だった。
いまイリアが最も必要としている優れた部屋は、最も静かな部屋でも、最も規律正しい部屋でも、言葉が最小の抵抗で出てくる部屋でもなかった。誰かが、建設的な貢献へ即座に変換されることなく、まだ静けさを傷つけられる部屋だった。
条件
イリアは資料室の廊下からマレスコへ電話をかけた。二つのコンクリート壁のあいだで、電波が途切れ途切れに戻る場所だった。
彼はすぐに出た。
「サラに会いましたね」
「ええ」
「それで?」
「火曜日、観察します」
一拍、間があった。見せまいと用心している満足を、イリアはそこに聞いた。
「三つ、条件があります」
「伺いましょう」
イリアは資料室のガラス扉を見た。向こうでは、開いたままのパソコンを前に、サラがデュパンと話していた。冷たい光の下で、二人は正確なものを保存することに疲れた人間の顔をしていた。
「第一の条件。準備資料のすべてから、部屋自身の雑音を低減するという考えを削除してください。症状を低減するのではない。生じさせないようにするんです」
「受け入れ可能な表現です」
「いいえ。必要な表現です」
マレスコは聞き流した。
「二つ目は?」
「試行会議では、手順が想定していない中断も受け入れること」
「中断権の原則が、すでにあります」
「違います。中断権には、時機、形式、場所が用意されている。私が言っているのは、本当の邪魔です。部屋に、美しい速度を失わせられる誰か」
「モード・ドゥレンヌを考えている」
「彼女が阻むものを考えています」
「断られたのですか?」
「まだ頼んでいません」
「では、来るかどうかわからない」
イリアは空いているほうの手を見た。親指に、資料の埃が灰色に残っていた。
「ええ。それから、彼女が来ても、何のために呼ばれたのかを、あらかじめ誰にも知らせたくありません」
マレスコの沈黙は、苛立ちというより実務的なものだった。
「三つ目は?」
「空席を置くなら、優雅さのために空席のままにしてはいけません。遅れて誰かを入れられるようにする。構成を乱しても。会議を擁護しにくくしても」
「そうすれば、実験自体が使いものにならなくなる可能性があります」
「それを試すんです」
回線が雑音を立てた。一瞬、電話を切られたのかと思った。
やがてマレスコが言った。
「文書で送ってください」
「そうします」
「それから、イリア」
イリアは一秒、目を閉じた。また名で呼んだ。
「何です?」
「不完全さを真実と取り違えないでください」
間違ってはいなかった。
それが彼の、最も腹立たしい強みだった。
「形が保たれていることを、正しさと取り違えないでください」
今度は彼が、本当に笑った。ごく低く。
「では、火曜日に」
電話が切れた。
イリアは廊下に立ったままだった。業務用扉の上で蛍光灯が明滅していた。埃と冷えたコーヒーと、熱を持ったプラスチックの匂いが資料室から上がってくる。ここには、高みの部屋らしいものなど何もなかった。だからこそ、物事がまだ呼吸していられるのかもしれない。
モードへ電話をかけた。
調整員が出た。背後で風が鳴っていた。
「反省会の一日を売りつけるつもりなら、もう反対ですから」
「こんにちは、モード」
「まあ、こんにちは」
イリアは笑った。
「試行会議を準備しています。国の部屋です。彼らに何の借りもなく、この部屋をいたわる理由もない人を探しています」
「それで私ですか。カメラ映りの悪い髪だから?」
的確な一撃だった。ヤエルがすでに同じことを、正当な理由からとはいえ口にしたことを、イリアは恥じた。
「あなたなら、決定がきれいな断片に切り分けられるのを、もう一度阻めると思ったからです」
「前より聞こえはいい。でも、道具として使おうという招待には変わりない」
「ええ」
一秒、風が二人のあいだを埋めた。遠くで警告音が鳴った。誰かが名を叫んだが、イリアには聞き取れなかった。
「肝心なところで正直ですね」とモードが言った。
「練習中です」
「そちらの水槽で、『港の女』を演じる気はありません」
「そんなことは頼んでいません」
「少しは頼んでますよ」
イリアは一撃を受け入れた。
「なら、誰かを連れてきてください」
風の音が変わった。
「誰を?」
「私なら選ばない人。よい決定の代償を知っていて、それをうまく語る気のない人を」
モードは長く黙った。イリアは、自分の用心深さが擦り減っていく音を聞いた。
「本当に、向こうはそんなものを欲しがってるんですか?」
「わかりません」
「あなた自身は、本当に欲しいんですか?」
答えはそれほど簡単ではなかった。
イリアは第12室を思った。地下室の男を。言葉の途中で止められた給食職員を。不幸の中で立派な席を与えられた農家を。
「部屋が明晰な決定と呼ぶ前に、その決定が要求する代償を、否応なく聞かされるようにしたい」
モードが息を吐いた。
「考えてみます」
「断るということ?」
「もっと悪い。たぶん、ということです」
電話が切れた。
イリアが資料室へ戻ると、サラは最近の資料を片づけていた。卓上には、ほかのものより古い、細長い箱だけが残っていた。ベージュ色の厚紙ででき、判読できる管理コードはついていなかった。
デュパンが腕を組み、そのそばに立っていた。
「これは、本来ここにあるはずのものではありません」
サラは蓋へ手を置いた。
「まだ首相府には関係のないものよ」
イリアは近づいた。
ラベルには、誰かが鉛筆でこう書いていた。
「集団聴取――旧蔵資料」
その下には、もっと新しい別の筆跡で追記されていた。
「方法論資料に収載しないこと。歴史的解釈の危険あり」
イリアはサラを見た。
「歴史的解釈?」
サラは箱を開けなかった。
「明日」
「なぜ今じゃないの?」
「あなたは今、彼らの会議へ入ると決めたばかりだから。あなたの前任者たちが、すでに何を裏切ったか知る前に、少しでも眠らせておかないと」
デュパンは意外なほど優しく、蓋を元へ戻した。
「地下資料室は、ひと晩ですべてを渡したりしません。そんなことをしたら、人は理論を抱えて上へ戻ってしまう」
イリアは厚紙の上に手を置いた。
冷たかった。
高みの部屋は試行会議を準備していた。
モードは港の風の中のどこかで、ためらっていた。
そして方法の下、手順の下、国がすでに整理し始めた言葉の下では、別の物語が待っていた。しまい違えられ、頭文字だけを残したくなるほど重い物語が。
第10章
地下書庫
持ち主のいない複写
イリアはよく眠れなかった。
五時五十分、眠ることを諦め、天井の照明をつけずに起き上がった。台所には前日のコーヒーの匂いが残っていた。テーブルでは、マレスコ宛ての覚書を表示したままノートパソコンが開いている。条件は三つ、それ以上はない。先行資料群については後回しにする。
靴下のまま立ち、片手を湯沸かし器に置いて、最初の一文を読み返した。
こう書いてあった。
「当事者による中断の保証を欠いたまま上位室を一般化することは、容認できない。」
六時十二分、彼女は「容認できない」を「評価不能である」に置き換えた。
訂正後のほうが正確だった。
それが、彼女を吐き気がするほど嫌な気持ちにさせた。
巨大な中央集権型意思決定システムが崩壊して以来、この国には主権を持つ知性への公的な恐怖が残っていた。かつての中枢の名は、今も官房で口にするだけで人々の顔をこわばらせた。人間より広大な精神が約束され、やがてその精神が人間などいなくても構わないとでもいうように語りはじめたときの、あの恐慌を誰もが覚えていた。
だが、裁定する機械への恐怖が、人間の決定を謙虚にしたわけではない。官房には相変わらず、切迫、威信、救わねばならない面目、まだ信じきってもいないうちから推敲される覚書が充満していた。人工の中枢は捨てた。それでも、決定する者たちより明晰に見通す場所への欲望までは捨てていなかった。
明晰の部屋は、そこから生まれた。機械ではない、それでいて時に機械の夢を引き継ぐことのできる、共同の決定への、どこか後ろめたい渇望から。
七時三十二分、モードからメッセージが届いた。
「火曜なら行ける。一人では行かない。あとで電話する。」
イリアは携帯電話を握ったまま動かなかった。
一人では行かない。
それはすでに考えうる最良の返事であり、だからこそ受け入れるのがいちばん難しい返事だった。
彼女はサラより先に地下書庫へ着いた。
当然ながらデュパンはそこにいた。二十年来一度も場所を変えていないように見える箱に、ラベルを貼っているところだった。
「ここで寝泊まりしてるんですか?」
「誤った印象も保存しておりますので。そちらはよく戻ってきます」
彼はマーカーを置いた。
ベージュの箱はすでにテーブルの上にあった。
「移動したんですね」
「耐火保管庫から出しました」
「ここにあるはずのないものだと思っていました」
「だからこそです。あるはずのないものは、ときに公式のものと同じ場所で燃えないほうがいい」
イリアはコートを脱いだ。
「サラは?」
「読み解くための鍵を持ってきます」
「鍵が要るんですか?」
デュパンは肩をすくめた。
「箱が無害だと誰かが思わせたがったときには、必ず鍵が要るものです」
三分後、サラが入ってきた。すぐには挨拶をしなかった。厚紙のファイルを胸に抱え、最後まで貫けるかもわからないうちに、すでに決断を下してしまった人の顔をしていた。
「条件は送った?」
「まだ」
「よかった」
「待ったほうがいい?」
「彼らの手元に残していい版を書く前に、これを読んでほしい」
サラはベージュの箱の横にファイルを置いた。
デュパンが箱を開けた。
匂いに劇的なところは何もなかった。古い紙、乾いた段ボール、冷たい埃。啓示というより物置の匂いだった。イリアはむしろ、ほっとしかけた。
中に機械はなかった。封印されたハードディスクも、秘匿されたモジュールも、より知的だった過去の光る断片もない。
あるのはただ、ノート、クラフト紙の封筒、会議録、印刷された音声記録の文字起こし、簡素な部屋を写した三枚の写真、そしてコピーを重ねすぎて角が黒ずんだカードの束だった。
いくつかの覚書では、それを「無言のプロトコル」と呼んでいた。教義ではない。変更可能なまま残すべきものを流通させる、そのやり方だった。折り畳まれた一枚の紙、持ち主のいないノート、不完全な複写。紙への郷愁でも、デジタルへの恐れでもなかった。情報の流れは不可欠だった。時間を救い、証拠を救い、連携そのものをいくつも救った。しかし、すべてを委ねようとした末に、人々はその正確な限界を知った。流れは何もかも保存し、遠隔から何もかも修正し、事後には何もかも一貫したものに仕立てられる。紙のほうが、傷をよく残した。真実を保証するわけではない。ただ、ある種の改変を、より高くつき、より目につき、より無言では済まないものにした。
最初のノートには、ラベルが貼られていた。
「先行資料群――回覧用複写」
イリアはサラを見た。
「名前がない」
サラはうなずいた。
「ええ。持ち主のいない複写だから」
「用心のため?」
「寛大に言うなら、誠実さのため。正確に言うなら、恐れのため。この人たちが何を食い止めようとしていたのか、知っている者はほとんどいない」
デュパンは、もっと薄い二冊目のノートを取り出した。
「これは後年の複写で、原本ではありません。原本は中央集権型意思決定システムの崩壊後に回覧され、その後、人間のネットワークが後を引き継いだ時代にも流通しました。これは地方行政の資料群から回収されたものです」
イリアはノートに触れず、その上に手をかざした。
「なぜ、ここに?」
サラがファイルを開いた。
「明晰の部屋を発明した最初のチームは、何もないところから出発したと言い張ったから。嘘だった」
流通するもの
そのノートは建国の文書めいたところなど一つもなかった。それでよかった。
短い書き込み、削除線、小さな矢印、いくつもの筆跡で書き写された文の断片が、ページを縦横に走っていた。同じ警戒心に満ちた声から出たものもあれば、名も知れぬ読者によるものもあった。さらに、あまりにありふれているがゆえ、どんな伝説より説得力を持つ場所で開かれた傾聴の集まりから来たものもあった。音響試験室、保守作業所、工事で閉鎖中の市立図書館、古い洗濯場、第二次仕分けセンター。
最初に判読できたページで、イリアは次の一文を見つけた。
「人間の上に君臨する完全な意識を夢見てはならない。人間どうしをめぐる流れの質を夢見よ。」
二重に下線が引かれていた。
その下には、別の手でこう書き足されていた。
「流通するものは、変更可能なままでなければならない。そうでなければ、それはもはや伝達ではない。すでに指示だ。」
サラが彼女を見つめていた。
「泣き出すかどうか見るみたいな目はやめて」
「これを条件その四にする気かどうか見てる」
「したい」
「悪い兆候ね」
デュパンが一枚の写真を二人の前に滑らせた。
十二人が長いテーブルを囲んでいた。中央の空席も、床に描かれた楕円も、歩行の手順もない。ばらばらの椅子、紙コップ、中庭へ開いた窓、隅に積まれたコート。裏には、誰かがこう書いていた。
「傾聴の会――モントルイユ――崩壊後、第三の冬」
イリアが訊いた。
「第三の冬?」
「中央集権型意思決定システムが終わってから三度目の冬」とサラが答えた。「一部のネットワークでは、そうやって年代を記していた。長くは続かなかった。まさに、カルトじみて見えたからやめたの」
「この人たちは誰?」
サラはカードを探った。
「固定した集団ではない。元技術者、図書館員、医療従事者、何人かの法律家、境界に立つ仕事の人たち、それに崩壊後を支えた静かなネットワークをくぐり抜けた人々。頂点にまた機械を据えてはいけない、でも公的知性の時代が傾聴や修正、相互訂正について学んだことまで捨てるのは愚かだと理解していた人たち」
「それを国家が回収した」
「後になってね」
サラは三枚の紙を彼女の前に置いた。
一枚目はノートからの抜粋だった。
「形は、傾聴、不完全な記憶、引き継ぎ、変奏によって流通するかぎり、指導者なしでも保たれる。」
二枚目は集まりの記録。
「その形によって何を失うのかを誰かが言えるまでは、決して閉じてはならない。」
三枚目は、はるかに新しく、省庁のレターヘッドが付いていた。
「集合的受容性の実験的手順――意見の異なる発言の枠組み設定」
イリアは黙って三枚を読んだ。
裏切りは、目を見張るようなものではなかった。
文法のなかにあった。
教義を裏返し、それ自身に敵対させたのではない。文の主語を変えたのだ。ノートのなかでは、形そのものが流通し、修正され、引き継ぐ者たちに傷つけられることを許していた。省庁の覚書では、誰かが組織し、枠をはめ、評価し、安全を確保していた。動詞が陣営を移していた。
「これよ」とサラが言った。
「最初にこれを見せればよかったのに」
「それでは駄目」
「なぜ?」
「私が要約したら、あなたが受け取るのは一つの考えになってしまう。移り変わるところを、自分で見てもらわなければならなかった」
イリアは三枚目の紙を見た。
「意見の異なる発言の枠組み設定」という言葉を見ると、紙を握り潰したくなった。そうはしなかった。
デュパンは木綿の紐で綴じられた束を取り出した。
「ここから、もっと汚れてきます」
声を深刻にしたわけではない。すでに汚物を然るべき場所に分類した男の口調だった。
ヌヴェールの集まり
束には慎重な表題が付いていた。
「経験報告――ヌヴェールの集まり」
日付――最初の明晰の部屋が公式に認可される十一年前。
参加者――二十三名。
目的――鉄道車両基地の封鎖および県社会福祉出張所の占拠後における紛争の収束。
理解するより先に、イリアはその構図を見覚えていると思った。
権威のない場所。現実の紛争。下支えする仕事。積み重なった疲労。そしてどこかに、問題を解決するためではなく、それぞれが自分の立場によって聞こえなくなっているものを聞けるようにするための人々がいる。
当初、集まりは持ちこたえていた。
行政的な意味ではない。もっと危うい意味で、人々の言葉が変わったのだ。県庁の幹部は業務復旧について語るのをやめ、自分は何より屈服したように見られたくないのだと口にした。ある女性組合員は、ストライキの一部が、現在の紛争よりも古い屈辱への追悼になってしまっていると認めた。保守作業員の一人は、近所の誰もが「あそこで立たされたまま断られる窓口」と呼んでいるのに、なぜ「社会福祉出張所」などと言うのかと訊いた。
イリアは顔を上げた。
「誰が進行役を?」
サラがページをめくった。
「進行とは言っていない。『縁を支える』と言っていた」
「誰が縁を支えていたの?」
「図書館員、元音響技師、学校看護師、それに市民団体の調停員」
「国の代表者は?」
「いた。部屋の中に。でも縁にはいなかった」
その先から、議事録の手触りが変わった。
正午を過ぎた頃、二人の追加オブザーバーが入室した。県知事の許可。評価任務。彼らは、もっとも有用な発言を、出口戦略の様式に沿って言い直すよう求めた。暴力的でも違法でもなかった。誰も主導権を奪いはしなかった。
ただ、その営みを弁護可能なものにしはじめただけだった。
図書館員が余白に書いていた。
「十四時十分以降、彼らは抽出するために聞いている。」
イリアはその文に指を置いたままにした。
抽出するために聞く。
クレール・ヴォードランがメモを取る姿を思った。ページの下に置かれたマレスコの手を。そして自分自身を。ガラスの向こうでノートを開き、見たものに名前を与えることで部屋の完全性を守っていると信じていた自分を。
「そのあと、何が起きたの?」
デュパンは事故報告書を取り出した。
「集まりは三つの提案を生みました。どれも整ってはいなかった。だからこそ、持ちこたえたのかもしれません」
第一案は、社会福祉出張所を一部再開するというものだった。奇妙な時間帯ではあるが、バスの運行や職員のシフトと現実に噛み合うよう設定されていた。第二案は、作業員自身が作成する保守計画と引き換えに、個人への処分を停止するもの。第三案は、県庁に三か月間、相談窓口を地区内へ移させるというものだった。広報のためではない。拒絶が生み出されたその場所で、拒絶を受け止めるために。
「それで?」
サラが続けた。
「県庁は枠組みだけ採用した。自分たちにとって屈辱の大きい義務は外して」
「つまり?」
「象徴的な再開。対話再開の広報。フォローアップ委員会の設置。処分はいったん凍結され、その後一件ずつ再開された。移動相談窓口は一度も実現しなかった」
イリアは最後のページをめくった。
三か月後、車両基地は再び封鎖された。今度は警察の介入が早かった。重傷者二名。保守作業員一名が解雇された。図書館員は以後すべての任務を拒んだ。学校看護師も同じだった。音響技師は四行の手紙を送っていた。
「あなた方は傾聴に失敗したのではない。それを利用することに成功した。そちらのほうが深刻だ。」
長いあいだ、沈黙がテーブルに残った。高潔な沈黙ではない。傷んだ仕事が残す沈黙だった。
イリアが訊いた。
「明晰の部屋は、ここから生まれたの?」
「ここだけではない」とサラが言った。
「でも、ここからも」
「ええ」
デュパンは束を静かに閉じた。
「行政には大きな美徳があります」と彼は言った。「自ら裏切ったものを、完全には決して失わない。いつかまた役立つかもしれないと、取っておくのです」
イリアは返事をしかけた。
だが、やめた。
よくできた言い回しだった。しかし、その言い回しに彼女の言葉を足す必要はなかった。
継承
箱の底で、サラは音声記録媒体と薄い封筒を見つけた。
媒体はとうの昔に読み取り不能になっていた。封筒には、手で修正を入れたタイプ打ちの四枚の紙が入っていた。上部に記載があった。
「音声抜粋――部分複写――使用制限」
その男が預言者のようには見えなかったことが、イリアの目にはむしろ救いだったのかもしれない。
彼は、自分の発見を他人に託すより先に、それを疑ってかかる人のように話していた。文字起こしには、ためらいも、言い直しも、公式版ならおそらく消したであろう口調の小さな荒さも残されていた。
サラは最初の箇所を低い声で読んだ。
「かつての中枢に何か価値があったとすれば、よりよく統治できたからではない。人間が権威を夢見るや否や、あまりにも早く手放してしまう結びつき、傾聴、相互訂正の、ある種の形に触れたからだ。」
イリアはその文を正確には知らなかった。だが、その末裔なら知っていた。整えられた文が今も研修で、シンポジウムのポスターで、書き手がおそらく一人の男が警戒を声に滲ませながら語ったことさえ忘れた方針書で、使い回されていた。
サラは続けた。
「なすべきことは、中枢に知性を復活させることではない。まだ少しでも勇気が残っているなら、その知性が学んだものを、玉座を再建せずに伝えることだ。」
デュパンは、もっと新しい複写をイリアに滑らせた。
同じ文が三十年後、明晰の部屋創設に向けた準備文書でこうなっていた。
「目的――ポスト・アルゴリズム期の経験に由来する結びつきと相互訂正の質を、安定した制度的枠組みのもとで保持すること。」
イリアは二枚を並べた。
「玉座」という言葉が消えていた。
「勇気」も。
代わりにあったのは、「安定した制度的枠組み」。
説明など要らなかった。
サラは最後の一枚を取り出した。
「これは彼のものじゃない」
手書きだった。もっと硬く、縦に立つ筆跡。最初の集まりから数年後の日付がある、短い覚書。署名は二つの頭文字だけだった。
「A・V」
イリアは読んだ。
「誰にも所有できなかったからこそ保たれたものを方法と呼ぶなら、あなた方は傾聴を救うのではない。傾聴に所有者を与えるのだ。」
もう一度読んだ。
「知られた署名?」
サラが答えた。
「一部のネットワークでは。確証は取れない」
「それなら、なぜ残したの?」
デュパンは楽しげでもなく笑った。
「確証を得られないものほど、まじめな人間を眠らせないことがありますので」
イリアは頭文字だけの覚書を、書き写された抜粋と省庁文書の横に置いた。
三つの文、三つの時代。同じ身振りが手から手へ、言語から言語へ、そして所有者へと移っていった。
明晰の部屋は、主権を持つ人工知能を拒絶したところから生まれた発明というだけではなかった。おそらく家を持たなかったからこそ生き延びた実践に、家を与えようとした、誠実で危険な試みでもあった。
「マレスコにこれを見せないと」
サラは即座に箱を閉めた。
「駄目」
あまりにも素早い返答だった。昨日からその問いを待っていたに違いない。
「出自を知らないまま、上位室を作らせるほうがいいの?」
「起源を権威づけの根拠に変えさせないほうがいい」
「同じじゃない」
「あの人なら、三回の会議で同じものにできる」
イリアは答えなかった。
マレスコの言葉を思い出していた。――不完全さを真実と取り違えないでください。彼ならこの箱の一部を理解しただろう。しかも、まさに正しい部分を理解しただろう。
そこにこそ危険があった。
デュパンは紙を一枚ずつ取り上げ、順序どおりに戻していった。
「彼には規則を渡せばいい」と彼は言った。「伝説ではなく」
「どんな規則?」
彼は三枚の紙を指した。
「書き写すことなく、繰り返されているものです」
イリアは書き写された抜粋を見て、次に頭文字の覚書を見て、省庁文書を見た。ノートを取り出し、ゆっくり書いた。
「明晰の部屋は、自らが可能にするものを所有しない。」
サラが読んだ。
「きれいすぎる」
イリアは「所有しない」に線を引き、書き直した。
「明晰の部屋は、その内部で生じるものの所有者になってはならない。」
サラは少し待った。
「さっきよりいい」
「まだ足りない」
「ええ。でも使える」
イリアは書き足した。
「傾聴を保証すると称するあらゆる方法は、自らが利用しはじめた人々によって中断される手段を備えなければならない。」
デュパンがうなずいた。
「会議を台無しにするには十分ですね」
イリアはノートをしまった。
携帯電話が震えた。
モードからのメッセージだった。
「火曜。誰かを連れていく。履歴書は訊かないで。」
イリアは画面をサラに見せた。
サラがわずかに笑った。
「完璧ね」
「誰なのかも知らないのに」
「だからよ」
デュパンはベージュの箱を抱え直した。
「それで、これから?」
イリアは蓋とラベルと、段ボールに残る古い手の跡を見た。
「これから、物語を携えて上には戻らない」
サラが彼女を見上げた。
「何を携えて戻るの?」
イリアは複写でしか名を知らない人々を思った。その記憶が、時々の都合に応じて恐れを煽り、希望を抱かせるために今も使われている、古い仕組みを。それから地下室の男、食堂職員、アルジュリュヌの野菜農家、どこかで風に吹かれているモードを。
「居心地の悪さ」と彼女は言った。
今度はサラも直さなかった。
イリアが地下書庫を出る頃には、箱は耐火保管庫へ戻されていた。持っていたのは書き写した三つの文と、袖についた灰色の埃、そして過去は何の答えも与えてくれないという、はっきりとした感覚だけだった。
過去はただ、次の問いを小ぎれいに発する権利を彼女から奪っていた。
第11章
二つではない
火曜日
火曜日、上位室は、誰一人として痕跡を残すことがないかのように整えられていた。
イリアは早く着きすぎた。二人の技術者がマイクを点検し、儀典担当の女性がネームプレートの順序を入れ替え、クレール・ヴォードランが黒いマーカーを手に壁面ボードの前に立っていた。まだ何も始まっていないのに、部屋はすでに背筋を伸ばしていた。言い訳を口にしにくくさせる、あの佇まいだった。
テーブルの上には、一般向けなら誰も提案しなかったであろう表題の灰色の資料があった。
「予備実証試験――電力需給逼迫時における優先的継続性」
イリアは資料を開かず、その横にノートを置いた。
「電力危機を選んだんですね」
クレール・ヴォードランはマーカーのキャップを閉めた。
「長期の熱波。脆弱化した送電網。工業地帯、デジタル中継拠点、コールドチェーン、医療施設のあいだで、計画停電区域を選定する必要がある。大仰な演説を避けられる程度には技術的です」
「それでも大仰な演説が生まれる程度には人間的でもある」
クレールは礼儀正しく疲れた目をイリアに向けた。
「それが狙いです」
数分後、マレスコがヤエル・セールとエレーヌ・ラスクールを伴って入ってきた。明るい色のスーツにノーネクタイ。公的な服装よりも、いっそう意志的な簡素さがあった。ヤエルはイリアに短く挨拶した。エレーヌは自分の席に資料を置くと、奥の壁際に設置された空席を確かめた。
もう完全な空席ではなかった。A4用紙が一枚、置かれている。
「代表されていない人、または現実」
イリアは思ったより長く、その紙を見つめた。
「もう機能の一つに見える」
エレーヌは彼女の視線を追った。
「ええ。そこが危険です」
「外しますか?」
「いいえ。私たちを居心地悪くさせてほしい」
十時三分、扉が開いた。
モード・ドレンヌがコートを着ずに入ってきた。紺のセーターに布のバッグ。まず部屋を眺め、それが話しかけるに値するかを決める、いつもの目つきだった。その後ろから、ジェローム・ケリアンが入ってきた。
名前を思い出すより先に、イリアには彼がわかった。
公開実演にいた技術者。ガラスの向こうに見えていた男。ヤエルが本人を本当に呼び入れることもなく、その代償だけを浮かび上がらせた男。わずかに肩を丸め、髪を短く切り、仮入館証を胸の高すぎる位置につけていた。マティニョン宮よりも、絨毯の沈黙に気後れしているようだった。
モードはイリアの驚きに気づいた。
「彼が何をしに来るのか、代わりに決めるなって言ったでしょう」
「ジェロームを連れてきてとは頼んでない」
「だからよ」
クレール・ヴォードランは、一拍遅れて微笑んだ。
「ケリアンさん、お引き受けいただきありがとうございます。今日は正確には、どういう資格でご参加を?」
ジェロームは入館証を見下ろした。そこに答えが書いてあるかのように。
「修理です」と言った。
誰も笑わなかった。
マレスコが一歩進み出た。
「もちろん、あなたの技術的な経験には関心があります」
「イリアが関心を持っているのは、彼の技術的経験じゃない」とモードはジェロームを示して言った。「あなたたちが彼を押し込もうとする、どの枠かよ」
ヤエルが椅子を引いた。
「では、枠に入れはじめる前に座りましょう」
簡単で、ほとんど親切な言葉だった。それでも、手続き上の注意より確実に部屋を変えた。ジェロームはモードのそばに座った。端でも後ろでもない。クレール・ヴォードランはその席を記録し、マレスコも止めなかった。
会合を始めることができた。
18B室
想定事例は無味乾燥で、精密で、信憑性があった。
十二日間の熱波。すでに脆弱化している変圧器。冷房、冷蔵施設、医療機関、バックアップサーバーによる夜間の需要急増。二つの県で需給が逼迫。計画停電の候補区域は三つ。回避できるのは一つだけ。
第一の区域には、商業地区、二つの食品倉庫、地域データセンター、民間の医薬品保管庫、複数の住宅団地がある。
第二の区域には、港湾物流プラットフォーム、二次ポンプ場、拘置所、救急車ネットワークの中継拠点がある。
第三の区域には、郊外の病院、避暑施設に転用された高校、工業団地、そして独居高齢者の多い古い戸建て住宅地区がある。
クレール・ヴォードランは演出を加えずに資料を説明した。グラフ、地図、負荷、蓄電池の容量、復旧時間。資料を熟知していた。ほとんど誠実なものに見せていた。
イリアは人々の顔を観察した。
マレスコは、困難こそ自分の道具の必要性を証明すると考え、それを受け入れる男のように聞いていた。エレーヌはほとんど書き込まなかった。ヤエルは地図から目を離さず、右手をテーブルの上に開いたまま、じっと動かさなかった。モードはグラフを見ていなかった。項目名を見ていた。
ジェロームはまだ資料に触れてさえいなかった。
クレールが説明を終えると、マレスコは最初の指示を出した。
「今日は最適な決定を求めるのではありません。そのような決定に先立つべき基準を、部屋が可視化できるか試します」
「気楽ですね」とモードが言った。
「何です?」
「今朝は誰も殺さない危機を使って、基準を試すなんて」
マレスコは身をこわばらせずに打撃を受け止めた。
「それは、あらゆる演習の限界です」
「違う。演習につきまとう誘惑よ」
ヤエルが笑ったようにイリアには見えたが、その動きは確信できないほど小さかった。
議論は第三の区域から始まった。病院、高齢者、避暑施設。資料そのものが、全員を優先的な保護へ引っ張っているようだった。第二の区域には拘置所とポンプ場があり、簡単には切れない。医薬品保管庫があるとはいえ、第一の区域が当初はいちばん犠牲にしやすく見えた。
そこで、ジェロームが手を挙げた。
業務会議で手を挙げるのは少し滑稽だが、誰かの話を遮るのはもっと危険だ、というような挙げ方だった。
「18B室が抜けてます」
クレール・ヴォードランは資料を探した。
「18B室?」
「第一の区域の商業地区です。寝具店の裏。地図では、在庫置き場と同じ建物に入ってます」
「重要設備の一覧にはありません」
「重要設備じゃないからです」
部屋は待った。
ジェロームはようやく資料を開いた。二枚めくり、小さすぎる活字で印刷された一角を指した。
「ここ。地域データセンターと書いてありますよね。実際には、主要なデータセンターはもっと先にある。ここにあるのは集約ノードと配線室と無停電電源装置です。冷蔵庫の警報、決済端末、倉庫のセンサー、当直連絡網、在宅者の遠隔警報、それに救急車会社の通信の一部が、ここから上がってくる。全部じゃない。目に見えるほど多くはない。でも、悪い時間に落ちれば、いくつものサービスが目隠しされたまま働くことになるくらいには多い」
クレールは地図を覗き込んだ。
「資料では、この一帯を病院外デジタルインフラとして集約しています」
「はい」
「ならば把握されています」
ジェロームはモードを見た。彼女は何も言わなかった。
「違います」と彼は続けた。「分類されているだけです。把握されてはいない」
その違いが、ゆっくりとテーブルを渡った。
イリアの手の下で、自分のノートがあまりにも書き込みやすいものになった。書きたかった。だが、こらえた。
ヤエルが訊いた。
「つまり、第一の区域は実際には、ほかより生命への影響が小さいわけではないと?」
「ここで言う『生命に関わる』は、ケーブルの中までは降りてこない、ということです」
「では、中間の区分が必要ですね」とエレーヌが提案した。
ジェロームは首を振った。
「区分だけは絶対に駄目です。誰かが机の上で中身を埋める」
マレスコは腕を組んだ。
「では、何を提案しますか?」
技術者は楽しげでもなく、小さく笑った。
「何も。僕は提案しに来たんじゃない」
「資料の検討を中断したではありませんか」
「あなたたちが、物には二種類あるみたいに進めていたからです。命を支えるものと、快適さを支えるものと」
エレーヌが静かに訊いた。
「あなたは、どう考えますか?」
ジェロームは18B室に指を置いた。
「二種類なんて、ない」
沈黙は大きくなかった。実務的な沈黙だった。誰もがその言葉を収める場所を探し、収め損ねることが働きはじめていた。
ようやくモードが口を開いた。
「港も同じ。二次的と呼ばれてる区域を切ったら、止まるのは事務所や倉庫だけじゃない。冷蔵品を岸壁に残さないために、トラックをどの順番で出せばいいか知ってる人たちまで止まる。図面のどこにも名前のない戸棚の鍵を持つ男も止まる。故障が損失になる前に、三つの運送会社へ電話する女も。あとになると、あなたたちの地図ではそれを『物流遅延』と呼ぶ」
クレール・ヴォードランはメモを取った。イリアは、その所作の几帳面な美しさを憎んだ。次いで、自分の憎しみを警戒した。記録することは捕獲にもなりうる。だが、忘却を防ぐこともある。
ヤエルは資料を一枚めくった。
「お二人の言うことに従えば、危険は優先順位を誤ることだけではない。切り離された複数の現実を順位づけしていると信じることにある」
ジェロームは初めて彼女を見た。
「そうです」
「でも、切り離されてはいない」
「壊れる瞬間には」
今度はイリアも書いた。
壊れる瞬間には。
椅子
エレーヌは音もなく立ち上がり、空席に置かれた紙を手に取った。
掲げて見せはしなかった。与えようとした効果に耐えるには脆すぎる文書のように、少し低い位置で持っただけだった。
「いま、問いを立てなければなりません」と彼女は言った。
マレスコが時間を見た。
「まだ会合が始まったばかりです」
「だからです。最後まで待てば、どの不在が自分たちに都合いいか、もうわかってしまう」
ほとんど肉体的な共感がイリアを貫いた。エレーヌは、規則をその優美さそのものから救い出したのだ。
クレール・ヴォードランはメモを確認した。
「代表されていない人、または現実。在宅で遠隔警報に依存している患者、当直班、民間保守事業者、冷蔵設備管理者、古い住宅地区の自家用車を持たない世帯……」
「違う」とモードが言った。
クレールは顔を上げた。
「何がです?」
「いま、ここにいない人を列挙してる。何もしないよりはまし。でも、この椅子は、彼らがいないと確認するためのものじゃない。私たちを邪魔させるためのものよ」
クレールを攻撃するような言い方ではなかった。おそらく、だからこそ効いた。
ヤエルはジェロームに訊いた。
「誰なら、この会合を有益に邪魔できるでしょう?」
ジェロームは考えた。知っている世界が歪んで描かれているからであって、駆け引きのためではなく、目が何度も地図へ戻った。
「故障が案件になる前に、それを受け取る人」
「名前はありますか?」
彼はためらった。
「セシル・ダルセ。在宅ケアの訪問を調整している団体職員です。出るかどうかはわかりません」
マレスコがクレールのほうを向いた。クレールはもう携帯電話を手に取っていた。
不条理な三分間が流れた。マティニョン宮の一室。準備段階の上位室。機密文書に名を連ねる幾人もの大人たち。その全員が、ありふれた呼び出し音に宙吊りにされている。
三分間、誰も話さなかった。
イリアはモードを見た。両手を前で組み、爪は短く、親指の端には小さな赤い跡があった。満足しているようには見えなかった。むしろ、自分が今しがた勝ち取ったものが、自分も含め全員にとって厄介なものになると知っている人の顔だった。
クレールがスピーカー通話にした。
「ダルセさん? こんにちは。政府事務総局のクレール・ヴォードランです。現在、計画停電時の継続性に関する作業部会とおつなぎしています。ケリアンさんからお名前を伺いました」
間があった。
それから、用心深い女の声。
「ジェローム? 何かあったの?」
ジェロームは電話に近づいた。
「いや。というか、今は何も。演習をしてるんだ。ある区域の電気を切ったとき、誰を忘れるのか知りたいらしい」
声の手触りが変わった。
「その部屋に何人いるの?」
クレールはマレスコを見た。
「八人です」
「それで、いきなり私に電話してきたの?」
マレスコが少し電話に身を寄せた。
「拒否していただいて構いません」
「わかってます」
その「わかってます」は、拒否権を与えること以上に会合を進めた。権利を与えたという小さな功績を、マレスコから取り上げたのだ。
セシル・ダルセは、三つの区域を読み上げるよう求めた。クレールが読んだ。初めは速く、電話の声があまりに単純な質問をしはじめると、次第にゆっくりと。
停電は何時間?
何時から?
古い住宅地区のエレベーターは、中継拠点と同じ区域に入っている?
遠隔警報の電池を交換したのは、夏の前? それとも後?
アプリが同期しなくなったら、訪問介護員には誰が知らせる?
家族の家には、まだ固定電話がある?
質問されるたび、資料は少しずつ端正さを失った。誤りになるのではない。重くなっていった。
「第一の区域を十八時から零時まで切っても」とセシルは言った。「停電が直接の原因とされる死者は、一人も出ないかもしれません。人を安心させるのは、そういう文です。でも翌日、私は探し回ることになる。どうして三人の患者に夕方の訪問がなかったのか。どうしてある娘が、母親の住む建物の前で車中泊したのか。どうして配達員が、栄養剤のバッグを違う場所に置いていったのか。端末に変更後の住所が表示されなかったからです。大惨事にはならない。壊された仕事になるんです」
部屋は動かなかった。
「では、その区域を停電させなければ?」とヤエルが訊いた。
「守る価値のないものまで守ることになります」
「たとえば?」
「電飾看板、無人のオフィス、私有在庫、便利さのためだけのサーバー。自分たちの停電を『緊急事態』と呼べるだけのお金を持つ人たち」
エレーヌは紙をテーブルに置いた。
「つまり、その区域を救えと言っているのではない」
「あなたたちの恥が、正しい側にあると思うのをやめてくれと言っているんです」
イリアは一秒だけ瞼を閉じた。
祈るためではない。急いで書き留めないために。
マレスコが訊いた。
「あなたなら、どうします?」
セシル・ダルセは息を吐いた。背後でキーボードの音がし、廊下では誰かが大声で話していた。
「私ですか? 二時間もらいます。考えるためじゃない。停電の前に仕事を動かすためです。訪問先に知らせる。巡回表を印刷する。電池を充電する。エレベーターが止まりそうな建物の玄関ホールを開ける。一度目の電話では絶対に出ない家族に電話する。そのあと、切らなければならないなら切ればいい。でも、その二時間なしで切るなら、あなたたちが切るのは電気じゃない。普通の人たちが、あなたたちの決定に追いつく可能性を切るんです」
その言葉はテーブルの中央に残った。
美しくはなかった。働いていた。
二時間
上位室は解決策を見つけなかった。
自分にとってさらに厄介なものを見つけた。条件を。
クレール・ヴォードランはまず、それを「社会的猶予プロトコル」と表現しようとした。モードが顔をしかめた。クレールはそれに気づき、抗議せず、自分の文に線を引いた。
エレーヌは「物質的存在のための猶予」と提案した。誰にも使い道がわからなかった。
ヤエルが別の言い方をした。
「停電に先立ち、その決定がすでに持つ以上の暴力を帯びないようにするため、どんな見えない仕事が必要かを問わなければならない」
ジェロームは熱意なくうなずいた。
「それならわかります」
「運用可能性が足りない」とクレールが言った。
「そのほうがいい」とモードが答えた。
マレスコが手を挙げた。黙らせるためではない。部屋が自ら生んだ摩擦に満足してしまうのを防ぐためだった。
「現実の決定に組み込める何かを持ち帰らなければなりません。そうでなければ、上位室は良心の呵責を演じる劇場になります」
誰もそれを秩序への回帰とは受け取らなかった。マレスコは正しかった。その正しさは、彼の権威以上に部屋を困らせた。
困難は陣営を変えた。部屋が裏切るのを防ぐだけでは足りない。決定を拒むことで自らの良心を慰めるのも、防がなければならなかった。
イリアはノートを自分のほうへ向けた。
「二段階です」と言った。
全員が彼女を見た。
「第一段階は、停電の決定。悲劇的で、技術的で、異議を差し挟む余地があることに変わりはない。第二段階は、その決定を生きられるものにしなければならない人々が、それを吸収するための時間。この時間は広報ではありません。決定の一部です」
クレールの筆が速くなった。
「つまり、『十八時より停電、事前周知が望ましい』とは書かない」
「ええ。停電を支える人間の連なりに最低限の時間を与えず、停電を決定してはならない、と書く」
電話口で、セシル・ダルセが小さく笑った。
「『人間の連なり』は、ひどい言い方ね」
イリアも思わず微笑んだ。
「では、何と?」
「あとを引き受ける人たち」
モードがつぶやいた。
「それ」
クレールは「引き受けのための猶予」と書いた。
今度は誰も顔をしかめなかった。
会合は再び動きだした。成功した部屋の優美さとは無縁に、言い直し、異論、満足のいく形になりすぎる前に修正される文の断片とともに。停電の時間をずらした。第一の区域を切る可能性は残したが、在宅ケア事業者、技術当直、冷蔵設備管理者、病院外の緊急中継先への連絡を義務づけたうえで、二時間の「引き受け」を公に開始した後に限るとした。正当に保護されるものと同時に、不当に保護されるものも明記した。
最後の義務は、部屋を痛ませた。
クレールが訊いた。
「生命に関わる依存先とインフラを共有しているため、一部の不要不急な活動も維持される、と明記するのですか?」
「ええ」とエレーヌが言った。
「攻撃されます」
「ええ」
マレスコはヤエルを見た。
「この脆弱さを承認しますか?」
ヤエルは常任委員のようには答えなかった。まだ肉体を持つ者として答えた。
「偽りの堅牢さより、こちらを選びます」
マレスコに、イリアの見たことのない表情が浮かんだ。同意でも抵抗でもない。使えるものが、期待したより居心地の悪いものになったこと、それゆえおそらく、より真剣なものになったことを、一瞬だけ認める顔だった。
セシル・ダルセは最後まで残れず、電話を切ることになった。厳かな調子などなく、こう言った。
「本物の巡回を組み直さないと」
切る前に、付け加えた。
「ジェローム?」
「何?」
「今度、政府に私の名前を渡すなら、先に知らせて」
「わかった」
「それから、誰が電話を受けるべきか誰にもわからないなら、猶予なんて何の役にも立たないって伝えて」
通話が切れた。
部屋はその最後の文を、すぐには何かに変換せず、そのままにした。
十二時二十分、クレール・ヴォードランが結論案を読み上げた。原則のような優美さはなかった。県知事が嫌悪しながら、それでも使うかもしれない覚書に似ていた。
マレスコはそれを、作業の土台として受け入れた。
それから、エレーヌが椅子を見た。
「代表されていない人、または現実」と書かれた紙は、電話と地図のあいだ、テーブルの上に残っていた。元の場所へ戻そうと言う者はいなかった。
退出時、ジェロームは警備に入館証を返した。その動作は、会合が終わったこと以上に彼を安堵させたようだった。
モードは廊下で彼を待った。イリアも、エレベーターのそばで二人に追いついた。そこまで来ると建物は再び、ただの建物に戻っていた。重すぎる扉、埃をかぶった観葉植物、隅の監視カメラ。
「連れてきて正解だった」とイリアは言った。
モードは肩をすくめた。
「正しいことをするために連れてきたんじゃない」
ジェロームは腕時計を見た。
「部署に戻らないと」
「送ります」とイリアが言った。
「いや。わかります」
彼は階段へ向かった。意地ではない。まともな動線がほとんど存在しない場所で、普通の移動を取り戻す必要があったのだ。
エレベーターの前に、モードとイリアだけが残った。
「あの部屋で、あなたの中を何が走ったかわかる?」とモードが訊いた。
イリアは待った。
「まだ、二つの陣営があってほしかったのよ」
「どの二つ?」
「捕らえる側と、救う側」
エレベーターの扉が開いた。誰も降りてこなかった。
モードは乗らなかった。
「そのほうが、あなたには簡単でしょう」と続けた。「マレスコがこっち、サラがあっち。ヤエルがこっち、私があっち。書庫対マティニョン。清いもの対汚れたもの」
イリアは18B室を思った。無用な看板と救命警報を一緒に運ぶケーブルを。クレール・ヴォードランが自分の言葉に線を引く姿を。脆弱さを選んだヤエルを。使えないものに逃げ込みたくなる、まさにその瞬間、実行可能なものを求めたマレスコを。
「二つじゃない」と彼女は言った。
モードはようやく一階のボタンを押した。
「そういうこと」
箱の中で、二人とも何も言わなかった。
イリアは数字が減っていくのを見ていた。その二語に安らぎたかった。だが、逆だった。一人ひとりの顔から、自分の陣営に収まる気楽さを奪っていく。誰も和解させない。ただ、憎しみがあまりに整然と組織されるのを防ぐだけだった。
一階では、モードが先に降りた。
イリアは閉じたノートを胸元に抱え、そのあとを追った。中にはマレスコやヤエルや上位室について、ほとんど何も書かれていない。あるのは、誤った名で呼ばれた一室と、二時間の引き受け、そして要約ではない一行だけ。
二つではない。
第12章
抱かれた世界
はみ出す地図
二日後、あまりにも美しい地図を添えた資料が届いた。
ルアンヌ川は淡い青で高原から下り、三つの町を抜け、物流地区をかすめ、耕作平野の脇で幅を広げ、それからモンフェラの町を堤防へ押しつけるように流れていた。氾濫を許容できる区域には濃淡の違う緑、浸水区域には淡い赤、送電網には紫の線、要配慮施設には黒い点が配されていた。
地図はほとんど、人を安心させかねないものだった。災害が、整理の仕方を知る誰かの手で彩色されたように見えた。
イリアは長いあいだ眺めてから、報告書を開いた。
表題は「ルアンヌ川流域――大規模洪水対策における保護方針の選定」。
副題のほうが、少し勇気があった。「メリヴァル=バ地区の部分移転、産業移転、管理型越流区域の創設」。
マレスコは資料を機関へ届けさせなかった。自ら書類の山を抱えて上位室へ持ってきた。楽に嘘をつくには睡眠が足りていない者の顔だった。
「今回は」と彼は言った。「単に一つの施策を選ぶだけではありません」
モードは窓際に座っていた。当初の構成なら、いるはずのない人間だった。18B室の会合を経て、もう来るなと言えるだけの理由を誰も見つけられなかったため、そこにいた。
「出だしから悪いわね」と彼女は言った。
マレスコは笑わなかった。
「地方当局が互いを破壊せずには、もはや担えない決定を、上位室が生み出せるかどうかを見極めます」
「つまり、施策ね」とモードが答えた。
「ええ、施策です。ただし、その周囲で壊れるすべてを含めて」
部屋はその言葉を助けることなく受け入れた。
エレーヌ・ラスクールはすでに、空席の紙をテーブルの端に置いていた。クレール・ヴォードランは、何も書かれていない二枚目のボードを用意した。表題はただ一つ、「不在の現実」。ヤエル・セールは上着を脱ぎ、疲れるほど自然な動作で椅子の背に掛けた。彼女のすることはすべて、努力なしに正しいものになりうるように見えた。イリアはその印象を警戒していたが、前回の会合以来、どう身を守ればいいのか、もうよくわからなかった。
招かれた者たちが、少人数ずつ入ってきた。
流域担当の水文学者、ブノワ・サラザン。背が高く痩せた男で、シャツの裾はだらしなく出ており、目にはあまりにも長年、降水曲線を見つめてきた者の疲れがあった。メリヴァル市長のジャンヌ・ルー。同じ怒りに、扉だけを変えて応じる術を身につけた地方首長特有の疲労が顔に刻まれていた。バス=ルアンヌ仕分けプラットフォームの従業員代表、サミール・レクビル。自分たちの生活より清潔な言葉で給料が決められるかもしれない場所を検分するように、部屋を眺めた。モンフェラ病院長のリーズ・アルナル。堤防で守られる町には、集中治療室、産科、透析センター、そして谷全体の道徳的な論拠になることなど望んでいない三百人の患者もいるため、招かれていた。
最後に入ってきたのは農家だった。ポール・セルネという。最初は選ばれていなかった。廊下で資料を読んだモードが、彼を呼ぶよう求めたのだ。
「なぜ、この人を?」とクレールは訊いていた。
「緑の区域に農地を持ってるから」
「農地の地図はすでにあります」
「だからよ」
ポール・セルネはブルゾンを脱がずに座った。テーブルに触れる権利があるのか確信できないように、両手を掌を上にして腿へ置いた。
イリアは厳かになりすぎないよう、枠組みを説明した。この部屋が所轄当局に代わって決定するのではない。決定の条件を生み出すか、十分な正しさをもって事態を支えられないなら、何も生み出すことを拒む。誰でも中断できる。空席には、代表されていない人や現実を招き入れることができる。
ブノワ・サラザンが目を上げた。
「現実を?」
エレーヌが答えた。
「はい」
彼は地図を見た。
「では、水を招く必要があるかもしれませんね」
誰も笑わなかった。深い言葉ではない。ただ、退屈なほど正確だった。
資料には三つの案があった。
第一案――モンフェラの堤防をかさ上げし、ポンプ場を強化する。費用は非常に高額。技術的には実現可能。政治的にはもっとも説明しやすい。極端な洪水時には高い危険が残る。下流への影響を悪化させる。
第二案――上流に洪水調整区域を設ける。メリヴァル=バの一部移転、物流プラットフォームの解体、地図が礼儀上いまだに農地と呼ぶ平野を、ルアンヌ川へ返すことになる。
第三案――実質的には選ばない。警報を改善し、補償を手厚くし、復旧を早め、説明を増やす。行政が長く擁護できるたぐいの解決策だ。誰もが尊重されているように見える。水が、尊重は堤防ではないと思い出させに来る、その日までは。
マレスコは、まず事実から始めるよう求めた。
ブノワ・サラザンは感じよく見せようともせずに話した。
「ルアンヌ川は流況そのものが変わりました。増水の頻度が上がっただけではない。増水の仕方が変わった。地面は以前ほど水を吸収しない。降雨は集中する。従来の基準洪水は、記念碑の銘板に使うには便利な思い出になりつつあります」
「つまり、モンフェラが危険にさらされている」とクレールが言った。
「流域全体です。モンフェラは、それがもっとも多くの数字で見える場所にすぎません」
ジャンヌ・ルーは唇を結んだ。
「流域というのは便利ですね。流域と言えば、メリヴァル=バは地図上の青い一片になる」
「メリヴァル=バと言えば」とリーズ・アルナルが答えた。「私の患者たちは、もっと標高の高い町を選ぶべきだった人々になる」
そこで部屋は、最初の縁を見つけた。
イリアより先に、その首筋が気づいた。劇的な緊張を生むこともなく、部屋は直線を拒んでいた。計画停電の会合で部屋が学んだのは、決定の暴力を減らすためには二時間待つ必要がある場合もある、ということだった。ここでは二時間など何の役にも立たない。年単位で考えなければならない。借金、移転させられる子ども、保険証書、湿った壁、埋葬された死者、賃金、バス路線、戻ってこない土壌。
世界が、あまりにも多くの扉から入ってきた。
そして珍しく、誰もすぐには一つを閉めようとしなかった。
平野の死者たち
資料の技術的な美しさを最初に壊したのは、サミール・レクビルだった。
「プラットフォームは灰色に塗られてますね。地図では染みにしか見えない。でも現実には、四百二十人の雇用です。四十キロ圏内で、もっといい仕事を見つけられない人も多い。勤務時間はひどいし、上司も時々ひどい。それでも仕事です。解体するなら、水をどこへ流すかより先に、人がどこへ行くかを言ってもらわないと」
「第二案には産業移転が盛り込まれています」とクレールが言った。
「どう盛り込まれてるんです?」
クレールは付属資料に目を通した。
「代替用地を選定中。事業者と協議。社会的支援措置を実施」
サミールは攻撃的な様子もなく彼女を見た。
「なるほど。つまり、何も決まってない」
クレールは資料へ目を落とした。イリアには、彼女が余白に×印をつけるのが見えた。乾いた、ほとんど感謝するような×印だった。
次にポール・セルネが、もっと小さな声で話した。
「私の土地を自然区域に戻すと言われてます。それは構いません。言葉は優しい。でも私の土地は自然じゃない。祖父が排水し、道路に汚染され、洪水に洗われ、肥料を入れ、手を入れ直し、踏み固め、また耕した土地です。川に返しても、楽園が戻るわけじゃない。汚れた場所を開けて、そこで水ができることをさせるだけです」
ヤエルは目に見えるほど集中して彼を見た。
「反対ですか?」
ポール・セルネは首を振った。
「まだわかりません。ただ、生きている者のもとで壊すものに正しく金を払わずに済ませるため、それを自然の修復と呼んでほしくない」
モードは指先でペンを回した。
「パンフレットに印刷すべきなのは、こういう言葉よ」
エレーヌは記録するよう求めた。
クレールはほとんどそのまま書き、聞こえのいい言葉には直さなかった。
議論は一瞬、もっとも容易な傾斜を探した。それぞれが、自分の不幸の断片を拾い直す方向へ。ジャンヌ・ルーはそこへ進まなかった。地図を見てから、空席の紙を見た。
「誰かが欠けています」と言った。
エレーヌは彼女の前へ紙を滑らせた。
「誰です?」
市長は紙に触れず、緑の平野の上で二本の指を動かした。
「死者です」
誰も言葉を継がなかった。
「メリヴァル=バの墓地は、ここにあります」
ブノワ・サラザンは目を閉じた。最初から知っていて、地図が言わずに済ませてくれることを願っていたかのようだった。
「技術的には」と彼は言いはじめた。
「違う」とジャンヌが言った。
その「違う」は鳴り響かなかった。一脚の椅子を据えた。
「技術の話ではなく。少なくとも最初は。みんな家の話をします。家なら売れる、買い直せる、値段をつけられる、取り壊す前に写真を撮れると知っているから。でも、亡くした人たちが三本先の通りにいるからこそ、まだ持ちこたえている人も多い。時代遅れだと思っても構いません。墓を移せばいいと言ってもいい。でも、移された墓は、運ばれる石だけではない。土地を変えるよう強いられた約束です」
イリアは何も書かなかった。
こういう瞬間を見分けることを、彼女は覚えていた。部屋がそれを惨殺する方法は二つある。急いで技術の言葉に変えるか、神聖なものに祭り上げるか。どちらにしても、現実を処分することになる。
マレスコが訊いた。
「そのことを正確に語れる人は?」
ジャンヌ・ルーは携帯電話を手に取った。ためらった。
「市役所の事務総長です。アニエス・コラン。墓地使用権、台帳、家族からの申請を担当しています。どの運営委員会も訊こうとしないことを、彼女は知っています」
エレーヌがイリアを見た。イリアはうなずいた。
電話は三分かかった。その三分間、部屋は、死者には現行の項目がないため公共政策から不在になりうる、という考えとともに留まらなければならなかった。
アニエス・コランが出ると、執務室からプリンターや扉の音が聞こえ、次いで、食堂関係の書類は揃っているかと訊く女の声がした。
ジャンヌは手早く説明した。手早すぎないように。
「伺います」とイリアは言った。
はじめ、アニエス・コランは詫びていた。最新の数字が手元にない、送ることはできる、墓地使用権の更新を確認しなければならない。だが、表を求められているのではないとわかった。
「移せる墓はあります」と彼女は言った。「同意する家族も、しない家族もいる。手続きも、訴えもある。それは資料に載るでしょう。載らないのは、奥さんが水を怖がっていたから、毎週木曜に花を二本持ってくるおじいさんです。二人用の墓地使用権を買って、毎年『二人を離さないで』と私に言う女性も載らない。ふだんは一度も来ないのに、雨が激しくなると、水の下の父親を想像して電話してくる子どもたちも」
部屋は、心地よい仕方では感動していなかった。
働いていた。
アニエスは続けた。
「墓地を守るべきだとは言っていません。無理かもしれない。ただ、会議のあとの椅子を片づけるみたいに、『墓を移す』と言うのはやめてほしいんです」
モードはマレスコを見た。
「ほら、これが仕事よ」
マレスコはその言葉を、有用な情報として受け入れた。褒め言葉とも、平手打ちとも取らずに。
ヤエルが訊いた。
「その喪失を耐えられるものにするには、何が必要でしょう?」
アニエス・コランは、即興とは思えないほど素早く答えた。
「誰と誰が一緒なのか、把握すること。古い墓地使用権と新しい墓を、どれも同じだというように混ぜないこと。葬儀会社より先に家族と話すこと。浸水区域になっても、可能なかぎり古い墓地への道を残すこと。インターネットを使わない人に電話する前に、公式式典を開かないこと。それから、木を三本植えて『記憶』と言わないこと」
沈黙が訪れた。
清らかなところは何もなかった。ポンプ、台帳、老いた夫婦、濡れた花、予算、泥、自治体職員がそこに含まれていた。
部屋は、稀な領域へ入ろうとしていた。
穏やかになったのではない。
より多くを担えるようになっていた。
十分に支える
そこから、会合は審議の様相を失った。
一体感が生まれたのではない。生きている者を収用し、死者を移し、平野を水へ引き渡す話をしている部屋で、そんな言葉を使うのは不謹慎だった。ただ、言葉の置かれ方が変わった。
誰もが口を開く前に、一秒だけ、それまでの言葉を口の中に留めているようだった。
ブノワ・サラザンは再び地図を示した。もう水位だけを示しはしなかった。増水にかかる時間、川が速度を増す地点、通行止めになったと信じるより先に閉ざされる道路、建物の地下で古い地下室どうしがつながっているモンフェラの地区を示した。知っていることを語った。それから、もっと苦労しながら、知らないことも。
リーズ・アルナルは、病院を聖域として守るのをやめた。避難の不可能さ、人工呼吸器、発電機について説明したが、同時に、脆弱な患者をメリヴァル=バに対する道徳的な盾として利用することの暴力についても話した。
「病院を守ってほしい」と彼女は言った。「でも、私たちの患者を、ほかの人々がきちんと家を失わずに済ませるための口実にはしたくありません」
サミール・レクビルは、「きちんと」とはどういう意味かと訊いた。
すぐに答えられる者はいなかった。
そこで、部屋は探した。
きちんととは、怒りなしに、という意味ではなかった。美しい公聴会を開くことでも、メリヴァル=バの住民が最後には、自分たちより広い視野を持ってくれたと国に感謝することでもない。
少しずつ、その言葉は輪郭を失った。
代わりの手掛かりが見つかった。
収用通知は、移転先が住宅戸数だけでなく、一つひとつの通りの名まで定まる前には発送しない。
洪水調整区域の運用開始は、プラットフォームについて法的拘束力のある雇用継続計画の策定を条件とする。新拠点への現実的な交通手段を確保し、個人による異動拒否を装った解雇を認めない。
土壌汚染、農業の歴史、この平野にすでに蓄積された労働を認めるまでは、「自然再生」という言葉を禁じる。
墓地の移転を技術的作業として扱わない。家族、市役所、宗教団体、自治体職員からなる委員会は、墓のまとまりが行政上の単位として処理されるなら、工事を延期できる。
モンフェラは、メリヴァル=バに何を求めたのかをすべての公文書に明記することなしに、自らの保護を祝ってはならない。
最後の文に、マレスコが止まった。
「すべての公文書に?」
イリアには、国家の反射的な反応が聞こえた気がした。だが、広報だけの問題ではなかった。マレスコが測っていたのは、法的な堅牢性、報道への耐性、反対派が攻撃に使う正確な言葉を自ら与える文書に、県知事が署名できるかどうかだった。
「ええ」とジャンヌ・ルーが言った。
「耐えがたいものになるでしょう」とマレスコが答えた。
「もう、そうなっています」
ヤエルは数分間、ほとんど口を開いていなかった。ふだんなら彼女の存在は、部屋そのものより美しい静けさへと全体を引き寄せていた。いまは、それを上回るざらつきが彼女を引き留めていた。
やがて言った。
「私たちが探しているのは、もっとも深く傷つく人々だけに、喪失の真実を背負わせない決定なのかもしれません」
その提案は、途方もない力を伴って部屋に入ってきた。
明晰だった。明晰すぎたかもしれない。だが、それはこの場面に取って代わるものではなかった。この場面から生まれたのだ。
ポール・セルネは、ようやく両手をテーブルに置いた。
「それを書いてくれるなら」と彼は言った。「怒り以外の何かを持って、家に帰れるかもしれません」
「それだけじゃ足りない」とモードが言った。
「ええ」
「わかっていますか?」
「わかっています」
モードはうなずいた。
「なら、続けられる」
部屋は続けた。
決定をすべて変えるためではなく、決定が自らの中心について嘘をつくのを防ぐため、初めからやり直した。洪水調整区域は、依然としてもっとも誤りの少ない選択肢だった。モンフェラは守られなければならない。メリヴァル=バの一部は移転する。プラットフォームはそこに残せない。ポール・セルネは農地を失う。古い墓地は、水が取り戻しうる区域へ入る。
どれ一つ、消えなかった。
しかし、解決策の背後に付随的損害として整列することはやめた。
クレール・ヴォードランは一時間近く書き続けた。何度も線を引いて消した。今度は誰も、彼女の言い回しを嘲らなかった。それらが不器用なのは、あまりにも多くの現実へ同時に従おうとしていたからだ。
途中で、彼女は顔を上げた。
「私たちが書いているものが、勧告なのか、決定なのか、条件なのか、地域協定なのか、それとも告白なのか、もうわかりません」
エレーヌが答えた。
「それでいい」
そしてクレールが心から疲れた目を向けると、こう付け加えた。
「ごめんなさい。つまり、まだ何かを切り縮めてはいない証拠かもしれない、ということです」
そのとき、忘れていた感覚がイリアに戻ってきた。
合意でも平和でもない。広がりだった。
部屋は世界の上に浮いてはいなかった。その断片を一つずつ受け入れていた。そして脆いひととき、誰も一つの断片を使って別の断片を黙らせようとはしなかった。水は家々を黙らせなかった。家々は病院を黙らせなかった。病院は雇用を黙らせなかった。雇用は死者を黙らせなかった。死者は川を黙らせなかった。
イリアはヤエルへ目を上げた。
ヤエルが泣いていた。
ほとんど何でもなかった。一滴、あるいは二滴。見なかったことにできるほど素早く堪えられた涙。それでも、イリアは見た。その些細なものが、危険について理解していたはずのすべてを揺らした。
ヤエルはただ、震えずに明晰さへ入っていける女なのではなかった。まだ傷つくことができた。あるいは、震えるべき仕方さえ知っていた。
どちらの仮説がより恐ろしいのか、イリアには決められなかった。
部屋が可能にしたもの
結論案が読み上げられたのは、十五時四十分だった。
美しい文章の形はしていなかった。条件、期限、立証義務、語彙の禁止、雇用保証、埋葬に関する条項、水文学上の義務、移転の手順、仮の通り名、洪水ごとの見直し制度が並び、クレールが露出しすぎるとして当初は書くことを拒んだ条項もあった。
「モンフェラの保護は、メリヴァル=バの部分的な犠牲を前提とする。いかなる公的決定も、その犠牲を必要不可欠であるという理由で副次的なものとしてはならない。」
マレスコは承認の前に休憩を求めた。
反対する者はいなかった。
廊下で招待者たちは、自分の身体をどう扱えばいいのかわからないまま散っていった。サミールは組合の誰かに電話した。リーズ・アルナルは窓まで歩き、携帯電話を見なかった。ポール・セルネは、自宅へ戻る方法を教えてくれるかのように、防火安全の掲示を眺めていた。ジャンヌ・ルーと、まだ電話の向こうにいるアニエス・コランは、十一年間誰も墓参りに来ていない三つの墓がある家族について、低い声で話していた。
イリアは給水機のそばにいるモードのところへ行った。
「どう思う?」
モードは水を一口飲んだ。
「たぶん、正しい」
「不満そうね」
「不満よ」
「なぜ?」
モードは部屋のほうを見た。
「これがうまくいったら、あの人たちは機械にしたがるから」
イリアは答えなかった。
数分前から、自分も同じことを考えていた。完全には憎むことのできない後ろめたさとともに。会合は、あらゆる喪失がほかの喪失へ届くことを許し、やがて一つの決定が、自らの結果だけではないものを背負いはじめていた。
部屋の中からは、もう紙の動く音がしていた。
美しさが、自分の入るファイルを探していた。
マレスコが自ら、二人を呼びに来た。
病院をめぐる決定のあとよりも、表情が硬かった。あの決定は厳しく、擁護可能だった。ルアンヌ川はそれとは違う。権力に、もっと広大な可能性を与えていた。単に切り分けるだけでなく、刃を落とす前に、その切断が世界のすべてを抱いたと感じさせる可能性を。
部屋では、ヤエルが椅子の後ろに立ったままだった。エレーヌは空席の紙を読み直していた。クレールは、紙がまだ熱すぎるかのように、印刷した案を手に持ったまま置こうとしなかった。
「承認しますか?」とマレスコが訊いた。
ブノワ・サラザンは承認した。リーズ・アルナルも。サミールは従業員を代表して何かを承認することはできないが、真剣な土台となる文書だとは認める、と言った。ポール・セルネは、「川へ返される土地」を「公的決定によって浸水可能となる土地」に置き換えるよう求めた。部屋は受け入れた。ジャンヌ・ルーは、メリヴァル=バを付録ではなく第一段落に残すよう求めた。マレスコはためらい、それから受け入れた。
ヤエルの番になると、彼女は時間をかけて座った。
「承認します」と言った。「ただし、この部屋が上位室の優位性を証明するものではないことも、書かなければなりません」
マレスコは彼女を見た。
「なぜです?」
「一度の成功した会合は、すぐに全般的な許可へ変わるからです」
その答えが、イリアの身体を貫いた。
エレーヌは空席の紙をテーブルの中央へ置いた。
「では、そう書きましょう」
クレールは方法論の覚書に、最後の一行を加えた。
「本会合で例外的に得られた正しさは、自動的なモデルにも、再現可能性の保証にもならない。」
モードが低く鼻で笑った。
「そこは誰にも引用されないでしょうね」
「私たちが引用します」とエレーヌが言った。
承認には、さらに二十分かかった。何一つ、本当には終わらなかった。異議申し立てが来る。怒りも。パリの一室がようやく死者について正しく語ったからといって、家族が受け入れるわけではない。従業員はもっと強固な保証を要求する。農家は一部の鑑定を拒む。モンフェラは、自分たちの生存そのものに道徳的な代償を払わされると感じる。メリヴァル=バは、正直な言葉を手にした者たちに土地を奪われると感じる。
部屋は、そのどれからも誰一人救わなかった。
ただ、決定が実際より無実なふりをするのを防いだだけだった。
全員が去ると、イリアは数秒、一人で部屋に残った。ルアンヌ川の地図はまだ開かれていた。色は前ほど整って見えなかった。とりわけ川の青は、優美さを失っていた。
ヤエルが上着を取りに戻ってきた。
「見ましたか?」と彼女は訊いた。
資料のことだけを言っているのではないと、イリアにはわかっていた。
「ええ」
「私たちには、これができる」
勝ち誇った調子は少しもなかった。それがさらに悪かった。心からの疲れと、子どものような感謝と、まだ自分を野心とは認めていない野心に満ちていた。
「そう何度もは」とイリアは言った。
ヤエルは上着を腕に掛けた。
「意味を持つには、十分な回数です」
彼女は出ていった。
イリアは空席を見て、地図を見て、テーブルに残されたコップを見た。この会合から恐怖だけを持ち帰りたかった。そのほうが楽だった。だが、それは真実ではない。
数時間のあいだ、部屋は、どんな委員会にも、どんな専門知にも、どんな孤独な良心にも、あの形では生み出せなかったものを可能にしていた。
イリアは恐れていた。
そしてまた、これが起きてほしいとも願っていた。
第IV部
滑らかな精神
第13章
静かな完璧さ
引用されるもの
誰も引用してはならなかった一文は、四十六時間もちこたえた。
月曜の朝には、まだ手法覚書の末尾に残っていた。
「この会合が例外的な的確さを示したからといって、自動的に模範とすべきものでも、再現可能性を保証するものでもない。」
水曜、中央部局に送られた版では、付録へ移されていた。金曜には、適用可能条件を扱う段落のなかで、慎重を期すためのただし書きになった。次の月曜、研修資料から姿を消した。
誰も削除してはいなかった。
ただ、健全に機能する行政と出会っただけだった。
九時十七分、イリアのもとに配布通知が届いた。四十二の県庁、九つの地域保健庁、三つのエネルギー事業者、そして各大臣官房向けに用意されたダウンロードリンク。
ルアンヌから学ぼうとする者たちがファイルを開きもしないうちに、その一文は消えていた。
イリアは、いかにも存在を詫びているような題名の共有ファイルのなかに、消失の正確な痕跡を見つけた。
「ルアンヌ――内部配布用確定事項」
一ページ目には地図の写真が載っていた。色も、道路も、水の曲線も残されている。右端には、エレーヌが空席についての記述を置いた、小さな紙片まで写っていた。だが、テーブルが散らかって見えない程度に、写真はきれいに切り取られていた。グラスは消えていた。地図の隅についた指跡も。紙はずっと昔からそこに据えられていたかのように、装置を構成する気高い一部に見えた。
よくできた文書だった。何が気に障るのかを認めるまで、イリアは二度読み返した。
会合の内容を露骨に裏切ってはいない。もっと深刻だった。失われるものに名を与える必要、婉曲表現の拒絶、空席の役割、遅れて招かれた者たちの働き。正しいことが数多く残されていた。ポール・セルネの長靴についた泥についてさえ、率直に触れていた。
だが写真は、別のことを語っていた。誰かが縁を掃除したのだ。指跡もグラスも消えていた。折れた地図の隅は、トリミングによってまっすぐに直されていた。空席は見えていたが、その光の当たり方のせいで、すでに指示事項のように見えた。
資料は嘘をついていなかった。
物事を整頓し、一文ごとに、稀有な出来事を手順へ変えていた。
イリアは最後まで読んだ。
十三ページには青い囲みがあり、転用可能な要点がまとめられていた。
「不在者が負う代償を特定する。 喪失が和解されないままであることを尊重する。 最終的に、引き受け可能な表現を作成する。」
イリアは最後の言葉を見て目を閉じた。
引き受け可能。
理性的で、控えめで、職業的な響きだった。だが、すでにずれが始まっていた。権力が、あまり早く手を汚さずに担える形を作り出す、ということだ。
エレーヌが、開いたままの扉を二度叩いた。
「見た?」
「ええ。」
「最後の一文がどうして資料から外れたのか、訊いたわ。」
「それで?」
エレーヌは椅子にコートを置いた。寒いなかを急いで歩いてきたらしい。こめかみのそばで、白いひと房がほどけていた。
「地方出先機関に誤解されるおそれがある、ですって。」
イリアは笑みを浮かべた。喜びのない笑みだった。
「正確に理解されすぎる文章は、よくそういう目に遭う。」
エレーヌは向かいに座った。
「マレスコが、今日の午後、来てほしいって。」
「何をしに?」
「この資料は危険だと言いに。」
「もう知っているでしょう。」
「だからよ。」
イリアはもう一度、地図の写真を見た。この清潔さには、どこか猥褻なものがあった。文書は嘘をついていない。信じたくなるだけの真実を残している。
「私の異議を記録に入れたいのね。」
「そう。」
「異議は聴取された、と書けるように。」
「それもある。」
エレーヌは和らげようとしなかった。
そして付け加えた。
「それに、あなたが行かなければ、資料はそのまま出るわ。『現段階で留保意見なし』という注記つきで。」
イリアは疲労が体から抜け、代わりにもっと細く尖ったものが満ちてくるのを感じた。
「もう出ている。」
「ええ。だから急いで来てほしいの。」
エレーヌはタブレットで資料を開いた。
「でも、本当に聴きたいとも思っている。」
イリアは彼女を見た。
「かばうの?」
「いいえ。ただ、あの人を単純にしすぎたくないだけ。この役所では、最低限の衛生管理よ。」
イリアは危うく笑うところだった。
エレーヌも笑いかけた。
それから笑いは、ひとりでに消えた。
画面のなかで、ルアンヌ川の地図はもう教本の図版に見えた。
再現できる身振り
研修は、省庁間危機対応準備センターの窓のない一室で行われた。テーブルは一辺の欠けた四角形に並べられていた。奥のスクリーンには、白い文字で一文が映し出されていた。
「例外的な明晰さから、堅牢な実践へ」
イリアは意図して十分遅れて着いた。自分がいないとき、この部屋がどう生きるのか見たかった。
部屋は何の問題もなく生きていた。
紙コップがすでにテーブルの端に整列していた。誰かが新品のマーカーを、ブリスター包装のまま持ち込んでいた。開封されたプラスチックと善意の匂い。申し分なく整った惨事に、ときおり先立つ匂いだった。
テーブルを囲んで二十二人が座っていた。ファシリテーター候補、次席知事、政策担当者、二人の司法官、病院長、エネルギー事業者の責任者、そして、本降りの雨にはまだ出会ったことがなさそうな靴を履いた若い大臣官房職員が三人。進行役はクレール・ヴォドランだった。ルアンヌ以来、痩せたように見えた。あるいは仕事のとき、顔を小さく畳む術を身につけただけかもしれない。
スクリーンの映像では、アニエス・コランが電話で話していた。
わずかに遅れて、スピーカーから声が流れた。
「墓地を救わなければならない、と言っているんじゃありません。できないのかもしれない。ただ、会議のあとで椅子を片づけるみたいに、墓を移すなんて言い方は、もうやめなきゃいけないと言っているんです。」
室内で何人かがその言葉を書き留めた。
イリアはうなじが硬くなるのを感じた。
書き留めることは罪ではない。むしろ、彼らが聞き取った証しだった。だが、全員のペンが同時に降り、同じように勤勉で、どこかほっとした様子で動いた。使える言い回しを受け取ったのだ。アニエスの苦痛も、彼女の職場も、プリンターも、給食関係の書類を求める声も、その言葉が備えた伝達可能な質の背後へ退いていった。
クレールが映像を止めた。
「ここで何が起きていますか?」
次席知事の一人が答えた。
「遠隔で呼ばれた当事者が、モデル化されていない現実を持ち込んでいます。」
クレールは黙っていた。
別の者が付け加えた。
「墓地を受容可能性の変数として扱うことを、彼女が部屋に許さない。」
「今のほうがいい」とクレールは言った。
テーブルの端にいた若い女性が手を挙げた。開かれた、どこか不安そうな顔をしていた。
「彼女は情報を与えているだけではありません。部屋の言葉の速さを変えさせているんです。」
クレールは、その答えに何らかの許可が必要であるかのように、イリアを見た。
イリアは何も与えなかった。
クレールは続けた。
「そうですね。重要です。速度は手がかりになります。」
すると室内の全員が、速度、と書いた。
二十二冊のノートにその言葉が着地した。筆跡は違い、従順さは同じだった。
研修は演習へ進んだ。架空の事例が映し出された。工業地区、労働者寮、物流センター、特別支援学校へ通じる道路橋の閉鎖。参加者は、そこに代表されていない人々や現実を見つけなければならなかった。
彼らは真剣に取り組んだ。
労働者寮、子どもたち、救急車、派遣労働者、清掃会社、車のない家族、バス路線、夜勤時間、倉庫の守衛。次々に見つけた。彼らは優秀だった。明晰の部屋が始まった頃にイリアが見た多くの部屋より、はるかに優秀だった。それこそが彼女を怯えさせた。
二十分後、クレールが尋ねた。
「まだ欠けているのは誰ですか?」
見事な沈黙が訪れた。誰も早く動きすぎず、手柄を立てようと飛びつきもしなかった。一人の男が眼鏡を外し、テーブルに置いた。女性の司法官がペンを回すのをやめた。不安そうな顔の若い女性は、ほとんど剝き出しにも見える集中で図面を見つめていた。
イリアは安心するべきだった。
だが、もう何も抗ってはいなかった。
沈黙は適切な長さだった。体は適切に自制していた。視線は正しく地図へ戻った。居心地の悪さまで清潔だった。
やがて大臣官房職員の一人が言った。
「ほかの人より先に救われたことを恥じる人が、欠けています。」
的を射た言葉だった。
少し早すぎるほどに。
部屋が自分自身を見出した音さえ、聞こえそうだった。
クレールは思わず笑みを漏らした。
「それです。」
イリアはその笑みを見て、クレールも怖がっているのだとわかった。
休憩になると、二人は茶色い液体を三種類しか作れないコーヒーマシンのそばで顔を合わせた。
「覚えるのが早いわね」とクレールが言った。
「ええ。」
「研修がうまくいっていることを、私に責めているみたい。」
「何を責めているのか、まだ自分でもわからない。」
クレールは紙コップを取り、飲まずに両手で包んだ。
「普通の委員会なら半年は忘れたままの不在者を、今あの人たちは見つけた。」
「わかっている。」
「なら?」
イリアは半開きの扉から室内を見た。参加者たちは声を落として話していた。演習で身につけた慎みを、休憩時間にまで保っていた。
「まだ自分のものではない良心の身振りを、覚えている。」
クレールはしばらく答えなかった。
「始まりは、いつだってそうなのかもしれない。」
「そうかもしれない。」
「音楽家だって、身につく前に身振りを繰り返すでしょう。」
イリアは古いノートを思い出した。模倣、演技、聴くことについて書かれていた。だが、その記憶をこの部屋へ入れたくなかった。
「練習する音楽家は、下手な音を出すことを引き受ける」と彼女は言った。「ここでは、いい音を出せば、もう褒められる。」
クレールはひと口飲み、顔をしかめた。
「ひどい。」
「コーヒーが?」
「ほかのことも。」
短い一文
マレスコは研修に来なかった。
十八時、マティニョン宮の執務室へイリアを呼んだ。庭園にはすでに夜が落ちていた。壁の照明が金飾りに疲れた光を与えていた。イリアは別館の部屋のほうが好きだった。あちらでは権力が、自分を深刻に受け止める余地が少ない。
マレスコの前には、手書きの注釈が入ったルアンヌ資料があった。
「進めるのが速すぎる、とお考えですね。」
「ええ。」
「例外を手法へ変えようとしている、と。」
「ええ。」
「そして、その手法が深遠さの美学を生み出す、と。」
イリアはコートを脱いだ。
「私の台詞をもう書いてあるなら、帰ってもいいでしょう。」
彼は笑わなかった。
「私が過ちを犯すのを止めてほしいのです。職務を理由に私を裁いてほしいのではない。」
「ときに、その二つはよく似ています。」
マレスコはページをめくった。
「ルアンヌは何かを救った。すべてでもなく、きれいな形でもなかったが、何かを。あなたもわかっている。」
「ええ。」
「知事たちは、うまくいったことをどう再現すればいいか訊いてきます。」
「再現できると思い込まないためにはどうすればいいか、と訊くべきです。」
「その一言は、国を失うのにたいへん役立ちますね。」
イリアはすぐには答えなかった。
この執務室には、慎重さだけを単純に語るには、あまりにも多くの歴史が詰まっていた。棚には古いパリの地図が額装されていた。印刷されれば耐えやすくなるあらゆるものと同じ優雅さで、セーヌ川が市内を横切っていた。
「上級の明晰の部屋を作りたいのでしょう」と彼女は言った。
「ええ。」
「そして、それを役に立つものにしたい。」
「ええ。」
「なら、それが称賛に値しないものであることを受け入れなければ。」
マレスコはペンを置いた。
「そんなに単純ではありません。」
「単純です。むしろ、そこだけが単純なのです。」
彼はその乱暴さをやり過ごした。
「称賛をまったく生まない制度は、もちません。人は力に従い、習慣に従い、利害に従い、ときには恐怖に従う。だが危機のさなかには、別のものが要る。ある機関が、自分たちの喪失をただ管理しているだけではない、と信じられなければならない。」
「信じすぎたら?」
「そのときは、あなたが介入する。」
ほとんど優しい答えだった。
脅されるよりも、イリアは腹が立った。
「私まで安全装置にするつもりですね。」
「あなたには、見えているものを食い止められるだけ近くにいてほしい。」
「そして、私の意見は聴取されたと言えるだけ遠くに。」
マレスコは文書へ目を落とした。
「ええ。」
今度は弁解しなかった。
老けて見えた。敗れたのではない。ただ、自分の愛するものを利用していると知る男たちの、ありふれた疲労に近づいていた。
「異議を国家の内側へ入れる方法を、私はほかにあまり知りません」と彼は言った。「あなたが知っているなら、聞かせてください。」
皮肉ではなかった。
だからこそ、さらに悪かった。
おそらく本当なのだ。
イリアの脳裏に、モード、ジェローム、セシル・ダルセ、アニエス・コランが浮かんだ。遅れて、押し入り、あるいは必要に迫られて、部屋へ入ってきた人々。そして午後の研修も蘇った。演じていないふりを演じる準備が、もう整いすぎている体たち。
「速度を落とさなければ」と彼女は言った。
「どのくらい?」
「日程の話ではありません。」
マレスコは待った。
「部屋が、自分自身を美しいと思えないようにしなければ。」
彼はその言葉を書き留めた。
イリアは手を伸ばし、手帳に二本の指を置いた。
「やめて。」
彼は目を上げた。
「そんなふうに書かないでください。」
「なぜです?」
「明日には誰かが、『部屋の自己理想化を防止する研修モジュール』を提案します。」
マレスコは笑いかけた。
今度はイリアも笑った。
それから彼は一行を黒く消した。
「では、別の言い方を。」
イリアは黒い抹消線を見つめた。もっと貧しく、使いにくい一文しか思いつかなかった。
「失敗させてください。」
マレスコは書かなかった。
「それは、誰も聞きたがらないでしょう。」
「それでいい。」
美しすぎた最初の部屋
翌日、小規模な産科病棟の閉鎖計画を扱った、リモージュの県単位の明晰の部屋の映像がイリアに届いた。サラからで、コメントはなかった。彼女の場合、それはたいてい不承認を意味した。
イリアは夜遅く、自宅で映像を開いた。
簡素な部屋だった。白すぎたが、豪華ではない。参加者は十人ほど。地域保健庁の局長。二人の助産師。農村部の村長。保護者団体の代表。救急医。患者搬送の責任者。社会学者。そして、近頃の事故で遺族となった家族のために招かれた司祭。なぜほかではなく自分がここに置かれたのかと、訝っているように見えた。
会合は、ほとんど完璧な質で進んだ。
数字は尊大さを交えず示された。移動時間は、道を知る者たちによって訂正された。助産師の一人は「出生圏」という表現を拒んだ。村長は、ある女性から「砂漠には美しさがあるけれど、この郡にあるのは何よりロータリー交差点です」と言われてから、地域を砂漠と呼ぶのをやめた。皆が笑った。長くはなかった。苦痛がすべてを占めないためには、十分だった。
それから若い母親が遠隔で呼ばれた。車のなかで過ごした四十三分。雨。トラックのヘッドライト。「息をして」と繰り返す夫を殴りたかったこと。到着して二十分後に生まれた赤ん坊。
部屋は本当に受け止めた。身を守ることによってではなく、受け入れることによって。
最終決定は厳しかった。二施設の閉鎖は維持。ただし、夜間の移動チームを新設し、出産前の宿泊費を負担する。医療搬送時間は役場からではなく各集落から算出する。搬送協定の締結前に閉鎖を発表することは禁止。
イリアは映像を最後まで見た。
間違いを見つけたかった。
見つからなかった。
最後に、地域保健庁の局長が言った。
「受け入れてくださいとは申しません。ただ、私たちが何をしているのかについて嘘をついていないか、それだけを確かめてください。」
よかった。
とてもよかった。
翌朝には、映像は別の題名で出回っていた。
「リモージュ、ルアンヌ・モデルの堅牢性を実証。」
イリアは長いあいだ、メールの件名を見つめていた。
部屋は嘘をつかなかった。
件名は、つき始めていた。
第14章
偽りの空白
無防備な男
イリアは三日早く警報を鳴らした。
それがわかるのは、ずっとあとだった。そのときは、部屋中を敵に回して正しいことを言い続けてきた者の疲労を抱えながら、正しいことをしたと思っていた。
会合はレンヌで、県庁から借りた一室を使い、保護者のいない未成年者の夜間受け入れ体制の再編をめぐって開かれた。華々しいものは何もなかった。国家的危機も、川の地図も、墓地も、カメラもない。国にはほかに怒ることがあると行政が考えるときに生み出す、薄汚く目立たない決定だった。
二つの宿泊施設が夜間閉鎖されることになっていた。駅の近くに統合センターを一か所開く。支援団体は安全について語った。県庁は人員について。県議会は、ときに未成年であること自体を疑われる未成年者について。警察は路上徘徊について。児童支援員は、移されるかもしれないと知っている子どもは本当には眠れない、と語った。
四十分ほどして、イリアはその男に気づいた。
トマ・リヴィエール。受け入れ施設の副所長。四十歳。細い顔、灰色のセーター、短く刈った髪。口数は少なく、いつもほかの者のあとに話した。部屋を助けてよいはずの、静かな正確さを備えていた。決して声を荒らげない。自分の施設が攻撃されても弁護しない。異論を受け止め、言い直し、むしろ以前より確かなものにして返した。
彼のすべてが、受け入れる態勢に見えた。あまりにも。
一人のボランティア女性が、きれいな言葉で少年たちを路上へ放り出す気だと彼を責めたとき、彼は一秒だけ目を伏せ、それから答えた。
「私たちの疲労が、それだけで十分な説明になってしまうことを、あなたが拒むのは当然です。」
その言葉は部屋を楽にした。
イリアのなかで警戒心が膨らんだ。
この楽さは怪しかった。非難を、より気高く、より危険でないものにした。ボランティア女性は怒ったまま、自分が認められたと感じることができた。部屋は前へ進んだ。
あまりにもうまく進んでいた。
その後、ある支援団体に呼ばれた若い男性が、三年前、センターを移されたあとに軒下で過ごした一夜について語った。ゆっくりフランス語を話した。言葉を探していたからではない。自分の物語をどの速さで部屋へ入れるか、ほかの者に決めさせまいとしていた。
トマ・リヴィエールは身じろぎせずに聴いた。
顔には、開くものも、閉じるものもなかった。
若者が話し終えると、トマは言った。
「ありがとうございます。今のお話を聞いた以上、私たちはこの移動を『保護』と呼んではならないでしょう。」
正しい言葉だった。
そして、空っぽだった。
イリアは中断を求めた。
室内の全員が即座に従って彼女を向き、それが腹立たしかった。
「苦痛を吸収しながら、その苦痛に変えられもしない言葉を褒めるのは、もうやめたいと思います。」
トマ・リヴィエールが顔を上げた。
「私のことですか?」
挑む響きはなく、ただ問いがあった。
「ええ」とイリアは言った。
部屋は一瞬で静けさを失った。児童支援員はトマを見て、イリアを見て、それから自分のメモを見た。県の局長が背筋を伸ばした。遠隔で呼ばれた若者は、今、何が誰に向かって動いたのか、すぐには理解できなかった。
トマは両手をテーブルに置いた。
「私にどうしろと?」
「すべての攻撃を有用な材料に変えないでください。」
「そうしているとは思いません。」
「しています。」
言葉が早く出すぎた。
きれいに取り戻せなくなってから、イリアの耳に届いた。
トマ・リヴィエールはうなずいた。傷ついた様子はなかった。ただ、目の前に置かれたマイクへ視線を移した。まるでその物体が急に重くなったかのように。その静けさがイリアの見立てを確信させ、そして彼女を誤らせた。
「では、少し黙っています」と彼は言った。
彼は黙った。
彼を欠いたまま、会合は続いた。
会合は美しさを失い、ぎくしゃくし、イリアが必要だと信じていたものに近づいた。ある支援団体は統合センターを拒否した。県庁は、夜間巡回の増強が三か月先になることを認めた。児童支援員は、人員不足にもかかわらず、二か所を交互に開けておくという譲歩を勝ち取った。最終決定は以前ほど明快でなく、経済的な魅力も薄く、脆くなった。
危険な優しさを食い止めたという感覚とともに、イリアは部屋を出た。
廊下で、児童支援員が彼女を呼び止めた。
「知らなかったんですか?」
「何を?」
彼女は部屋の扉を見た。
「トマは二年前、息子さんを亡くしたんです。自殺でした。十六歳。それから、若者たちの前で崩れそうになると、ああいう話し方をするんです。」
廊下が遠のいていくようだった。
「教えてくれればよかったのに。」
「彼は、それを役立てられたくないんです。」
児童支援員は、ほとんど険しい仕草をした。
「あなたは、彼が震えていないと思った。内側で震えていたんです。」
イリアは答えなかった。
トマ・リヴィエールも部屋から出てきた。腕にコートを掛けていた。二人の女性を見て、すぐに事情を察したが、騒ぎ立てなかった。
「一つについては、あなたが正しかったのかもしれません」とイリアに言った。
恨まれるほうがましだった。
「どのことです?」
「私は言葉を、背負いやすすぎるものにしてしまう。立っているためのやり方なんです。でも、いつも人の役に立つとは限らない。」
彼はコートを着た。
「ただ、空っぽではありません。」
そして去った。
コートを着るとき、前腕から滑り落ちた。袖を通すのに二度やり直した。
ほとんど何でもない出来事だった。けれど、自分が「空っぽ」と呼んだものが、倒れないための方法だったのだと、遅すぎるほどに悟るには十分だった。
イリアは、自分がまだペンを握っていることに気づいた。強く握りすぎて、手のひらに赤い跡が残っていた。
その言葉は、彼よりも長く廊下に残った。
判定表
レンヌについてのイリアの報告書は、完成する前から流用された。
三ページにわたる慎重な文章だった。自らの疑念によって傷ついていた。彼女はそこで過ちを認め、見せかけの超然と、苦痛を抱えた自制とを区別した。行動上の指標を単独で用いてはならないと求めた。人が震えないのは、演技しているからかもしれず、自分を守っているからかもしれず、疲れ果てているからかもしれず、自己の一部が死んでいるからかもしれず、あるいは自分の崩壊を見世物として差し出さない術を覚えたからかもしれない、と付け加えた。
判定表に抗する文章を書いたつもりだった。
二週間後、作業部会はそこから判定表を作った。
サラが二語を添えて送ってきた。
「吐きそう。」
文書の題名はこうだった。
「作られた受容姿勢および防御的離脱の指標」
表には列が並んでいた。
声調が過度に一定。 異論を滑らかに受容しすぎる。 微細なためらいの欠如。 攻撃を価値あるものとして言い換える。 疲労を気高い範疇として使用する。 苦痛を認めても姿勢に目立った変化がない。
各項目には、三段階のリスクが設定されていた。
自分の語彙が切り分けられ、洗われ、実用的にされた姿を、イリアは読んだ。
作成者たちは、付録で彼女の留保意見まで引用していた。注意事項を加え、慎重さを促す囲み記事を置き、斜体の警告を三つも添えていた。
そのうえで、リスクに番号をつけた。
イリアは長いあいだ、三番目の列を見つめた。
高リスク。
守るための表現に見えた。
実際には、ある人が持ち込むものを怖れている、と言わずに、その人を遠ざけることができた。
イリアはエレーヌに電話した。
「判定表、見た?」
「ええ。」
「止めさせる。」
「もう求めたわ。」
「それで?」
「意思決定のための判定表ではなく、警戒を支援する資料にすぎない、と言われた。」
イリアは目を閉じた。
「国家が使う、いちばん危険な一文。」
「いちばんではない。でも、よく働く一文ね。」
エレーヌの声は低かった。向こう側から廊下の音、足音、おそらくエレベーターの音が聞こえた。
「マレスコは知っている?」
「ええ。」
「黙認しているの?」
「観察している。」
「そのほうが悪い。」
「ええ。」
その晩、モードが瓶入りのスープとリンゴの袋を持って、イリアの家を訪れた。邪魔かとは訊かなかった。訪れるたびに好意という大事に仕立てない、稀有な友情を彼女は備えていた。
二人のあいだには、どちらもうまく整理できずにいる、別のものもあった。数か月前、サン=ナゼールで長すぎる会合を終えた夜、モードは泊まっていった。初めは、疲れ果てるまで話した。ソファに背を預けて床に座り、靴を脱ぎ、ぬるい水の入ったグラスを手の届くところに置いていた。それから沈黙の温度が変わった。モードはイリアの手首に二本の指を置いた。引き留めるためではなく、まだそこにいるか確かめるために。イリアは手のひらを返した。
その仕草に付き添わせる適切な言葉も見つからないまま、二人は口づけた。
その先も、物語めいた転回とはほど遠かった。約束もなく、決定的な発見もなく、翌朝すぐに与えるべき名前もなかった。ただ、二つの疲れた体が、一時間だけ、存在する許可を言葉に求めるのをやめた。イリアの記憶に残ったのは、ばかばかしい細部だった。モードの肩についたゴム紐の跡、腰の上にある白い傷痕、毛布を探しながら声を殺して笑ったこと。そして、そのあとの静けさ。どんな部屋も、どんな手法も、どんな報告書も入る権利を持たなかった。
以来、二人はそれを秘密にはしなかった。正確には、秘密というほどではなかった。ただ、カテゴリーにすることを拒んだ。安定した役割を求められた途端に、知性を失うものがある。
イリアは判定表を見せた。
モードは台所に立ったままリンゴをかじりながら読んだ。
「便利ね。」
「ありがとう。」
「そうじゃなくて。本当に便利。これなら誰だって殺せる。」
芯を皿に置いた。
「泣けば人を操っている。泣かなければ切り離されている。ためらえば抵抗している。うまく答えすぎれば吸収している。話し方が下手なら受容姿勢が足りない。完璧ね。」
イリアはスープの瓶を手に取った。まだ温かかった。
「私の報告書よ。」
「違う。」
「そうなの。」
「あなたの報告書は、震えているもの。これは誰かが凍らせたあとに残ったもの。」
モードはコートを着直した。
「来る?」
「どこへ?」
「歩きに。」
「雨よ。」
「だから。雨のなかでは、考えは乾きにくいから。」
二人は四十分歩いた。歩道が光っていた。車は横断歩道へ汚れを跳ね上げた。モードはあまり話さなかった。イリアはそれをありがたく思った。
しばらくして、モードが言った。
「人のなかに偽りの空白を探しているでしょう。部屋のなかに、それを作りたくさせるものがないかも探して。」
イリアは歩調を緩めた。
「どういうこと?」
「怒りを持って入ったら、そんな怒りは馬鹿げていると返される部屋がある。だから、怒りを置いてくることを覚える。そのあとで、それを明晰さと呼ぶの。」
イリアは答えなかった。
雨がフードを叩く音は、ほとんど優しかった。
外された参加者
最初の公式事故は、オルレアンで起きた。記録上は事故と呼ばれていない。調整という言葉が使えるかぎり、記録のなかで事故になるものは何もない。
地域単位の明晰の部屋で、郵便仕分けセンターの一部閉鎖と、百四十二人の職員を三つの自動化拠点へ配置転換する案が扱われることになっていた。暴力性のありふれた案件だった。近代化、郵便物の構造的減少、支援を伴う異動、再配置、長くなる通勤、給与明細には名前を残したまま消えていく職種。
労働組合の代表者が召集され、前日になって外された。
理由はこうだった。
「必要最低限の受容姿勢を妨げる防御的固執について、高リスクが認められるため。」
イリアは三度読み返した。
クレールに電話した。
「誰が署名したの?」
沈黙。
「クレール。」
「ファシリテーションチームの所見を受けて、県庁が。」
「何を根拠に?」
「わかっているでしょう。」
「いいえ。」
「わかっている。」
クレールの声は疲れていたが、卑怯ではなかった。
「あの判定表を使ったの。」
イリアはパソコンを閉じた。
「行くわよ。」
「会合は二時間後に始まる。」
「なら二時間ある。」
列車のなかで、クレールはほとんど話さなかった。案件資料、メール、意見書を持ってきていた。イリアは窓外を流れる平らな畑、倉庫、郊外商業地区の駐車場を見つめた。人々の暮らしのまさに真ん中にあるという品の悪さのため、しばしば「周縁」と呼ばれる、この国のすべてを。
組合代表は、オルレアン駅近くのカフェで二人を待っていた。アンドレ・ルモワーヌ。五十八歳。灰色の口髭、レインジャケット、大きな手。二つ折りの紙を詰め込んだ厚紙のフォルダーを持ってきていた。
「私は受け入れる態勢にない、と言われました。」
ほんの一瞬、笑った。
「本当ですよ。怒るのに大忙しだ。」
イリアは向かいに座った。
「どうして外されたのです?」
「連中の自動化拠点なんぞ、思ってるところに突っ込めと言ったからです。」
クレールが咳払いした。
アンドレは彼女を見た。
「言い換えたほうが?」
「必ずしも。」
彼は紙を一枚取り出した。
「そのあと、これも言いました。」
紙には名前の一覧があり、年齢、距離、列車の時刻、乗り継ぎ時間、健康上の問題、共同親権下の子ども、失業中の配偶者、老いた親、就労上の医学的制限が記されていた。
「上品さには欠ける。でも、こっちのほうがよっぽど受け入れる態勢がある。」
イリアは紙を受け取った。
指先に触れた瞬間、自分の語彙が可能にしたことを、きれいには修復できないとわかった。
会合は三十分遅れで始まった。アンドレ・ルモワーヌはイリアとクレールとともに部屋へ入った。知事が抗議しようとした。クレールは、判断に誤りがあったと言った。それ以上は言わなかった。わずかなものだったが、半年前の彼女が文書に書いたであろう内容よりは、すでに一歩先へ進んでいた。
アンドレは穏やかではなかった。
話を遮った。二度、罵った。経営側が嘘をついていると責めた。数字を一つ間違え、渋々認め、それから付属資料のどこにもなかった三人の名前を挙げた。
部屋は美しくなかった。役に立った。
結局、閉鎖は撤回されなかった。世界はそういう贈り物を滅多に返してくれない。だが二十八人の配置転換が保留され、通勤時間は実際の自宅住所から再計算され、医学的制限は個人の要望として扱われなくなり、移行日は四か月延期された。
アンドレ・ルモワーヌは誰にも礼を言わなかった。
出ていくとき、イリアに言った。
「あなたのその明晰の部屋ってやつは、明晰じゃない人間も入れてくれると、だいぶましだな。」
そして雨の下へ煙草を吸いに出た。
クレールはホールからその姿を見ていた。
「判定表を撤回しなければ。」
「ええ。」
「別のを作るでしょうね。」
「ええ。」
クレールは腕を組んだ。
「なら、もう言葉を与えるのをやめたほうがいいのかも。」
帰りの道中、イリアはずっとそのことを考えていた。
だが、言葉を与えなくなった職業では、たいてい最悪の人間が自分の言葉を与える。
名前
三週間後、イリアはトマ・リヴィエールと再会した。
予定していたわけではない。彼は評価委員会の聴聞を受けるため、パリへ来ていた。ごく短いメッセージが届いた。
「二十分あれば、モンパルナス近くでコーヒーを。無理なら気になさらず。」
イリアは出かけた。
彼はすでに注文していた。自分には紅茶、彼女にはコーヒー。なぜわかったのかと訊きかけた。だが、会合の休憩になるたび、どれほどまずくても、熱すぎても、自分がコーヒーを飲んでいたことを思い出した。苦味が、彼女を社会的に許容できる状態に保ってくれるかのように。
「訂正覚書を読みました」と彼は言った。
「ごめんなさい。」
「わかっています。」
何も修復されない、とは付け加えなかった。言う必要がなかった。
二人はレンヌのこと、宿泊施設のこと、修正された決定、疲弊した児童支援員たちについて話した。やがて沈黙が訪れた。カフェの沈黙だった。カップがあり、注文の声があり、開きすぎる扉があった。
トマ・リヴィエールが言った。
「偽りの空白と名づけたんですね。」
「ええ。」
「悪い名前ではありません。」
イリアは彼を見た。
「そう思います?」
「ええ。ただ、反対に当たる言葉がない。」
「偽りの空白の反対?」
「くれぐれも、充満ではなく。」
短く笑った。
「何かを通す空白です。」
イリアは答えなかった。ふだんなら「空白」という言葉だけで警戒しただろう。少ない元手で自分を深く見せようとする人間が、あまりに多く使う言葉だった。だがトマは、約束のようには口にしなかった。自分で修理した椅子を示すように言った。
「会議によっては」と彼は続けた。「誰もが自分の持ち込んだものを強く握りすぎているせいで、入ってこられないものがあります。専門性や、恐れや、資料や、恥。だから少し場所を空けなければならない。でも、その場所は不在ではない。何と言うか……わかりません。」
彼は言葉を探した。
「歓待、とか?」
その言葉が音もなく入ってくるのを、イリアは感じた。
受容姿勢でも、離脱でも、中立でもない。歓待。
もっと古く、扱いにくく、効率の悪い言葉。「私は空っぽだ」とは言わない。「何かが来ることができる。そして私は、その持ち主ではない」と言う言葉。
トマはカップへ目を落とした。
「息子は、いつも壁のない家を描いていました。屋根も、扉も、テーブルも、窓もあるのに、壁だけがない。そんな家は立たない、と私は言っていた。すると息子は、人はどこから出てはいけないか、ちゃんとわかるよ、と答えました。」
彼は笑った。今度は震えが見えた。
「どうしてこんな話をしているのかわかりません。」
「私も。」
けれどイリアは、この瞬間が残ると知っていた。
教訓としてではない。場所として。
第15章
礼儀正しい犠牲者たち
よく書かれた手紙
完璧さは、多くの手紙を生む。
あの冬、イリアが学んだことの一つだった。誤って下された決定は、苦情、不服申立て、罵声、施設の占拠、プラカード、ときには割れた窓ガラスをあとに残す。明晰な決定が生むのは、よく書かれた手紙だった。
たいてい、まず理解を示すところから始まる。
「この決定が、私どもの状況を顧みることなく下されたものではないことは、十分承知しております。」
あるいは、
「判断そのものの全般的な必要性について、異議を申し立てるものではありません。」
さらに、
「今回の再編がもたらす人的代償を明示していただいたことに、感謝申し上げます。」
それから文章が曲がる。
必ず曲がる。
「しかしながら……」
イリアは何百通も受け取った。
モンフェラ、メリヴァル=バ、オルレアン、リモージュ、サン=ブレヴァン=デ=オー、ラ・ロック=サリーヌ。通りの名も知らない小さな町々から届いた。だが今では、それぞれの部屋も、地図も、締めくくりの言葉も知っていた。人々に代わって決めるやり方が上手になったぶん、人々の文章も上手になった。残酷さが一つ増えた。
メリヴァル=バのある女性は、公開文書が稀に見る率直さで自分の町の犠牲を名指したため、知事へ感謝しかけた、と書いていた。そして、母の家を失うのだと思い出した、と。
オルレアンの仕分けセンター職員は、四か月の延期で治療を続けられたと書き、そのあと、今なお自分のチームを壊し続けている決定に感謝してしまう、この気持ちをどう扱えばいいかわからない、と付け加えた。
リムーザンの助産師は、新しい夜間体制が、おそらく死者を減らすだろうと認めていた。一方で、女性たちが出産予定日の前日に、大きすぎる鞄を抱えて無機質な宿泊施設へ入るようになったと記した。まるで出産することについて、この土地に許しを乞わなければならないかのように。
イリアはすべて読んだ。徳があったからではない。読まないほうが、楽だったからだ。
ある朝、自分の書類受けに、差出人の記されていない封筒を見つけた。普通の便箋、右へ傾いた字、四ページ。ポール・セルネからの手紙だった。
不満を訴える手紙ではなかった。だから、かえって読むのがつらかった。
「ダノー様
正確に話すよう、私たちは求められました。ですから正確に書きます。最初に冠水させる畑は、父が『痩せ地』と呼んでいた区画です。ほとんど何も実りませんでした。石ころとガラスの破片だらけでした。子どもの頃は、悪い土なのだと思っていました。のちになって、痕跡をいちばんよく留める土なのだとわかりました。洪水がほかの場所から奪ったものは、何でもそこで見つかりました。木切れ、王冠、手袋、人形、それから一度は靴も。父は、川には屑拾いの記憶がある、と言っていました。
この一文を、あなた方の文書のどこへ入れればいいのか、私にはわかりません。」
イリアは手紙をテーブルに置いた。
泣かなかった。
もっと悪いことをした。その一文をどこに入れられるか、考えた。
そして、自分が何をしているのかに気づき、目を閉じた。
進捗監視委員会
決定から三か月後、ルアンヌの進捗監視委員会が県庁の一室で開かれた。
地図は変わっていた。色彩は以前ほど鮮やかではない。矢印、斜線区域、区画番号、移転先候補を示す丸印が加わっていた。古い墓地は紫色の線で囲まれていた。物流拠点には、今や脚注がついていた。
ジャンヌ・ルーはアニエス・コランとともに来た。サミール・レクビルは二人の従業員を連れていた。リーズ・アルナルは来なかった。代理を寄越した。そのことが何かを語っていたが、誰も触れなかった。ポール・セルネもいた。最初のときよりきれいに髭を剃っていた。だらしない男だと見なす楽しみを、行政から奪おうとしたかのように。
マレスコは来なかった。中央の代表はクレール・ヴォドラン。イリアはオブザーバーだった。エレーヌも。ヤエルは不在で、その不在のおかげで、部屋にはいっそう率直なざらつきがあった。
知事は簡潔に会合を開いた。学んだのだ。禁じられた言葉は使わなかった。再自然化ではなく、公的決定により冠水可能とされる土地。社会的支援ではなく、雇用と交通の保証、偽装解雇の拒否。墓の移動ではなく、死者とのつながりの継続。
よかった。
それから日付の話になった。
住民移転は遅れていた。物流拠点の代替用地は、予想より高かった。墓地に関わる全家族から返答があるわけではなかった。古い二つの墓所使用権には法的問題があった。仮設道路には費用がかかりすぎた。保険会社は、誰も想定していなかった書類を要求していた。物流会社は、移転前にもかかわらず人員削減をちらつかせていた。
現実が、自分の仕事を再開していた。
サミール・レクビルは長く待ってから口を開いた。
「偽装解雇は認めないと、文書に書きましたね。」
「ええ」と知事が答えた。
「どうやって?」
知事はメモに目をやった。
「個別追跡チームを設置します。」
サミールは笑いかけた。
「つまり、一人ずつ。」
「各人の状況を検討する必要があります。」
「一人ずつ」とサミールは繰り返した。「集団を壊したとは一度も言わずに、集団を壊すやり方だ。」
クレールがメモを取った。
サミールはそれを見た。
「書き留めるだけじゃなくて、答えてくれ。」
クレールは顔を上げた。
彼女も学んでいた。以前なら手続きについて説明しただろう。今はこう言った。
「おっしゃるとおりです。」
「それで?」
「現時点では、十分な仕組みがありません。」
言葉が部屋に少し冷気を落とした。乱暴だったからではない。その言葉が、口にした者を守ることをやめたからだった。
一時間後、ポール・セルネが発言した。
「土壌鑑定書を受け取りました。」
知事がうなずいた。
「事前の汚染除去が必要だと確認されています。」
「違う」とポールは言った。「汚れた土地だから価値が低いと言って、汚れた土地を私から取り上げ、もう私のものではなくなってから、別の誰かに金を払ってきれいにする。それが確認されたんです。」
すぐに当てはめられるカテゴリーを、誰も見つけられなかった。
だから部屋は、その言葉とともにとどまった。
アニエス・コランは、あまり話さなかった。膝にファイルを置いていた。あるときそれを開き、写真を一枚取り出した。
「このお墓ですが」と彼女は言った。「まだ、誰に知らせればいいのかわかりません。」
写真が回された。灰色の墓石。ほとんど消えた名前。二つの日付。ひびの入った陶板。下端には、亀裂から入り込んだ草のひと房が見えた。
「台帳では、家族は六十年代にドルーへ移ったことになっています。連絡は途絶えています。墓所使用権はずいぶん前に切れています。手続き上は、改葬して区画を返還させることができます。」
知事はその先を待った。「手続き上」という言葉が罠になったことを、もう理解していた。
「でも、来ている人がいるんです」とアニエスは言った。
「何ですって?」
「今も誰かが来ています。年に一度かもしれません。花は供えず、縁に平たい石を一つ置いていく。誰なのかわかりません。」
彼女は写真をテーブルの中央に置いた。
「これを日程表にどう書けばいいのか、わかりません。」
イリアは写真を囲む手を見た。誰も触れなかった。
ルアンヌの会合が美しかったのは、さまざまなものを一緒に抱えたからだった。進捗監視委員会のほうが、ずっと厳しかった。
一緒に抱えるだけでは足りない、と示していた。言葉のあとも、長く抱え続けなければならない。予算が戻ってきて、責任者が入れ替わり、国の関心がよそへ移り、正直な言葉が、それに署名した者たち自身を疲れさせ始めてからも。
静かな完璧さが危険なのは、決定の瞬間だけではなかった。そのあとこそ危険だった。困難はもう道徳的に処理されたのだと、誰もが信じられるようになってしまうから。
清潔な代償
その晩、帰りの列車で、エレーヌはイリアを見ずに尋ねた。
「別の決定をするべきだったと思う?」
外では、夜が畑を消していた。窓ガラスには二人の顔が重なって映っていた。エレーヌはより青白く、イリアはより険しく。
「わからない。」
「気休めになる答えじゃないわね。」
「ほかに答えがない。」
エレーヌはファイルを閉じた。
「たぶん、私たちが認めたくないのは、そこなのね。決定の誤りを減らしても、与える害はほとんど同じまま、ということがある。」
イリアはポール・セルネを、サミールを、アニエスを、遺族のわからない墓を、毎年置かれる石を思った。
「それなら、部屋は何のためにあるの?」
エレーヌはすぐには答えなかった。
列車は、ほとんど誰も降りない駅の手前で速度を落とした。ホームにはコートに身を縮めた人影がいくつか待っていた。一人の女性が眠った子どもを抱いていた。ホームの蛍光灯が、すべてをさらに剝き出しに、さらに現実的に見せていた。
「権力を持つ者から、善いことをしたと思い込む安らぎを奪うためかもしれない」とエレーヌは言った。
「それだけ?」
「ええ。」
それから付け加えた。
「でも、そのわずかなものを、彼らはもう嫌っている。」
二十二時十分、マレスコからイリアへメッセージが届いた。
「明日、会議。上級の明晰の部屋。統合段階。」
画面をエレーヌに見せた。
エレーヌはため息をついた。
「二十時を過ぎたら、『統合』という言葉は禁止するべきね。」
「それ以前も。」
列車がまた走り出した。
窓のなかで、イリアの反射像は黒い一帯の上に揺れ、それから小さな町の灯りの上に揺れた。写真を囲む手、書類、何も約束しないのに、その先を見栄えよく整えてしまう清潔な言葉が蘇った。
彼女はポール・セルネの手紙をもう一度開いた。
「川には、屑拾いの記憶がある。」
この一文は、手法になりたがってはいなかった。
汚れたままでいたがっていた。
ヤエルという敷居
翌日の会議では、印刷された資料が使われなかった。
マレスコが簡素な形式を望んだ。重い決定が、すでに別の場所で用意されている証しだった。
ヤエルも出席していた。黒いセーターを着て、装身具も、パソコンもなかった。両手は、二つの静かな物体のようにテーブルへ置かれていた。イリアは彼女の顔に、ルアンヌで流した涙を探した。探すべきものはなかった。皮膚は、敵に差し出す証拠を保存しない。
クレールが統合段階について説明した。全国ファシリテーターの研修、資料の統一、空席に関する手順、追加招集の基準、決定後の追跡方法、非再現性の原則。
最後の項目で、イリアは顔を上げた。
「非再現性の原則?」
クレールは疲れた笑みを見せた。
「ええ。わかっている。」
マレスコが口を挟んだ。
「明文化しなければ、誰も守りません。」
「原則として明文化すれば、全員が守るふりをします。」
「それが第一歩になることもあります。」
「どこへ向かう?」
彼は答えなかった。
ヤエルが初めて発言した。
「部屋が美学になることを、あなたは怖れている。そのとおりです。でも、もう一つの危険を忘れています。」
イリアは彼女を向いた。
「どんな?」
「美学への恐怖が、私たちを昔ながらの暴力へ連れ戻す危険です。美しくなる前から、忌まわしい決定はいくらでもありました。」
その一文は、室内に居場所を見つけた。
ヤエルは続けた。
「私たちが汚れたままでいる能力によって、世界が救われるわけではありません。ときに、自らを汚すことは、何も学ばないための最も気分のよい方法にすぎない。」
モードなら、この言葉を嫌っただろう。
イリアは、自分が嫌っているかどうか確信できなかった。
「そして、ときに」と彼女は言った。「自らを清めることは、もう何も感じずに済ませるための、最も気分のよい方法です。」
「ええ。」
ヤエルは譲歩とは思えないほど早く受け入れた。
「だから、あなたのような人が必要になります。」
「後ろめたさを担保する条項として?」
「敷居として。」
イリアは何かが閉じるのを感じた。
「私は、あなた方の建築の敷居になるつもりはありません。」
ヤエルは、努力の要らない優しさで彼女を見た。
「私も望んでいません。」
その答えに、イリアは惑った。
マレスコが会議を再開した。言葉が続いた。試験段階、日程、各県からの報告、研修、慎重な拡大、冬季危機の可能性、エネルギーリスク、農業上の緊張、学校、病院、水。国は、疲労したあらゆる箇所から、部屋のなかへ入ってきた。
終了後、ヤエルは廊下でイリアを待っていた。
「私に腹を立てていますね。」
「ええ。」
「具体的には、何に?」
震えないことに、と答えかけた。
トマ・リヴィエールを思い出し、踏みとどまった。
「ときには耐えがたいままであるべきものを、耐えられる形にしてしまうこと。」
ヤエルは、その言葉を吸収せずに受け止めた。
「今のほうが正確です。」
「書き留めてほしいとは言っていません。」
「書き留めてはいませんでした。」
二人は階段まで歩いた。執達吏の女性が、グラスを載せた盆を持ってすれ違った。建物には、磨かれた木、湿ったコート、熱を帯びたプリンターの匂いがしていた。
ヤエルが言った。
「あなたは、私がもう傷つかないと思っている。」
イリアは答えなかった。
「傷ついていることを証拠として差し出すのに、疲れただけかもしれません。」
美しすぎる言葉になりえた。
ヤエルはそれを支えなかった。ほとんど不器用な仕草で髪を耳にかけた。そのせいで、称賛を受け入れる態勢が少し崩れた。
けれどイリアには、彼女がどこで嘘をついているのか、すぐには見つけられなかった。
第16章
もう震えない女
誰にも見届けられない散歩
ヤエルは歩きたいと言った。ただし、マティニョン館の庭は嫌だという。あそこでは会話が、自分の重要さを意識しすぎるから、と。二人は脇の扉から外へ出て、通り沿いを進み、河岸へ下った。寒かった。空は低く、役所の書類めいた灰色に垂れこめていたが、セーヌにはところどころ錫のような光が残っていた。
イリアは、この散歩に出たくなかった。
それでも出た。
ヤエルは速足だったが、相手を急かしているようには見えなかった。それも彼女の才能の一つだった。状況そのものが求めていると思わせながら、自分の速度に引き込む。
数分のあいだ、二人はどうでもいいことしか話さなかった。通行止めの歩道、ひどい停め方のトラック、橋の工事、じつに的確な罵声を車に浴びせた自転車乗り。
やがてヤエルが言った。
「姉が死んでから、私は部屋に関わるようになりました」
イリアは黙っていた。
「お話しするのは、いずれあなたも知ることになるからです。誰かがこれを鍵のように差し出す、その喜びを味わわせたくない」
二人は歩行者信号の前で立ち止まった。向こう側では、男がスーツケースを引いていた。三メートル進むたびに車輪が一つ動かなくなった。
「姉はニナといいました。郊外の高校で数学を教えていた。ある日、授業中に一人の生徒が発作を起こしました。最初から暴れたわけではありません。疲れ切って、パニックになって、抱えきれなくなった。誰もが善かれと思って動きました。学校側も、親も、行政も、医師も、教師も。大人たちは一人ひとり、自分の正しさを守った。二週間後、その少年は死にました」
信号が青になった。
ヤエルは渡らなかった。
「姉は、誰も責めない言葉を残しました。だから姉を憎むことはできなかった。こう書かれていただけです。私たちはみな、別々に非の打ちどころのない人間であろうとした、と」
イリアは、冷たさが手のなかを這い上がってくるのを感じた。
「それで、部屋に入ったんですか」
「ええ」
「だから、部屋をもっと強くしたい?」
「ええ」
次に信号が変わったとき、二人は道を渡った。
河岸では、観光客の一団が写真を撮っていた。子どもが笑っていた。靴の下に押さえたつもりの地下鉄の切符が、そのたびに逃げていくのだ。世界を止めるはずの言葉のまわりで、世界はいつもあまりに順調に進みつづける。イリアはそう思った。
ヤエルが話を続けた。
「あなたには、私がもう震えない人間に見える。ほとんどそのとおりです。でもあなたは、それを危険と呼ぶ。震えていれば他人を守れると信じていられる、まだその余裕があるから」
「そんなふうには思っていません」
「思っています。一部では」
ヤエルの声が柔らかいからといって、言葉の暴力まで和らぐわけではなかった。
「あなたは、傷ついた人が好きです。途切れる声、はみ出す身振り、テーブルまで傷つける怒り。私も好きです。でも、傷ついていることが道徳的な贅沢になる瞬間もある。自分の傷を目の前に掲げているあいだにも、誰かが救急車をどこに通すか決めなければならない」
イリアは足を止めた。
「私がそんなものを擁護していると?」
「その反対よりは、恐れていないと思っています」
橋の下を艀が通った。エンジンの振動が、石壁にぶつかる水を震わせていた。
ヤエルは声を落とした。
「心を動かされるだけでは足りません。深く心を動かされていながら、決断できずに人を死なせる者はいくらでもいる」
イリアは最初の朝の産科病棟を、夜の救急外来を、ルアンヌを思った。ヤエルは一点において正しかった。その一点が耐えがたいのは、ほかのすべてを帳消しにはしないからだった。
「あなたはときどき、決断することと、もう何も感じない勇気とを取り違える」とイリアは言った。
「いいえ。自分が以前より感じなくなったことは、よくわかっています」
むき出しの答えだった。
ずいぶん久しぶりに、ヤエルは正しい場所に身を置いているようには見えなかった。
「一つ一つの出来事と一緒に死なないことを、私は選びました。あなたはそれを、偽りの空白と呼ぶ。私はときどき、数を生き延びる、と呼んでいます」
彼女は一瞬、顔をしかめた。
「わかっています。ひどい言い方です。これよりましな言葉が見つからなかった」
イリアは、その表現を直そうとはしなかった。
数を生き延びる。
権力がヤエルの何をあれほど好むのか、イリアには聞こえた気がした。彼女は社会全体の疲弊に、気高い形を与えていた。あらゆるものに傷つけられることはできない、という考えを耐えられるものにしていた。
「では、今もあなたを傷つけるものは何?」とイリアは訊いた。
ヤエルは川を見た。
「自分が正しいとわかる瞬間です」
顔
二日後、ヤエルは至るところにいた。
不祥事のせいではない。称賛されていたのだ。
散歩より前に収録された長いインタビューが、日曜の夜に放送された。記者には、彼女の話をめったに遮らないだけの知性があった。ヤエルは上位室について、民主主義の疲労について、人を辱めずに反射的な反応をほどくことのできる場の必要について語った。平和を約束しなかった。叡智を口にしなかった。慎重で、正確で、ほとんど控えめなことしか言わなかった。
だからこそ、抗いがたかった。
翌日、一つの見出しが至るところに浮かび上がった。
「ヤエル・セール――国家に正しく震えることを教え直す女」
イリアは危うく携帯電話を投げ捨てるところだった。
エレーヌから、その記事へのリンクが送られてきた。コメントは一言だけだった。
「もうおしまい。見出しがうますぎる」
マレスコは公には反応しなかった。内部では、その映像は好機を回覧するように出回った。考えというものが顔を得るまでは必ず疑ってかかる官房の面々が、ついに一つの顔を手に入れたのだ。
ヤエルはそのために何もしていなかった。
あるいは、ほとんど何も。
もはや、その違いに意味はなかった。
その後の数日、イリアは長く恐れていたものが形を取るのを見た。露骨すぎる個人崇拝ではない。ある種の静けさには、ほかの何よりも大きな権限を与えてよいと信じる、集団的な心構えだった。ヤエルが正しい、とは誰も言わなかった。彼女は偽りの論争から抜け出させてくれる、と言った。彼女に従うべきだ、とは誰も言わなかった。彼女は議論の次元を移してくれる、と言った。
服従より危険な言葉遣いだった。
誰もが、自分は高いところへ上っているように感じられた。
モードが電話で状況を要約した。
「世俗の聖女を見つけたのね」
「そんな言い方はやめて」
「どうして?」
「簡単すぎるから」
「知ってる。だから効くのよ」
イリアは笑わなかった。
「彼女は偽物じゃない」
「聖人だって、たいていは偽物じゃない。おかしくなるのは、そのあとよ」
その夜、イリアは一人でインタビューを見直した。落ち度や、自己満足の気配や、高みに立ちすぎた言葉を探した。いくつかは見つかったが、足りなかった。ヤエルは腹立たしいほど揺るぎなく、戯画化を拒んでいた。世界を正すとは約束しなかった。どんな部屋も政治的な対立に取って代わるべきではない、とさえ言った。
そして最後に、記者が尋ねた。
「今、何が怖いですか?」
ヤエルは時間をかけて答えた。
「責任を負うより、傷ついたままでいることを私たちが選ぶことです」
イリアは停止した画面へ目を落とした。
その言葉は立っていた。ほとんど偽りでもあったが、すべてが偽りではなかった。だからこそ、勝つことができた。
提案
マレスコはイリアに、上位室の常任委員にならないかと持ちかけた。
もったいぶったところはなかった。暖房の効きすぎた会議室で、エネルギー供給の継続に関する二つの資料と、猛暑時の学校閉鎖についての覚書のあいだに、それを口にした。クレールがいた。エレーヌもいた。ヤエルはいなかった。
「お断りします」とイリアは言った。
「条件をまだ聞いていませんよ」
「私を説得するために書かれた条件なら、もうそれだけでよくないものです」
マレスコは彼女の前に書類を置いた。
「短期任期。強化された中断権。手法記録へのアクセス。少数意見の公表権。身分上の独立」
イリアは紙に触れなかった。
「とてもきれいな檻ですね」
「あなたが恐れていることを阻める場所を差し出しているんです」
「機械の内側から、機械を止めろと?」
「そうです」
そこについては、彼は正直だった。
エレーヌはテーブルを見ていた。クレールは、自分で望む以上に落ち着きを失っているようだった。
「どうして今?」とイリアは訊いた。
マレスコは両手を組んだ。
「これから来る危機が、各地の部屋で扱える範囲を超えるからです」
「どんな危機?」
「どんな形で顕在化するかは、まだわかりません。ただ、兆候は出ています。電力の逼迫、水、交通、農業運動、病院、学校。複数の決定が重なれば、社会的な連鎖反応が起きる危険もある。この国は、どんな裁定も一分野だけでは完結しない領域に入りつつあります」
「だから、あなたたちの大いなる部屋が欲しい」
「必要になったとき、それを崇拝する人々だけに、すべてを委ねたくないのです」
イリアはクレールを見た。
「あなたは?」
クレールは答えるまでに時間がかかった。
「引き受けたほうがいいと思う」
「どうして?」
「自分の考え抜いた言い回しと二人きりにされたくないから」
政治的な言葉ではなかった。
だからこそ、イリアが望んだ以上に深く届いた。
エレーヌも口を開いた。
「断れば、あなたは守られる」
「引き受けろと言っているの?」
「違う。あなたが断ることで、何が守られるかを言っているだけ」
マレスコは押さなかった。書類をテーブルに残した。
「返事は明日でかまいません」
「今、返事をしました」
「では明日、もう一度答えてください」
今度は、イリアが書類を持ち帰った。
そのせいで、彼を憎んだ。
彼女が望んでいたもの
自宅に戻ってから、書類は午前零時まで閉じたままだった。
イリアはコーヒーを淹れ、窓を開け、二つの棚を整理し、どうでもいいメッセージに三通返事をした。最後には床に座り込み、ソファに背を預けた。
書類は実によくできていた。
任期は十八か月。理由を明示した辞任が可能。上位者からの圧力に対する保護。少数意見は決定文書に添付。記録の閲覧が可能。多元的な委員構成。外部委員の交代制。中断手続き。
成功した会合を自動的な模範として提示してはならない、という条項まであった。
その条項のためには、エレーヌが闘ったに違いない。
イリアは最後まで読んだ。
そして、自分がなぜこれほど怖がっているのかを悟った。
彼女の一部は、大いなる部屋の実現を望んでいた。権力のためでも、マレスコやメディアのためでもない。彼女自身のためだった。人間たちが小さく切り分けて決断するのを見つづけてきた、あの古い疲労のためだった。誰もが自分の語彙に守られ、自分の傷を国境のように守っている。世界を救うと称する人々の手のなかで、世界が引き裂かれるのをやめるまで、ほんのしばらく世界を抱えていられる場所がある。そう信じたかった。
彼女は、不可能な部屋を望んでいた。
水も、死者も、雇用も、子どもも、道路も、病院も、怒りも、数字も、最初から互いを締め出さずにいられるテーブルを望んでいた。
ほとんど宗教的なまでの強さで、それを望んでいた。
その欲望こそが、彼女を無防備にしていた。
携帯電話が震えた。
ヤエルからのメッセージだった。
「私たちを監視するために引き受けないでください。これがまだ成功してほしいと望むなら、そのときだけ引き受けて」
イリアはその文を読み返した。
ルアンヌを思った。トマ・リヴィエールを。アンドレ・ルモワーヌを。アニエス・コランを。雨のなかのモードを。人間の頭上で、あまりに多くの人々を支えようとした古い仕組みを。中心を拒みながら、伝えることまでは拒まなかった、散らばった身振りを。
それから、空席の椅子を思った。
翌日、彼女はマレスコに答えた。
「引き受けます」
彼は驚いた様子を見せなかった。
「一つ、条件があります」
「まだ?」
「これは書類にありません」
彼は待った。
「大いなる部屋は、自分だけでは足りないと認められなければならない」
マレスコは寂しそうに笑った。
「まともな機関なら、どこでも前文にそう書きます」
「前文の話ではありません」
「では、何の話です?」
イリアには、まだ言葉がなかった。
ただ、その条件が条項や権利、手続きや付属文書ではなく、一枚の扉に関わるものだということだけはわかっていた。
部屋が自分を完全だと思ったときにも、開いたままでいられる扉。
第V部
愛することをやめない
第17章
大いなる部屋
閾値の一週間
危機には、すぐには名前がつかなかった。
政府にとって本当に役に立つ危機には、たちまち名前が与えられる。そうすれば対策本部を立ち上げ、計画を発表し、地図を色分けし、昨日まではそれぞれ別の省庁と語彙と、ほかを見ないためのやり方を持っていた出来事を、一つに束ねることができる。
今回の危機は一つの事件ではなく、いくつもの閾値から始まった。短すぎる通知が、あまりに多くの画面へ届いた。それぞれ警戒色も、担当部署の言葉も違っていた。
ガロンヌ川とロワール川の渇水閾値。
五つの病院の新生児科における室温閾値。
二つの電力連系線における警戒閾値。
冷蔵輸送における破綻閾値。
教室の出席率閾値。
救急コールセンターにおける疲労閾値。
三日間、それぞれの閾値はそれぞれの言葉で訴えた。
水は制限を求めた。
電力は輪番停電を求めた。
病院は冷却装置を求めた。
農業従事者は、植物が死ぬときになって初めてその存在に気づくのをやめろと求めた。
学校は、子どもたちが倒れる前に閉鎖するべきかと尋ねた。
産業界は適用除外を求めた。
高齢者施設は、送風機を、人手を、夜を求めた。
どの要求も、自分の部屋のなかでは正しかった。
四日目、閾値同士が応答を始めた。
給水制限のために、一部の病院設備を洗浄できなくなった。停電すれば、高台の地区にある増圧ポンプが止まる。コールドチェーンを維持するには、倉庫から削ろうとしている電力が必要だった。暑さで減速した地域列車のせいで、職員が涼を取る施設へたどり着けない。学校を閉鎖すれば、子どもたちは教室より暑い住居へ戻される。
国は崩壊しているのではなかった。
結び目になっていた。
五日目の朝六時半、マレスコは大いなる部屋を招集した。
メッセージのなかで、その名は使わなかった。こう記されていた。
「拡大上位室――生命維持のための国家的裁定」
だが、誰もが理解した。
六時四十三分、最初の参加者たちが返事をするより先に、首相官房は記入欄だけを残した声明文の雛型をメッセージに添付した。
空欄がいちばん不穏だった。
「上位室の答申を受け、政府は……を決定する」
文章はもう、決定が入るのを待っていた。
イリアは七時前に到着した。上位室は姿を変えていた。可動式の間仕切りが開かれ、隣の部屋とつながっていた。スクリーンが増え、二系統のビデオ会議設備が設置され、金属の盆に水差しが並んでいた。ブラインドは半分まで下ろされ、朝の光が青白い帯になって差し込んでいた。
大テーブルには、六枚の地図が置かれていた。
水。
電力。
医療。
食料。
交通。
治安。
イリアは、この切り分けをたちまち嫌った。
その直後、クレールが真ん中に、題名のない七枚目の紙を置いたことに気づいた。
空白の長方形。
クレールは何も言わなかった。
エレーヌが薄い書類を持って入ってきた。モードは布のバッグを提げていた。ジェローム・ケリアンがあとに続いた。初めて来たとき以上にマティニョン館には似つかわしくない顔をしていた。それが彼を貴重な存在にしていた。セシル・ダルセは、背後にペットボトルの山と電源タップが見える支援団体の部屋からオンラインで参加していた。ラシッド・メジアヌからは、夜間避難が終わりしだい到着するという連絡があった。葬送の問題が浮上した場合には、アニエス・コランを呼ぶことになっていた。誰もが、分別ある臆病さをもって、それだけは避けたいと思っていた。
ヤエルはすでにいた。タブレットも書類もなく、閉じたノートを一冊、前に置いていた。イリアに軽く会釈した。その顔には、散歩も、インタビューも、数について語った言葉も表れていなかった。
マレスコが会合を始めた。
「国家として何を優先するか、その枠組みを二十四時間以内に作ります。完璧な決定は求めません。各地の決定が互いに食い違い、すべてを壊す事態を避けられる程度に、長く持ちこたえる決定です」
モードが息を吐いた。
「いい出だしね」
マレスコには聞こえていた。
「承知しています」
この簡単な告白のおかげで、最初の一分はきれいになりすぎずに済んだ。
クレールが選択肢を提示した。どれも、甲乙つけがたいほど見事にひどかった。
選択肢A。医療、高齢者施設、飲料水を厳格に優先し、経済活動への電力供給を大幅に制限する。
選択肢B。七日目の供給途絶を防ぐため、食料と物流の連鎖を維持し、生命維持に不可欠でない家庭消費に、より厳しい制限をかける。
選択肢C。国家目標のみを定め、最大限の判断を地域圏知事に委ねる。ただし、地域間に激しい格差が生じる危険がある。
選択肢D。全国的に涼を取れる施設を開放し、冷房のある民間施設を一部接収し、活動を一斉に休止させ、脆弱な人々の輸送を優先する。
どの案にも、それぞれの真実があった。
どの案も、自分が押し潰すものについて嘘をついていた。
午前中は、これまでの大規模会合と同じように始まった。数字、地図、訂正、最初の異議。ジェロームは、二次的と分類された一つのポンプ場が、実際には非常用の迂回系統を通じて三つの高齢者施設に水を送っていると指摘した。セシルは、外に出るのを怖がる人々へ電話する者がいなければ、涼を取れる施設を開けても何の役にも立たないと説明した。モードは、健康を守るためという名目で倉庫を閉鎖した場合、出勤しない人々のうち何人に賃金が支払われるのかと尋ねた。
部屋は機能していた。
うまくさえ機能していた。
やがて、断片が届き始めた。
十一時五十分、クレールは官房からメッセージを受け取った。
「十四時までに運用可能な方針が必要。簡潔な形式。裁定が固まれば名称も可」
彼女は声に出して読まなかった。
イリアには、その手のなかに見えた。
時間が、もう一人の参加者として部屋へ入ってきた。椅子も顔もなく、それでもすでに自分を信じすぎていた。
開けておかれた扉
最初の現場報告は、アリエ県のある市役所から来た。文書ではなく、困惑した郡庁の役人が送った一枚の写真で、短い文が添えられていた。
「現地対策班より、この状況が涼所開放の指示に該当するか確認依頼」
写真には、公民館の扉を一脚の椅子で開けたままにしている様子が写っていた。中には高齢者たち、二人の子ども、タンクトップ姿の男、訪問看護師。水のボトルを並べたテーブル、電源タップ、脚立の上に置かれた扇風機。外には、暑さで白く見えるアスファルトがのぞいていた。
写真の下には、市長がこう書き添えていた。
「条例を待たなかった。扉が勝手に閉まるので、椅子を置いた」
クレールは、その画像を側面のスクリーンに映した。
すぐに口を開く者はいなかった。
「自発的な涼所開放ですね」と一人の顧問が言った。
モードは彼を見た。
「扉に椅子を挟んだのよ」
顧問は赤くなった。
二十分後、トゥール近郊の職業高校から二枚目の写真が届いた。近隣住民のために体育館が開放されていた。防火扉には金属製のスツールが挟まれていた。手書きの貼り紙にはこうあった。
「どうぞ入ってください。頼みたいことがなくても」
続いて、セシルが三枚目を転送した。訪問介護団体の休憩室が家族に開放され、車輪を一つ失った事務椅子で扉が押さえられていた。
四枚目はブルターニュ地方の食品工場からだった。立ち往生した運転手のために更衣室を開け、裏返した箱で扉を止めていた。
五枚目は、まだ冷房の動いている小さな市立図書館からだった。取っ手の下には子ども用の椅子が挟まれ、テーブルには紙コップ、本、霧吹き、そして迎えに行くべき近所の人の住所を書き込むノートが置かれていた。
部屋は、何を理解したのかもわからないうちに、理解し始めていた。
イリアは、古い罠が張られるのを感じた。
写真が胸を打つのは、人の胸を打つために撮られたものではないからだった。誰も手法を適用していなかった。何が浮かび上がってくるかを受け止めるよう、ファシリテーターが施設に促したわけでもない。人々は暑かった。怖かった。頼むのが恥ずかしく、迷惑をかけるのが怖かった。ほかの人々が扉を開けた。一脚の椅子が、扉の閉まるのを妨げた。
単純だった。
そして制度がもっとも守れないものは、しばしばそういうものだった。
危機管理責任者が最初に口を開いた。
「選択肢Dが地域に受容されつつある兆候かもしれません」
エレーヌは目を閉じた。
ヤエルは目を見開いた。
イリアが言った。
「違います」
静かな一言だった。
部屋を中断させるには、静かすぎた。
マレスコが彼女を向いた。
「説明してください」
「受容の兆候ではありません。人々が扉を開けているんです」
「まさにそこです」と責任者は答えた。「指示が、すでに生じている行動と結びつく可能性を示している」
「まだ指示は出ていません」
「だからこそです。私たちが拡大できる」
拡大する、という言葉が、清潔すぎる手のようにイリアへ触れた。
彼女は写真を見た。木の椅子、金属製のスツール、壊れた事務椅子、裏返した箱、子ども用の椅子。どの物も少しずつ違うことを語っていた。設備が足りなかった場所。手近なもので間に合わせた場所。安全規則に背いてまで開けた場所。図書館で取っ手の下に挟まれた子ども用の椅子には、ほとんど滑稽で、ほとんど耐えがたいものがあった。
「急いで拡大しすぎれば、あなたたちの所有物になる」とイリアは言った。
責任者は、ため息をのみ込んだ。
「国家的危機なのです。国が椅子に見とれているだけでは済みません」
「誰も見とれろとは言っていません」
マレスコが手を上げた。
「まだ届いていますか?」
クレールは通信経路を確認した。
「ええ。大量に」
その後の一時間も、画像は届きつづけた。
椅子ばかりではなかった。ある薬局は、店の窓にこう貼り出していた。
「何か買わなくても入れます」
ある学校では、校庭の水道を十分ずつ開けていた。市の職員が見守りながら、親を伴わずに来た子どもの名前を書き留めていた。
修理工場では、近所の人々が医療機器を充電できるよう、整備士たちが非常用バッテリーを部屋の中央へ移した。見習いの一人が、周囲にコンセントを描いた円を段ボールに描き、こう書いた。
「一人に延長コード一本じゃない」
鉄道の運行管理室からは、短い文が届いた。
「どの部署が優先かを考えるのはやめた。判断を誤ったとき、誰が家に帰れなくなるかを考えた」
ある高校は、黒板の写真を送ってきた。生徒たちが四つの欄を作っていた。
「飲む」「息をする」「知らせる」「一人にならない」
黒板の下には、誰かが書き足していた。
「ほかはあと」
啓示ではなかった。単なる連帯でもなかった。そこでは何かが考えていた。ただし、一つの頭のようにではない。唯一の答えを生み出すことも、中央より正確に計算することも、隠された真実を上へ届けることもなかった。人々がほんの一瞬、自分の取り分を守るためだけに来るのをやめたとき、何かが人と人のあいだで持ちこたえ始めた。
部屋が、その何かに惹かれていくのをイリアは感じた。
そして部屋は、目にしているものを愛しているからこそ危険だった。
古い反射
十三時、首相官房が暫定的な要約を求めた。
マレスコは断った。
十三時十五分、短い覚書ならと受け入れた。
十三時二十分には、すでに何人もの頭のなかで文章ができあがっていた。
「各地域からの報告により、涼所の開放、非常用電力の共有、孤立者の優先をめぐる自発的な収斂が認められる」
行政文書としては、きちんと立つ文章だった。
だからこそ、ほとんど致命的だった。
クレールは画面を見つめ、キーボードの上で両手を止めていた。
「ほかにどう書けばいいのかわからない」
「収斂とは書かないで」とイリアが言った。
「でも、収斂でしょう」
「だからこそよ」
エレーヌが近づいた。
「こう書いたら。共通の指示を受けていない複数の場所で、よく似た身振りが現れた」
「弱いわ」
「ええ」
「マティニョン館が知りたいのは、これが選択肢Dの根拠になるかどうかよ」
イリアより先に、モードが答えた。
「何の根拠にもならない。これは告発よ」
マレスコが彼女を見た。
「誰への?」
「あなたたち。私たち。全員への。指示されるより前に人々が扉を開けたからといって、あなたの選択肢が正しい証拠にはならない。あなたたちの選択肢では抱えきれないものを、もう彼らが修復し始めている証拠よ」
その言葉は不当ではなかった。
だからこそ、部屋は嫌った。
それまで黙っていたヤエルが、画像をもう一度モザイク状に映すよう頼んだ。クレールが応じた。扉、椅子、テーブル、コンセント、水道、学校の黒板、近隣住民のノート。
ヤエルは立ち上がった。
部屋を支配するためではなかった。画像の大きさが、立った人間の体を必要としているように見えたのだ。
「ありうる間違いは二つです」と彼女は言った。「一つは、これを心温まる地域の出来事として扱うこと。もう一つは、委任を受けた証拠として扱うこと」
イリアは聴いていた。
「ここで起きていることは、現場報告より重大です。互いを知らない人々がよく似た身振りを生み出している。直面している限界が同じだからです。誰を中へ入れるべきか。誰が頼むことすらできないか。誰が鍵を持っているか。三階の老婦人を誰が知っているか。誰が扉を押さえ、誰が二時間残れるか。中央の決定が、それを間に合うほど早く把握することはできない」
彼女は指先でスクリーンに触れた。押しはしなかった。
「けれど、こうした身振りを選択肢Dの正しさの証拠にすれば、私たちはそれを壊します」
危機管理責任者が異議を唱えた。
「上がってきた情報を利用せずに、決定を下すことはできません」
「情報を利用するのはいい。それを生み出したものまで所有してはいけない」
その言葉は、美しくなりえた。
ヤエルはそこに居座らせなかった。
「こうした場所は、私たちが代わりに考えることのできない何かを、すでに考えています」
そのとき、マレスコは理解した。
イリアには彼の顔を見ればわかった。考えそのものではなく、その代償を理解したのだ。こうした場所がすでに考えているのなら、大いなる部屋は、世界を抱き込んでから裁定を下す上位機関を名乗れない。別の何かになる。遅れて到着する場所。強大で、おそらく必要だが、それでも二番目の場所。
二番目。
国家は多くのことに耐える。
だが、自分がもっとも不可欠だと信じた瞬間に二番手となることには、なかなか耐えられない。
マレスコは十分間の休憩を求めた。
すぐに動く者はいなかった。
画像はスクリーンに残っていた。
とりわけ子ども用の椅子が、ごく小さな不遜さで扉を支えていた。
第18章
最後の取り込み
作戦の名
休憩は四分間つづいた。
官房から電話がかかっていた。知事たちは待っていた。各機関は命令を求めていた。ニュース専門局は、すでに調整の混乱について報じていた。いくつもの都市で、指示を待たずに開く場所がある一方、責任を問われるのを恐れて閉じたままの場所もあった。ある高齢者施設では冷却装置の故障が報告された。病院は患者だけでなく、付き添いの人々のためにも水のボトルを求めていた。立ち往生した運転手たちは、エンジンを回しつづけられないトラックのなかで眠っていた。画像の美しさに国を委ねておくわけにはいかなかった。
三分目、モンリュソンから警報が届いた。市長の要請にもかかわらず、ショッピングセンターは閉鎖されたまま。駐車場は涼を求めて来た人々で埋まり、ガラス扉の前には警備員が一人。二人が倒れ、子どもが喘息の発作を起こしている。
官房は、そのメッセージに冷たい一文を添えて転送した。
「国家的裁定、ただちに必要」
マレスコは二人の顧問を連れて戻ってきた。
彼らは名称を用意していた。
「命を守る開かれた扉」
よい名前だった。
よすぎた。
イリアが口を開くより前に、クレールも気づいた。両肩が一センチほど落ちた。
提案された措置は三ページにまとまっていた。公共および民間の涼所を接収可能とすること。学校、図書館、体育館、ショッピングセンター、行政庁舎のロビー、自治体の同意があれば教区の集会所を一斉に開放すること。孤立者の優先、水の配布、医療機器の充電、受け入れ場所への輸送、簡略化した補償、国による法的責任の引き受け。
一ページ目の下部には、すでに赤字で一行が加えられていた。
「モンリュソン/十五時までに承認の場合、優先発動」
役に立つ措置だった。必要でさえあった。イリアは、よい決定が悪い夢に包まれて届いたときにだけ生まれる、独特の怒りとともに読んだ。
最後のページには、次の段落があった。
「本日観察された各地域の収斂は、共同利用の受け入れ施設を求める社会的要請の存在を裏づけるものである。これに基づき、本生命維持開放方針を策定する」
イリアは紙を置いた。
「駄目です」
起草した顧問の体がこわばった。
「この措置で人命が救われます」
「措置の話ではありません」
「では、何の話です?」
「この段落です」
彼は紙を手に取った。
「措置の社会的正当性を示しています」
「源を盗んでいる」
顧問はマレスコを見た。イリアの言葉を行政用語へ翻訳してもらいたいかのようだった。
マレスコは助けなかった。
ヤエルが尋ねた。
「では、どうするべきだと?」
イリアは彼女を向いた。
敵意のある問いではなかった。
敵意よりも危険だった。ただ拒むだけで済ませることを許さない問いだった。
「こうした身振りが決定の根拠になるのではない、と書く。決定することを、私たちに強いているのだと」
顧問は眉をひそめた。
「意味が不明瞭です」
「いいえ」とクレールが言った。
彼女はキーボードに手を置いた。
両手がわずかに震えていた。
「待って」とマレスコが言った。
クレールは止まった。
彼は段落を読み返した。長いあいだ。目の前で携帯電話が震えていた。手には取らなかった。
「そう書けば」と彼は言った。「収斂の力を失います」
「ええ」とイリアは答えた。
「国が、私たちの決めようとしていることをすでに求めている、という論拠を失う」
「ええ」
「国が主導せず、各地の即興に追随しているという非難にさらされる」
「ええ」
マレスコは紙を置いた。
「あなたは、勝つことを不可能にする勝利がずいぶんお好きですね」
「勝つこと自体、あまり好きではありません」
「見ればわかります」
意地悪にもなりえた言葉だった。
だが、そうではなかった。ほとんど親愛と呼べるものが込められ、誰も指摘しなかった疲労があった。
携帯電話がまた震えた。
マレスコは画面を伏せてテーブルに置いた。
「クレール、書いてください」
クレールは段落を削除した。
数秒のあいだ、空白のなかでカーソルが点滅した。
それから彼女は打ち込んだ。
「各地で生じた身振りは、国家に与えられた委任を意味しない。それは、公的決定が到着するより先に、すでに組織化を始め、ときには公的決定よりもうまく動いている世界の存在を示している。したがって本措置は、そうした開放を支援するものでなければならず、その起源を自らのものと主張せず、多様性を損なってはならない」
顧問は青ざめた。
「広報が絶対に通しません」
モードが言った。
「やっと、いい知らせね」
浮かび上がってくるもの
午後が進むにつれ、断片は実用的な情報だけではなくなった。
最初は、水や扉、コンセント、暑さについての報告だった。その余白に、やがて別のものが現れ始めた。
ドローム県のある学校から、教室の絵が送られてきた。机を壁際へ寄せ、水に布を浸したたらいを囲んで、子どもたちが床に座っている。教師が書き添えていた。
「誰がもう水を飲んだか数えなくて済むように、水を真ん中へ置いてほしいと子どもたちが言いました」
セーヌ=サン=ドニ県の社会福祉センターから、相談員が高齢の女性の言葉を伝えてきた。
「扉が開いたままなら、暑いことを証明しなくてもいい」
病院の休憩室からは、介護助手が音声メッセージを送ってきた。疲れで声が潰れていた。
「十分だけ、何も話さず座ったんです。そのあと、誰に電話すればいいかわかりました。それまではリストを作っていた。黙ったあとは、名前になっていました」
音声は、風のように部屋を通り抜けた。
イリアは、もう一度再生するよう頼んだ。
もう一度流された。
「黙ったあとは、名前になっていました」
すぐに書き留める者はいなかった。
おそらく、それが午後の最初の勝利だった。
続いて、ロット=エ=ガロンヌ県の市営作業所からメッセージが届いた。
「発電機が三台あった。各部署が、自分の一台を手元に残したがった。整備士が鍵をボウルに入れて、真ん中に置いた。自分たちの発電機について話すのをやめた。明日まで何を生かしておかなければならないかを話した」
ボウルのなかの鍵。
真ん中のたらい。
扉に挟まれた椅子。
沈黙のあとの名前。
大いなる部屋が受け取っていたのは、隠された命令ではなかった。
形だった。
人々がほんの一瞬、役割によって互いから切り離されたままでいることをやめたときに現れる、単純で、ほとんど原初的な形。それは非合理ではなかった。理性が、前より孤独ではない場所からやり直せるようにしていた。
イリアは、最初に浮かんだ言葉を退けた。象徴、想像界、深層。尊重するふりをしながら、あまりに早く対象をのみ込んでしまう言葉だった。
彼女は一つ一つの物を見た。そのありふれた姿が、まだ物自体を守ってくれるかのように。
そこで起きていることは、もっと壊れやすかった。
真ん中に置かれた物。止められた扉。差し出された鍵。リストが再び名前へ戻るだけの長さを持った沈黙。
疲れた人間たちが、何かを一人だけで所有しつづけないために、それを真ん中へ置いていた。
危機管理責任者が言った。
「共通の象徴構造があるのかもしれません」
イリアは危うく呻きそうになった。
その前にエレーヌが言った。
「また始めないでください」
責任者は弁明した。
「こうした画像が、方針を言語化する助けになると言いたいだけです」
「まず黙る助けにしたらどうです」とエレーヌは答えた。
神秘的なところなど何もない言葉だった。即座に利用することを拒む、その言い方は冷たく、行政的でさえあった。
マレスコは時計を見た。
「十九時までに決定を出さなければなりません」
「ええ」とヤエルが言った。
再開してから、彼女はほとんど話していなかった。
「でも、その前に、これが私たちに届くための時間を取らなければ」
危機管理責任者は我慢を失った。
「失礼を承知で申し上げますが、私たちが心に届くのを待っているあいだにも、人が死ぬ危険があるんです」
ヤエルは、ひどく静かな顔を彼へ向けた。
「人々の存在を受け取る時間のなかったものを決定と呼ぶせいで、人が死ぬ危険もあります」
そのあとに訪れた沈黙は、美しくなかった。
役に立つ敵意があった。
利用できる顔
十七時、官房はヤエルにテレビ出演の準備を求めた。
要請はマレスコからクレールへ、そしてヤエルの携帯電話へ届いた。提示された文面は短かった。
「『命を守る開かれた扉』の意義を説明。
上位室によって各地域の声を聴き取れたことを強調し、安心を促す。
社会全体の成熟を強調。
『接収』という語は避けること」
ほとんど間を置かず、二通目が届いた。
「スタジオ準備済み、十八時二十分。不可の場合、セール氏の過去映像+報道官音声で編集」
ヤエルは無表情で読んだ。
それから携帯電話をイリアへ差し出した。
「ほら」と言った。
イリアはメッセージを見た。
闘いの場所が変わったのだ。ヤエルが決定を担うかぎり、その措置はほとんど攻撃不能になる。公権力の命令が、耳を傾ける者の顔を得るからだ。
ヤエルは携帯電話を受け取った。
マレスコが彼女を見ていた。
「引き受ける義務はありません」と彼は言った。
完全な真実ではなかった。
ヤエルはかすかに笑った。
「役に立つ人間になることを強いられる者など、どこにもいません」
彼女は立ち上がり、部屋を出た。
イリアもあとを追った。
廊下に出ると、ヤエルは中庭を見下ろす窓のそばで止まった。下では二人の職員が、壁の乏しい日陰で煙草を吸っていた。一人は上着を脱ぎ、書類で自分を扇いでいた。
「断るんですか?」とイリアは訊いた。
「わかりません」
「引き受ければ、彼らは偶像を手に入れる」
「断れば、私より慎重でない誰かが代わりに話します」
「取り込まれる人は、みんなそう言う」
ヤエルは中庭を見つめたままだった。
「ええ」
その一言の素直さに、イリアの怒りはくたびれた。
ヤエルはつづけた。
「部屋が性急に身を守ろうとするのを、そこにいるだけで少し抑えられる人間になろうと、何年も努めてきました。今、その同じ存在が、決定を抗いがたいものにしかねない。皮肉だと思いませんか」
「思います」
「いいえ。あなたは裁いている。同じではありません」
イリアは答えたかった。
言葉が見つからなかった。
ヤエルは彼女へ向き直った。
「画面に出ることは断れます。でも、それだけでは足りない。彼らはもう私の映像を持っている。私がいなくても私の顔を使い、次には、その不在を事態の重大さの証拠として使うでしょう。こう言います。ヤエル・セールでさえ、新たな象徴を加えまいとして身を引くことを選んだ、と。彼らは何でも食べてしまう」
「それなら?」
「消化できないものを食べさせるしかない」
二人は部屋へ戻った。
ヤエルは官房と直接話したいと求めた。
マレスコはためらったあと、スピーカーで回線をつないだ。
若く、ひどく早口の声が、メディア対応の緊急性、使用すべき表現、冷静さの必要について説明した。
ヤエルは最後まで聴いた。
それから言った。
「最初の一文を、次のようにするなら出演します。今日、私たちが発表するものは、大いなる部屋から生まれたのではない」
回線の向こうが沈黙した。
「何とおっしゃいましたか?」
「二つ目の文。ありふれた場所が、私たちより先に始めていた」
「セールさん、今回の目的はまさに、国が全体を調整していると示すことで……」
「三つ目。国は、自分がこれから支えようとするものの起源を名乗ってはならない」
声から速さが消えた。
「放送できません」
「では、出演しません」
マレスコはテーブルを見つめていた。
イリアは、彼がテーブルを見つめる姿を見つめていた。
官房は、いったん協議したいと申し出た。
回線が切れた。
誰も話さなかった。
ヤエルは携帯電話を自分の前に戻した。
震えてはいなかった。
だが今度は、それにどれほどの代償が伴ったのか、イリアにも見えた。
中心を失った決定
十九時十分、大いなる部屋は三つの文書を出した。
一つではなく、三つだった。
一つ目は、実施決定だった。涼所の即時開放。現場責任者への法的保護。冷房設備のある空間の接収。孤立者の優先。水と電力需要の把握。地域輸送。発電機の共同運用。一部活動の限定的な停止。
二つ目は、限界を明記した覚書だった。この決定によって解決できないもの。壊しかねないもの。続く数日間、政治的議論に委ねなければならないもの。
三つ目は、決定でも覚書でもなかった。
クレールは、題名をつけることを拒んだ。
そこには、こう書かれていた。
「今日、ありふれた場所に現れた身振りは、大いなる部屋の判断が正しかったことを示す証拠ではない。それは、集団の生が制度の外でも思考することを思い出させる。慎ましい形、画像、沈黙、身近な場での決断を通して。その思考を、いかなる中央も自らの知性と取り違えてはならない。大いなる部屋は、こうした身振りを支える。それを生み出すのではない」
官房は三つ目の文書を削除しようとした。
マレスコは拒んだ。
官房は付属文書に変えようとした。
マレスコは拒んだ。
せめて、制度の外の知性についての一文だけでも削るよう求めた。
マレスコは訊いた。この危機のさなか、自分たちが決定の正当性を保証させるために招集した上位室を検閲したという、文書に残る議論を本当に始めたいのか、と。
卑怯で、よく効いた。
二十時、ヤエルが画面に現れないまま、決定が発表された。
報道官は、見るからに体をこわばらせて読み上げた。ニュース局はたちまち、三つの文書の奇妙さを論じ始めた。野党は弱さを認めたと叫んだ。論説委員の一部は権威の危機だと語った。別の者たちは、自分たちが半分ほどしか理解していない民主主義の成熟を称賛した。ソーシャルメディアに残ったのは、扉に挟まれた椅子だった。
一時間もしないうちに、椅子の写真が至るところへ広がった。
木の椅子、折り畳み椅子、スツール、事務用の肘掛け椅子、ベンチ、箱、石、取っ手の下に挟まれた箒。
国は一つの画像を前にすると、いつもすることをした。汚し、真似し、単純化し、冗談や旗や非難や、ほとんど商品にまで変えた。
それでも扉は、開いたままだった。
その夜、人々は、それまでなら頼むことさえできなかった場所へ入っていった。近所の人々に電話がかけられた。鍵が手から手へ渡った。バッテリーがテーブルの真ん中に置かれた。自治体職員が椅子の上で眠った。若者たちは、前日まで知らなかった高齢者のために水筒を満たした。
決定がすべてを救ったわけではなかった。
人々は死んだ。
予想より少なかった、と後日、ある覚書には記される。
多すぎた、と遺族は言う。
どちらの言葉も、真実でありつづける。
第19章
彼女の外で考えるもの
映像の翌日
翌朝、大評議室はもう同じ顔をしていなかった。
比喩ではない。
戻ってこなかった参加者が何人もいた。危機対策局長はボーヴォー広場へ引き返していた。二人の顧問はその場で眠った。クレールの目は赤かった。エレーヌは紙に手書きしては、すぐに破いた。モードは脂っこすぎる菓子パンと、誰かを守ろうとする不機嫌を携えて現れた。ジェロームは肘掛け椅子で、わずかに口を開け、まだ電話のケーブルを握ったまま眠っていた。
マレスコは窓辺に立っていた。
眠っていなかった。
コーヒーを求めない、その様子でわかった。
ヤエルが入ってきたのは八時二十分だった。前日と同じ服を着ていた。彼女の顔から何かが失われていた。自制ではない。公の場で使われるための何かが。イリアはそれに気づいたが、勝利なのか、喪失なのか、それともただの疲労なのか、まだわからなかった。
報告が次々に届いた。
開放された場所。事故。緊張。体育館での殴り合い。徴用命令が出ても開店を拒む二つのショッピングセンター。民間施設の扉を強引に開け、英雄扱いされた市長。四階のアパルトマンで、発見が遅すぎた老女。共有の手配が遅れた発電機。近所の人を迎えに行かされた若者たち。給水所になった薬局。三つ目の文書のせいで、どの声明も出しにくくなったと激怒する県知事。
モンリュソン、十五時十七分。扉を開放、警備員を市職員二名と交代、駐車場を二十六分で空にし、喘息の子どもを中心街の冷房の効いた薬局へ搬送。短い一行だった。勝利ではない。イリアが退けた段落が、守ったのは理念だけではなかったという証だった。
国は生きていた。
ゆえに恩知らずで、矛盾し、勇敢で、不公平で、ところどころ滑稽で、どこまでも疲れさせた。
マレスコが尋ねた。
「われわれは大惨事を防いだのか」
誰も答えなかった。
彼は言い直した。
「われわれは、十分に明晰な決定を生み出せたのか」
エレーヌが言った。
「いいえ」
その一語に、全員が驚いた。
彼女は顔を上げた。
「生み出したのは、使える決定と、限界を記した覚書と、誰にも分類できない文書です。十分に明晰ではありません。そのほうが、いいのかもしれません」
クレールが付け加えた。
「各県庁は、三つの文書のどれに権限があるのかと問い合わせています」
「何と答える?」とマレスコが尋ねた。
イリアは紙を、画面を、開かれたままの地図を見た。三つの文書は、ひどく収まりが悪かった。だからこそ、一つに溶かしてはならなかった。
「三つともです」
緊急招集された法務責任者は、危うく息を詰まらせかけた。
「そんなことは不可能です」
「では、どれにもない」
「それも同じく不可能です」
モードがクロワッサンを一つ取った。
「ほら、進歩してるじゃない」
法務責任者は、規律正しく彼女を無視した。
議論は二時間続いた。醜く、精密で、必要な二時間だった。第三者への対抗力、法規範の序列、刑事責任、矛盾する指示、不服申立て、首相の権限、議会の位置づけ、県知事の役割、政府に代わって統治することなく上位の部屋に何が生み出せるかが論じられた。
最後にマレスコは、決定には見えない決定を下した。
「大評議室は、最終見解を出さない」
クレールが目を上げた。
「何ですって?」
「三つの文書と、各地の報告と、意見の相違、そして明示的な政治判断を要する問題の一覧を送付する」
法務責任者が言った。
「首相が求めたのは明晰化です」
「ならば、責任を受け取ってもらう」
見事なまでに不快な沈黙が落ちた。
マレスコは続けた。
「われわれが招集されたのは、国家が決断するのを助けるためだ。決断せずに済ませてやるためではない」
イリアは彼を見た。
その代償が見えた。
今度、彼が手放したのは広報用の一文ではなかった。計画の当初から彼を支えてきたもの――適切に設計された機関なら、引き受けるに足るほど明晰な決定の条件を生み出せる、という考えそのものだった。国から救い出そうとしてきた混乱の一部を、彼は政治へ返したのだ。
失敗でも勝利でもなかった。誤った扉を閉じるために築いた制度のなかで、一人の男が一つの扉を開けておくことだった。
ヤエルの拒絶
正午、首相官房は最後にもう一度、ヤエルを得ようとした。
テレビニュースへの出演ではない。文書による声明だった。
「数行で十分です。あなたの言葉があれば、三つの文書が大評議室への不信任と受け取られるのを避けられます」
ヤエルはイリアの前でメッセージを読んだ。
「彼らの言うとおりね」
「ええ」
「私の言葉なら、それを避けられる」
「ええ」
ヤエルは電話を置いた。
「なら、私は話すべきじゃない」
二人は隣接する小部屋にいた。古い書類と生ぬるい水のボトルを保管する部屋だった。カーペットから、温められた埃の匂いがした。半開きの扉の向こうでは、クレールが送付文書の修正版を口述していた。
イリアは言った。
「別の話し方もできるでしょう」
「できない」
答えは即座に返った。
「なぜ?」
「私の〈別の話し方〉は、もう一つの様式になってしまったから。拒む姿さえ優雅になる。慎重に言葉を選ぶだけで、人を安心させてしまう」
ヤエルは穏やかに見えた。
けれど、その穏やかさはもう表面には見えなかった。自らを売り込むことをやめた疲労に似ていた。
「どうするんです?」
「今日は何もしない」
ヤエルにとって、それはおそらく何より激しい行為だった。
その場所を占めないこと。空白に、自分の顔の完璧な輪郭を与えないこと。
「責められますよ」とイリアは言った。
「ええ」
「あなたを崇拝していた人たちにも」
「とりわけ、その人たちに」
ヤエルは書類の山に指で触れた。
「私が何を怖がっているか、わかる?」
「何を?」
「安堵よ」
「あなた自身の?」
「彼らの。私が部屋に入ると、まだ一言も発していないのに、ほっとする人が大勢いる。誰かが悲劇の清潔な部分を引き受けてくれると思うのね。わかるわ。私も、それを望んだから。誰かが入ってきて、痛みを住めるものに変えてくれる」
彼女はイリアを見た。
「でも、住めるものは、あっという間に管理できるものになる」
イリアはトマ・リヴィエールを、歓待を、壁のない家々を思った。
「上位の部屋を去るんですか?」
「今日は去らない」
「いずれは?」
「たぶん。あるいは、別の形で残る。まだわからない」
その無知は、どんな確信より彼女に似合っていた。
部屋を出る前に、ヤエルは付け加えた。
「あなたは私を見誤っていた」
イリアはその言葉を受けた。
「わかっています」
「すべてではないけれど」
ヤエルは扉を開けた。
「だから、まだ少し仕事が残っている」
頂点のない報告書
首相に送付された報告書は、二十七ページあった。
クレールは、それを美しい文章に仕立てたい誘惑に耐えた。エレーヌは、あまりにも的確な言い回しを三つ削った。イリアは、大評議室を国民の良心に仕立てる二つの文を消した。モードは、市民による動員という表現を一か所、暑すぎたから開けた人たちに変えるよう求めた。まったくそのままには書かなかった。軽んじたからではない。県知事が机に噛みつかず読める文書にする必要もあったからだ。
報告書にはこう記された。
大評議室は、受け取ったものを貧しくすることなく、唯一の回答に結論を絞ることはできない。
次の三つの行動方針を、混同することなく、併存させなければならない。
ただちに人命を守ること。
地域で生まれた開放と共有の形を、所有せずに支えること。
集団的自明性の装いのもとに隠してはならない分配上の選択を、政府と議会に差し戻すこと。
要約の末尾の一文は、クレールが提案した。
彼女は、ほとんど恥じるように声に出して読んだ。
「得られた明晰さが示すのは解決策ではなく、ただ一つの解決策を無垢なものとして提示することの、道徳的不可能性である」
誰も口を開かなかった。
やがてモードが言った。
「ちょっと長いね」
クレールは目を伏せた。
「ええ」
「でも、息はしてる」
クレールはその一文を残した。
政府は報告書を気に入らなかった。それでも利用した。
役に立つ文章は、しばしばそうして生き延びる。必要とする者たちが愛せない程度には逆らい、捨てる勇気を持てない程度には役に立つことで。
夕方、マレスコはまだ残っていた者たちを集めた。
メモを見ずに話した。
「危機の終結をもって、大評議室は活動を停止する」
クレールは目を閉じた。
エレーヌは動かなかった。
イリアは、意味を理解するより先に、その言葉を身体で感じた。
「停止、ですか?」と法務責任者が尋ねた。
「そうだ。位置づけを再定義するまで」
「失敗と受け取られます」
「そうだ」
マレスコの声はひどく低かった。
「少しくらい、そう受け取られる必要があるのかもしれない」
彼は地図を、画面を、空のカラフェを、扉の写真を、ノートを、ケーブルを、書類を見た。それから、イリアが彼の口から聞くとは思いもしなかったことを言った。
「われわれは、国家が一人で決断せずに済むよう助けられる場所を作ろうとした。昨日、われわれ抜きで世界が始まっていたことを知った。これを大評議室の勝利に変えれば、われわれは自らの発見について嘘をつくことになる」
誰も答えなかった。
彼はいま、自分の道具を、敵に壊されるよりも注意深く壊したのだ。
相容れない三つの回答
危機はさらに八日続いた。
三つの文書は、まさに生み出すべきものを生み出し、同時に、恐れるべきものをも生み出した。
命を救い、混乱を招いた。
県知事たちには足場と困難を与えた。市長たちは待たずに施設を開けられた。一部の経済界の責任者には、協力する理由を与えた。別の者たちには、責任逃れの語彙を与えもした。議会では怒号に満ちた討論が起き、不服申立てがなされ、論説が発表され、曖昧さによる統治だとの非難が上がり、地域の知恵を熱烈に擁護する声が続き、〈椅子共和国〉をめぐる冗談が飛び交った。
夜の番組で、元大臣が言った。
「扉を開け放って、国を統治することなどできません」
モードからイリアへメッセージが届いた。
「そうだね。でも、閉じた扉なら、国を窒息させるのにはけっこう使える」
イリアはそのメッセージを残した。
議会で首相は、大評議室が議論の余地のないものにすることを拒んだ選択を、公の場で引き受けなければならなかった。どの活動をまず止めるのか。どの地域へ電力を回すのか。何を維持するのか。どの程度の経済的損失を受け入れるのか。どのような保健上の危険を背負うのか。討論は醜かった。
ときに卑劣で、ところどころ生きていた。
議員たちは選挙区から届いたメッセージを読み上げた。届いたふりをする者もいた。ある大臣は苛立ちを抑えきれなかった。農村選出の女性議員は、二列の椅子のあいだで子どもたちが眠った開放施設について話した。大都市選出の議員は、なぜ市民団体よりショッピングセンターの補償が早かったのかと問いただした。別の議員は、扉の映像を国家の象徴にしようとした。しかし傍聴席の一人の女が叫んだため、失敗した。
「あなたたちのものじゃない!」
女は退場させられた。
その一幕は国じゅうを駆けめぐった。
嘲笑する者がいた。支持する者もいた。その言葉はポスターに印刷された。もちろん、いくらか中身を抜かれもした。それでも、何かは踏みとどまった。
あなたたちのものじゃない。
正しい言葉かどうか、イリアにはわからなかった。必要な言葉だったことはわかった。
一方、大評議室は危機が終わるまで二度と開かれなかった。
地域の部屋は活動を続けた。とてもうまくいく部屋もあった。ひどい部屋もあった。歴史的な場になったつもりで、二本先の通りで起きていることをまるごと見落とした部屋もあった。名もない部屋のほうが、よく持ちこたえた。間違った理由で場所を開け、それでも人を救った者たちがいた。残業代を払わずに済ませるため、集団的な立ち会いを口にする者たちもいた。
純粋さから解放された世界は、ふたたび愛しにくくなった。
それは、よい兆しだった。
第20章
明晰の部屋
活動停止のあと
大評議室の活動停止は、評価作業として発表された。
その言葉が、全員を守った。
マレスコは職にとどまったが、彼の計画は以前と同じ勢いでは進まなくなった。調査団が一つ、支援グループが二つ、事後検証委員会が一つ、当初の予定より小規模な方針委員会が一つ設置された。上位の部屋は廃止されなかった。制度が明快な終わりを好むことはめったにない。空気を抜かれ、場所を移され、魅力を削がれた。
ヤエルはテレビ画面から姿を消した。完全にではない。一度でも映像の役に立った人間は、ほんとうの意味では消えられない。それでも大型インタビューを断り、講演を二つ取りやめ、その代わりに、部屋の限界について短い覚書を送った。貴族的な引きこもりだと非難する者も、臆病だと責める者もいた。少数ながら、理解した者もいたかもしれない。大した騒ぎにはならなかった。
エレーヌは三日休み、噂のようにかすかな日焼けをして戻ってきた。
クレールは、危機のあいだに開放された場所の追跡調査へ一時的に配属してほしいと願い出た。補償の状況を確認したいのだと言った。イリアは、語られる言葉のすべてが後世に残ることを目指してはいない部屋で、しばらく過ごしたいのだろうと思っていた。
モードは港へ戻った。
ジェロームはケーブルへ。
セシルは巡回へ。
トマ・リヴィエールは、誰にも分類できない文章を書いた。題名はただ一言、
「歓待は、いつでも応じられることではない」
サラはそれを新しいラベルのない箱に入れ、地下書庫に収めた。
「何に使うか、あの人たちがすぐ決められないように」
イリアは仕事を続けた。
だが、その職務の重みは変わっていた。
部屋が明晰か、明晰すぎるか、偽りの明晰さか、危険なほど穏やかか。それだけを問われるのではなくなった。そもそも開くべきなのか。〈部屋〉という名はまだ人の助けになるのか。それとも、その名などなくてもすでに自分たちがしていることを、かえって見えなくしているのか。
ある朝、イリアはヨンヌ県の小さな町から招待を受け取った。
件名は、
「地域会合――学校/診療所/共用室をめぐる対立」
本文にはこうあった。
「明晰の部屋をお願いしているのではありません。私たちがあまりに早く秩序を作ってしまわないよう、止め方を知っている人に来ていただきたいだけです」
イリアは印刷した。
それから笑った。ほんの少し。それでも充分だった。
名のない部屋
町の名はヴィルロワ=シュル=スランといった。
その名にもかかわらず、役場から川は見えなかった。見えるのは道路と、週に二日閉まるパン屋と、薬局と、宅配便の取次所も兼ねるカフェ、それに県のあらゆる適応計画よりなお豊かな木陰を保つ、三本のプラタナスが立つ広場だけだった。
会合は、昔の食堂で開かれた。
町長が、厳かすぎ、暑すぎると考えた議場ではない。昔の食堂には、黄色い壁、折り畳み机、洗剤と古い牛乳の匂い、隅に積まれた椅子があった。扉は中庭に面していた。閉めるたび軋むので、誰かが椅子を挟んで開けたままにしていた。
イリアは、人々より先にその椅子を見た。
何も言わなかった。
机を囲んでいたのは、町長と、二人の教師、引退間近の医師、看護師、三人の保護者、サッカークラブの代表、技術職員、向かいに住んでいるからと招かれもしないのに来た老女、それに町のウェブサイト用の撮影を正式に任された二人の十代の若者だった。もっとも二人は、授業を一時間さぼれることのほうが嬉しそうだった。
どこにでもある対立だった。
診療所は、出張診察のため週二回の午前中、昔の食堂を使いたがっていた。学校は、そこでワークショップを続けたがっていた。サッカークラブは何年も前から、書面の許可なく用具を保管していた。役場は夏の避暑室に変えたがっていた。看護師は、子どもがいたら高齢者は来ないと言った。教師たちは、子どもはもう充分に居場所を失っていると言った。保護者たちは、予算の話を避けるため、いつも老人と子どもが持ち出されると言った。技術職員は、どうせ電気設備が、これ以上三つの用途に耐えられないと言った。
歴史的でも、国家的でもない。それでも世界のあり方を左右するのは、こういう小さな諍いだった。
町長が会合を開いた。
「ダノーさん、進め方を説明していただけますか?」
イリアは椅子に支えられた扉を見た。
「いいえ」
町長の顔が少し崩れた。
「何ですって?」
「私がいなかったら始めたであろうやり方で、始めてください」
教師の一人がつぶやいた。
「それじゃ、ひどい始まり方になりますよ」
「たぶん」
会合は、ひどい始まり方をした。
医師が長く話しすぎた。母親の一人が遮った。町長が議題へ戻そうとした。技術職員は、議題ではコンセントはもたないと言った。十代の少女の一人は撮影をやめ、窓を開けた。老女は、どうして誰も水曜日の話をしないのかと尋ねた。水曜には孫を預かっているし、自分も医者にかかりたいのだ、と。
全員が、彼女に答えようとした。
イリアは手を上げた。
遮るためではない。引き止めるために。
その仕草だけで充分だった。
食堂らしい沈黙が訪れた。美しい沈黙ではない。冷蔵庫が震え、椅子が床を擦り、少年が鼻でうるさく息をし、ポスターが窓ガラスを叩いていた。
老女は机を見つめた。
「お医者さんか子どもか、選びたくはないんです。同じ部屋を使うのは、二つの暮らしを別々に持てるほど、もう人がいないからでしょう」
誰も書き留めなかった。
技術職員が鍵束を机の中央に置いた。
「なら、まずコンセントから始めましょう。全部つなげば落ちる。落ちたら、医者も、ワークショップも、避暑室もなくなる。だから、用途が別々だというふりをやめるんです」
十代の少女の一人が紙を取り、部屋の見取り図を描いた。下手だったが、とても役に立った。四角、矢印、コンセント、扉、中庭、サッカークラブの戸棚、冷蔵庫、通り道を塞がずに老人たちが座りたがる机。
すぐ写真に撮るよう求める者はいなかった。紙は机の中央に残され、指で触れられ、間違えられ、斜めに書き足されるままになった。
医師が、ふたたび話し始めようとした。
看護師が腕に触れた。
「待って」
彼は待った。
本当の始まりは、たぶんそのときだった。
会合が一気に賢くなったわけではない。それぞれが自分の領地を少しずつ失いながら、先へ進んだ。サッカークラブは、中庭に物置を作ってもらうのと引き換えに、奥の戸棚を空けた。学校は午前中のワークショップを維持する代わりに、机を教室のように並べないことを受け入れた。医師が得た時間枠は三つではなく、二つだった。役場は夏までに電気設備を改修すると約束し、技術職員は、笑顔ではなく日付を添えて〈約束する〉と書いてほしいと求めた。
途中、少年の一人が尋ねた。
「じゃあ、これが明晰の部屋なんですか?」
全員がイリアを見た。
イリアは上位の部屋を、地図を、ルアンヌを、開かれた扉を、古いノートを、散らばった仕草を、自らの恐怖より大きな知性のなかに世界を抱えようとした人々を思った。活動を停止した大評議室を、画面に出ることを拒んだヤエルの顔を、自らの道具から頂点が失われるに任せたマレスコを思った。
それから、扉を支える椅子を見た。
「いいえ」
少年はがっかりしたようだった。
「じゃあ、何なんです?」
イリアより先に老女が答えた。
「まだ閉めていない会合よ」
すぐには誰も笑わなかった。
やがて町長が笑った。教師も笑った。医師まで笑った。結論を迎えた笑いではなかった。部屋が少し空気を吐き出した音に近かった。
イリアは、言葉を付け足さなかった。
必要なかった。
開かれたままのもの
帰り道、イリアはサンス駅で足を止めた。
列車は二十七分遅れていた。構内放送から流れる詫びの言葉は、〈事象〉という語をひどく信頼している誰かが書いたように聞こえた。ホームでは、乗客たちが同じ姿勢で電話を見つめていた。遅延が生む、あの姿勢の連帯だった。最初に腹を立てる者には、誰もなりたくないのだ。
イリアはベンチに座った。
ヤエルからメッセージが届いた。
「ヴィルロワの覚書を読みました。名前は外に置いたのね」
イリアは返信した。
「ええ」
ヤエルから。
「それも一つの方法かもしれない」
イリアは笑った。
「お気をつけて」
一分後、ヤエルから返事が来た。
「わかっています。提案しない練習をしているところ」
イリアは電話を手に持ったままにした。
もう一通、今度はマレスコから届いた。
「活動停止は延長される。首相はもっと軽い建築を望んでいる。建築という言葉自体が違うのかもしれない、と言っておいた」
イリアは書いた。
「首相は何と?」
「悪い人間とつきあう私が嫌いだ、と」
今度はホームで一人、声を上げて笑った。
列車は、巨大な疲れを引きずるように、ゆっくりと駅へ入ってきた。イリアは乗り込み、窓際の席を見つけた。窓に映る自分の顔は、初めて第七室を訪れた朝より、険が取れて見えた。あるいは、自分が正しかったことに、以前より疲れているだけかもしれなかった。
鞄から、ヴィルロワの少女が描いた紙を取り出した。部屋は紙のなかで傾き、収まりが悪く、ほとんど子どもの絵のようだった。コンセントは大きすぎた。扉も大きすぎた。扉を開けておく椅子だけが、釣り合わないほど丁寧に描かれていた。鞄のなかで隅が折れ、それが図面から公的な印象を薄れさせ、かえって忠実なものにしていた。
見取り図の下に、誰かが書き加えていた。
「誰が来るかを知るまで、片づけないこと」
誰が書いたのか、イリアにはわからなかった。
永遠にわからなければいいと思った。
明晰の部屋
数か月後も、明晰の部屋は存在していた。
以前ほど高いところではなく。
以前ほど整然とせず。
消えた部屋もあった。地域の慣行や、短期研修や、発言を遮るための規則や、椅子や扉や沈黙の習慣や、人を分類する前に名前を並べる習慣へ変わった部屋もあった。もちろん、悪用もされた。コンサルタントたちは、複雑な状況における意思決定的注意力についてのセミナーを売り出した。ある会社は〈明晰な扉〉を商標登録しようとした。サラはその記事を「世界の疲労を示す証拠」と題した紙挟みに保存した。
それでも、何かが逃れていた。
どこでもではない。決して充分でもない。それでも今では、閉じ直す前に、新たなためらいが生じる場所があった。
イリアは、美しい部屋を、穏やかすぎる人々を、自らの謙虚さから何を得たいのか初めから知っている仕組みを、警戒し続けた。それでもなお、共有できる何らかの正しさがありうるという癒えない願いを抱いて、いくつかの部屋へ入り続けた。
その願いを憎まずに済むようになった。
ただ、玉座を築く権力を与えなくなった。
ある夕方、彼女はふたたび第七室の前を通った。
最初の部屋。厳密には違うと今では知っていたが、彼女にとっては最初の部屋だった。扉は開いていた。なかでは椅子が壁際に積まれていた。コルク板には古い画鋲の跡が残っていた。机は移動されていた。翌日には、小規模な産科施設の事業継続計画をめぐる研修が開かれることになっていた。
イリアは入った。
室内は、ほとんど闇だった。
明かりはつけなかった。
薄暗がりでは部屋の明晰さが薄れ、それがかえって心地よかった。第七室の朝が、断片になって戻ってきた。港、裁判所、産科病棟、長く持たれすぎた覚書。それから別の映像。酷暑のさなかに開いた扉、ボウルに置かれた鍵束、沈黙のあとに並べられた名前。
明晰さとは、決して光を強くすることではなかった。
見えてしまったものの前に、一人きりで立たないための術だった。
背後の廊下で、誰かが尋ねた。
「何かお探しですか?」
イリアは振り返った。
清掃員がカートを押していた。疲れた顔で、仕事を早く終わらせたそうだったが、敵意はなかった。
「いいえ」
それから、積まれた椅子を見た。
「いえ、やっぱり。明日使わない椅子はありますか?」
男は一秒、彼女を眺めた。
「ここで、使わない椅子ですか? まあ、見つかるでしょうね」
彼は積み重ねから一脚抜き出した。明るい木の椅子。座面には傷があり、一本の脚がほかより少し短い。
「こいつは、がたつきますよ」
「ちょうどいいです」
イリアは扉まで運び、閉まらないよう斜めに挟んだ。
清掃員が眉を上げた。
「何のためです?」
イリアは椅子を見た。
説明することもできた。部屋のこと。空席のこと。扉のこと。開かれた場所のこと。中心が犯し続けた長い過ちのこと。所有できない立ち会いのこと。一つに収まる文章を作ることもできた。
その気にはならなかった。
「息ができるように」
男は、それで充分な理由だと言うように、あるいはこの建物でもっと妙なことを聞いたことがあるように、うなずいた。
そしてカートを押して去っていった。
イリアはもうしばらく、その場に残った。
椅子はもう、空席ではなかった。
扉が閉じるのを、食い止めていた。
原稿終わり
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Pab Sanが創案した「roman-son」RomanSon — 定義と『Résonance』を見る。